異母きょうだい
重苦しい沈黙が大広間を支配する中、それでもなお、ループレヒトは己の勝利を疑っていなかった。マルガレーテが何一つ反論しないことを『言い返せないからだ』と思い込んでいたのである。
「どうした、マルガレーテ!」
得意げに口角を吊り上げるループレヒトに王族の品位はない。
「何か言ってみろ! 普段はあれほど尊大なお前が、今日は随分と静かではないか!」
それでも返事はない。マルガレーテはただ静かに彼を見つめるだけだった。その瞳には怒りも悲しみもない。ただ、どうしようもない愚か者を見る諦めだけがあった。
(本当に……何もご存じありませんのね)
婚約者になって3年。ループレヒトは一度たりとも公爵家の事情を知ろうとはしなかった。
彼がマルガレーテを嫌う理由は実に単純だった。自分より頭がいい。それを鼻にかけて臣下のくせに自分を敬わない。ただそれだけ。
しかし、その前提からして間違っている。この王国では王位継承権持ちに限っては爵位よりも継承順位が身分に直結する。王族であっても継承順位が低ければ、王位継承権がより上位の公爵家よりも身分は下になる。つまり、継承権第14位のループレヒトは第12位のマルガレーテよりも身分が低いのだ。
しかも彼は婿入り予定であり、公爵になれるわけでもない。『アーレルスマイヤー公爵の夫』それが彼の将来の立場だった。公爵家の政務に口を出す権利も、領地経営の決定権も、更にいえば後継に関して何かを求める権利も、何もかもないのだ。求められたのは公爵家へ王家の血を入れることではあるが、実際には公爵家を興したマルガレーテの祖父は王弟であるので、今王家の血を入れる必要もなかった。ただ単に王家からごり押しされて、当時は特に有害になるとも思われなかったから、王族の縁戚として仕方なく受け入れたに過ぎないのである。
だが、ループレヒトはそんな事実を一度も受け入れなかった。いや、教えられても理解しようとしなかったからすぐに忘れた。
王子である自分が、公爵令嬢より下など有り得ない。彼はそう思い込み、信じていたのである。
そのため、ループレヒトは婚約者としての義務を果たさない。公爵邸で開かれる定例の茶会には一度も姿を見せない。夜会でエスコートしたこともない。己の誕生日や何かの機会には高価な品を贈り物として要求するが、礼状は返したことがない。何故なら婚約者であるマルガレーテは自分に尽くして当然だと思っているから。自分から何かを贈ったこともない。
公爵夫人──正しくは女公爵ローザリンデから送られてくる手紙も封を切らずに捨てた。
その内容は毎回殆ど同じだった。『入り婿として必要な教育を受けるように』『領地経営の基礎を学び補佐できるようになれ』『王族ではなく公爵家の一員となる自覚を持つように』
全て読まず、燃やすように侍従に命じていた。自分は王になる男なのだから。そんな思い込みだけを胸に抱いて。
尤も、侍従は公爵家の分家の子息であり、手紙は燃やされず回収され、ループレヒトの愚行は全て本家の当主に報告されていたのである。
そんなループレヒトが学院で出会ったのがミリヤムだった。柔らかな金色の髪。若葉のような翠の瞳。華奢な身体に似合わぬ豊かな胸元。儚げで守ってやりたくなる少女。少なくともループレヒトにはそう映った。
「あたし、お姉様に虐められているんです……」
初めてそう打ち明けられたとき、彼は迷わず信じた。
「姉?」
「はい。マルガレーテ・アーレルスマイヤーです」
それは婚約者の名だった。妹がいるなど聞いたことはなかったし、お茶会で渋々訪ねた公爵家でも彼女を見たことはなかった。それが次の言葉に信憑性を持たせた。
「同じ公爵家の娘なのに、あたしは冷遇されているんです」
よく見れば身に付けている服も公爵令嬢とはいいがたい粗末なもの。子爵か男爵あたりの娘が身に付けそうなものだ。
ループレヒトは拳を握った。なんという酷い話だ。婚約者はやはり最低の女だった。彼はそう確信した。
本来ならば、まずは婚約者に事情を聞くべきだろう。二人の話に相違があれば、婚約者であるマルガレーテの言葉に重きを置くべきだった。しかし、ループレヒトはマルガレーテへの妬心と思い込みで信じてはいけない者を信じたのだ。
しかし、ループレヒトは何一つ知らなかった。ミリヤムが公爵邸本館に住んでいないどころか公爵家王都別邸の敷地内に住んでいないことも。社交界に出たことすらないことも。貴族名鑑に『ミリヤム・アーレルスマイヤー』という人物が記載されていないことも。
何も調べようとしなかった。
一方のミリヤムもまた、自分の立場を理解していなかった。彼女は父フォルカーから聞かされて育った。
「お父様は公爵様なんだぞ」
「お前の母は公爵様の第二夫人だ」
「正妻は嫉妬深い。お前たちが王都別邸に行けば苛められる」
幼いミリヤムはそれを疑わなかった。そしてそのまま成長した。だからこそ、自分は公爵令嬢なのだと思い込んでいた。弟のニクラスこそが次期公爵であり、何れ自分たちが公爵邸に戻る。そう信じて疑わなかったのである。
だから学院へ入学し、初めてマルガレーテを見たとき、驚いた。
(綺麗……)
雪のような白い肌。陽光を受けて輝く白金の髪。磨き抜かれた立ち居振る舞い。誰もが道を譲る気高さ。
余りにも違う。
(狡い……!)
