王国一の研究者
「おや、どこへ行くのかな?サマヨエル……君?」
明かりもなく、満月の光さえも差し込まない路地裏。
こんな時間では誰も足を踏み入れないだろう場所。
そのはずなのに、聞こえた人間の声。
そして明らかに……こちらを知る呼び方。
ゆっくりと背後へ振り向いた先には、ランプを手に持った1人の女性がいた。
夜闇に溶け込みそうな黒色の生地に明るい白のレースが目立つドレスを身につけ、亜麻色の髪をシニヨンにした彼女。
何よりもトレードマークとして輝いているのは、あのモノクル。
王女フィエルメの次に現れる人間として、この格好をするのは彼女以外いないだろう。
「カーミラ……ド・ラ・ローズ」
「せいか〜い!花丸をあげよう」
足音一つしないこの空間に、彼女の乾いた拍手が響く。
その振動の度に、ガシャンガシャンとランプが跳ねてやかましい音を溢す。
「……ど〜も。それで、何故一人で来たんです?」
確かにこの場に現れたのは予想外。
だけども、一番ありえないのは……ここに1人で現れた事。
まずこちらが最初に考えるのは、彼女の口封じなのだから。
こっちの戦闘力は、あちらにとって未知数のはず。
そして流石に、研究者の女性ぐらいなら正面から戦っても勝てるだろう。
フィエルメ王女と違って全く戦闘での話は聞かないし。
……何か、発明品を隠していたら別だけど。
「まあ、フィエルメは地下に潜っていってしまったからね」
「兵士の1人ぐらい、連れてこればよかったのでは?」
「そうしたら、大事になるだろう?
きっと仲間が集まり、話どころではなくなってしまう」
「……話?」
それには首を傾げてしまう。
話とは、なんだろうか。
何故こんな事をしているのか、とかそんな感じ?
いや、だったらここまでのリスクを負う必要はないはず。
「キミ、いったい幾らで買われたのかな?
その倍は払うから……私達の元に来ないかい?」
「……は?」
「いや、あの技術的に……5倍は出してもいいか」
「いやいやいや、この状況で登用ですか!?」
一人で考え込む様に話を進めていく彼女。
それに置いてかれて思考がフリーズしてしまったけども、すぐに我に帰る。
だが、そんなこちらの反応を、彼女は心底不思議なモノでも見るかの様な目を向けてくるのだ。
……それは、こっちがしたいくらいなんだけど。
そして、
「別に優秀な者であれば、敵でもいいだろう?」
極めて普通のトーンで答えるのだ。
もうハテナマークが、四次元軌道で頭の中をぐるぐると回っている。
普通……そこまでするか?
「ああ、お金は心配しないでくれたまえ。
これでも私は、発明で結構稼いでいるんだ」
「……いや、そっちの心配はしていないですけどね」
まるでボケの様な言葉に、つい素のテンションでツッこんでしまう。
それに、流石にそれぐらいの情報も知っているし。
「おや、では別の場所にまだ問題があるのかな?」
「……そもそも、雇われてやってると思われてるんです?」
「ああ、もちろん。
個人だけでは説明できない事象の連動性があるからね。
もしこれがキミ個人の怨恨であれば、私はもうこの世にいないだろう?
私も自慢ではないが、王位継承戦の結構深いところにいるのだし」
「………」
ぐうの音も出ない推論だった。
こちらは、最初から一貫した目的に進んで行っている。
そしてこちらの情報を元に、祖国……サンドラ王国も動いていたのだ。
前線を長引かせる事で民の疲弊を図り、不満を暴発させる様に……といった感じで
なので物的証拠は無くとも、状況証拠から推理する事は出来たのだ。
「さて、返答はいかに?」
小首を傾げ、最後の質問を投げかけてくるカーミラ。
今の5倍の報酬、確かに魅力的ではある。
きっとフィエルメは内心歯噛みする事になるだろうけど、ルイス王国のためであれば表向きは飲み込むだろう。
けれども、
「ありがたい申し出だけど……お断りさせてもらおうかな」
考えるに値しない提案だった。
「そうか。……ちなみに理由を聞いても?」
「別に、大した理由じゃないさ。
ただ……先約がいるのでねっ!」
「へぇ?案外忠誠しn……ぐぇっ!?」
もうこれ以上話す必要はなかった。
秘密裏に近寄って、背後から首を締め上げる。
「なっ!……あぐっ……かっ………ぁ」
こちらの腕へ彼女は手をかけるも、それはあまりにも弱々しい抵抗。
そうして間も無く、彼女の体から……力が抜け落ちた。
この暗闇の中では、幻影を上手くは見破れない。
だからその場に立体映像を置き、光学迷彩によって近づいていたのだ。
地面に崩れ落ちた、ドレス姿の令嬢を静かに見下ろす。
まだ気絶させただけで、殺してはいない。
処遇を決めかねていたのだ。
そうして少しの間考えた結果……何もせずに立ち去る事を選択した。
確かに彼女はフィエルメの優秀な右腕であるため、いない方が都合が良い。
けれどもそうした場合には、怒り狂ったフィエルメは唯一の容疑者であるハーティアを血祭りに上げる事が容易に想像できる。
だからブレーキ役となれる彼女は、生かしておきたいのだ。
ここでそんな強引な手段を取られて計画が水の泡となってしまう、それが今一番避けたい事なのだから。
「ただ、放置は……アレか」
きっと彼女は兵士たちに行き先を伝えていない。
だから、このまま放置するとその辺の浮浪者にでもお持ち帰りされてしまう。
その場合の事を考えると……少し鳥肌が立ったため、大通りに画面を出す事にした。
ご丁寧に地図付き、きっと衛兵が拾ってくれるだろう。
彼らが手を出すのは……流石にまずいので、大丈夫なはずだ。
肌寒い風が吹き、少し触ると冷え切っている路面。
そこに倒れ込んだカーミラと、明かりの消えたランプを背に、俺は夜闇へ溶け込んでいくのだった。




