第11話 聖女は、俺の積載率を報告しなかった
松明の炎が、澱んだ洞窟の空気を焦がしていた。
逃げ場のない岩壁を背に、俺は痺れる左腕を庇いながら立ち上がった。背後では、フィンが俺の衣服の裾を強く掴んでいる。
入り口を塞ぐように立つ処刑聖女アデルと、四名の重武装の騎士。
彼らの剣と槍が放つ殺気が、冷気となって肌を刺した。
アデルが銀槍を構え、俺の正面へと歩み寄る。
だが、俺から三歩の距離まで近づいた時、彼女の足がピタリと止まった。
彼女の瞳が、俺の顔ではなく、左腕の黒い亀裂と、その後ろにある鎖で封じられた断界井を交互に捉えていた。
「……あなたの左腕にあった死の因果が、減衰している」
アデルが微かに眉をひそめ、呟いた。
橋で最後まで防げなかった主鎖破断の残滓が、一部は俺の腕に残り、一部は護符の向こうへ移っている。その変化を《因果視》が捉えたらしい。
「力を求めて、自分から災厄を取り込んだのではなかったのですか」
「勝手に勘違いするな。俺は届け先へ荷物を置こうとしただけだ」
俺は痛む左腕をわずかに持ち上げた。
「だが、あんたらの教会がご丁寧に封鎖してくれていたおかげで、これ以上は中に入らなかった」
アデルは答えず、壁の日本語と、俺の腕から断界井へ残る黒い筋を見比べた。
「転移者が自分から災厄を減らそうとした記録は、教会にはありません」
「なら、今ここで最初の一件を見たな」
「アデル様。手配犯の確保、ご苦労様であります」
背後に控えていた騎士の一人が、手鏡のような小型の通信魔導具を取り出しながら前に出た。
「すぐに大衡司様へ報告を。奴の災厄密度は、現場での通常処刑を禁じ、魂封印を伴う処置へ移す基準を超えているはずです。ここで首を刎ねる許可を」
俺の視界に出ている積載率は十二パーセント。だが、アデルに見えるのは数値ではなく、災厄の濃さだ。教会の基準では、首を落とした後まで危険物として扱う段階らしい。
アデルの視線が、再び俺の左腕に注がれた。
銀槍を握る彼女の白い指に、微かな力がこもる。
数秒。松明の炎が爆ぜる音だけが、洞窟に響いた。
「……通信鏡を下ろしなさい」
アデルは、振り返ることなく騎士へ命じた。
「は? しかし、アデル様」
「標的の災厄蓄積量は、現在『測定不能』です」
彼女の口から出た言葉に、俺は耳を疑った。
背後の騎士も同様だったらしく、目を丸くして抗議の声を上げる。
「そ、測定不能とはどういうことですか! 聖女様の《因果視》ならば、奴がどれだけの災厄を溜め込んでいるか一目で――」
「背後の廃棄設備から漏れ出す障気が干渉し、正確な数字が読み取れません。ここで不用意に首を落とせば、蓄積された災厄が制御を失い、我々を巻き込んで爆発する危険があります」
言葉は淀みなく続いた。だが、先ほど彼女は減衰量を見抜いている。正確に読めないという説明とは噛み合わない。
アデルは騎士を鋭く振り返り、声を一段階低くした。
「私の目に疑いを持つというのですか」
「い、いえ! 滅相もございません!」
「ならば報告は後回しです。標的を拘束し、麓の避難民キャンプまで連行しなさい。処刑は私が安全を確認してから行います」
騎士たちは慌てて通信鏡をしまい、俺を捕縛するための縄を取り出した。
アデルは再び俺へ向き直り、銀槍を下ろした。
彼女は俺の命を絶つ機会を、自分の報告で先延ばしにした。
騎士たちがフィンの身体検査をし、俺の右腕に荒く縄をかける。左腕は触れるだけで呪いが移ると恐れたのか、縛ろうとはしなかった。
騎士たちが入り口の警戒に向かい、俺とアデルの間にわずかな空間と静寂が落ちる。
「……どうして正確な数字を報告しなかった。アデル」
俺は、他の騎士に聞こえない低い声で尋ねた。
初めて、彼女の名前を呼んだ。
ピクリと、アデルの肩が跳ねた。
彼女の視線が俺の顔に向けられ、そして一瞬だけ、行き場を失ったように斜め下へと逸れた。
一拍の、明確な遅れ。
「……私は、観測された事実を優先するだけです」
返ってきた声は、いつもの氷のような冷たさを欠き、微かに上ずっていた。
「あなたが災厄を移動させる仕組みを完全に解明するまで、教会の画一的な基準で処刑を行うのは、実務的ではないと判断したまでのこと。それ以上の意味はありません」
いつもより言葉が多い。
合理的な判断だけなら、そこまで急いで説明する必要はない。そう思ったが、確かめる材料は彼女の逸れた視線と、少し上ずった声しかなかった。
「そうか。助かった」
俺はそれ以上追及せず、短く礼だけを口にした。
アデルは唇を固く結び、逃げるように背を向けて洞窟の出口へと歩き出した。
*
騎士に囲まれながら山道を下り、俺たちはルーデン渓谷の麓に広がる避難民の野営地へと到着した。
東橋を渡りきった避難民たちが、身を寄せ合うようにして休息を取っている場所だ。
だが、野営地の空気はひどく荒れていた。
「ふざけるな! これは俺たちの街から運んできた救援物資だぞ!」
「やかましい。この土地を通る以上、我々の検査を受ける義務がある」
広場の中央で、みすぼらしい身なりの避難民たちと、豊かな毛皮のコートを着た恰幅の良い男が揉み合っていた。男の背後には、教会の騎士とは異なる、地方領主の紋章をつけた私兵たちが立ち並んでいる。
「何事ですか」
アデルが歩み寄り、声をかける。
毛皮の男――地方代官らしき男は、アデルの白の法衣を見ると、わざとらしく揉み手をして頭を下げた。
「おお、これは教会の聖女様。お見苦しいところを。街から逃げてきたこの者たちが、不正な荷を隠し持っていないか、代官である私ベルクが直々に検査をしておりましてな」
ベルクと名乗った男の後ろには、避難民から強引に没収されたと思われる食料や布地の木箱が、数台の大型馬車に山積みにされていた。
俺は、その馬車の列を見て足を止めた。
見覚えのある馬車だ。東橋で、車間距離を詰め、真っ先に橋を渡ろうとしていた過積載の馬車。
俺の頭の中で、バラバラだった情報が一つに繋がる。
橋の主鎖は、もともと交換が必要なほど傷んでいた。
だが、この代官が救援物資を少数の馬車へ詰め込み、三台まとめて押し込ませなければ、あの時刻に破断することはなかった。老朽化した橋へ最後の荷重をかけた原因が、目の前に並んでいる。
「……アデル」
俺は、横に立つ聖女へ低く声をかけた。
「あの橋を落とそうとした原因が、あそこにあるぞ」