その感情が最初だった。
(同じ公爵令嬢なのに! 公爵に愛されてるのはあたしなのに!)
父のお金で贅沢をして、綺麗なドレスを着て、豪華な宝石を身に着けて、皆に傅かれている。そう思い込んだ。
本当は父の正妻の金で養ってもらって、権利のない公爵家の金で分不相応なドレスや宝飾品を身に着け、父の正妻に雇われている使用人を扱き使っていることを全く理解していなかった。
真面な貴族令嬢であれば15歳で社交界デビューをする。けれどミリヤムはまだ社交界デビューしていない。夜会への招待状も届かない。茶会に招かれたこともない。その理由は簡単だった。ミリヤムは貴族ではない。母カトリン・ビュルス子爵令嬢の私生児として届け出された平民だからである。当然学院も平民枠で入学している。
学籍簿にも『ミリヤム・ビュルス』と記されている。けれど、本人だけがそれを知らない。
招待状が届かないことも社交界に出られないことも『きっとお姉様の嫌がらせよ』と本気でそう思っていた。周囲は彼女が平民だと知っているから招かないだけなのに。
思い込みで姉に筋違いな恨みを募らせたミリヤムは、姉の婚約者である王子に近づいた。姉よりも自分を選ばせればいい。同じ公爵令嬢だから問題ない。そう信じて。
知り合ってからの二人は、学院ではいつも一緒だった。昼食、放課後、休日。婚約者同士でもない男女が寄り添い歩く。
その結果、何度も何度も注意された。主に伯爵家以下の貴族令嬢から。
「ミリヤムさん」
ガニバロフ伯爵家の令嬢。父フォルカーの兄の娘たちだった。
「その振舞は改めるべきです。身分を弁えなさい」
親族だからこその忠告だった。ミリヤムの愚かな行いのせいでガニバロフ伯爵家にまで咎が及ぶかもしれないと思えば、彼女たちは無関心ではいられなかった。
けれど
「五月蠅いわね!」
ミリヤムは一蹴した。
「あたしはアーレルスマイヤー公爵令嬢なのよ!」
従姉妹たちは顔を見合わせる。違う、何もかもが違う。そう言いたい。けれど、何度説明しても聞く耳を持たない。
「伯爵家如きが公爵令嬢に逆らうなんて生意気よ!」
そう怒鳴るミリヤムに、従姉妹たちはついに口を閉ざした。何を言っても無駄だ。諦めつつ、どうにか巻き添えを回避しなければと悩んだころ、本当の公爵令嬢から、彼女とガニバロフ家は無関係だから累は及ばないと告げられ、それ以降はもう関わらないようにした。
以降、学院中の生徒は二人を避けるようになった。誰も近づかない。誰も話しかけない。これは嫌われているからだけではない。関われば災難に遭うと知っていたからだ。
「皆、嫉妬してるのね」
しかし、ミリヤムは何も理解せずに笑う。
「王子様とあたしが仲良しだから」
「そうだ」
ループレヒトも頷く。
「美男美女、王子と公爵令嬢の最強カップルだから羨ましいんだ」
二人は本気でそう信じていた。自分たちへ向けられる冷たい視線を、憐れみの眼差しを、呆れた溜息を、全て嫉妬だと勘違いしたまま。
だから気付かない、自分たちが誰一人として味方のいない孤島に取り残されているということに。
そして、王宮から派遣された騎士たちが、大広間の扉の前まで到着していることにも。
破滅は、もう目の前まで迫っていた。




