逃走
曇天、それは農民に嫌われる天気だ。
晴れによる作物の成長、雨による水資源、その両方の恩恵を受けられないのだから。
彼らが曇天でも喜ぶのは、作物を収穫し終わった時期と……作業の下準備をする時だけだ。
いつもより少し涼しくて、ねっとりと肌にベタつく風が吹く中、カルメン領民は旗下へと集う。
草刈り鎌を、畑を耕すクワを、干し草を運ぶフォークを手に。
もちろん、本来は戦いに使われる様なモノではない。
だからこそ、今回の事の重大さが分かるのだろう。
家に剣がない様な、今まで専業で農民をやってきていた者達が、戦いという選択肢を取るくらいなのだから。
働き盛りの男も、夫の仕事を手伝い家を守り続けた女も、子どもたちの未来を憂いた老人達も武器を握りしめる。
そんな性別も武器も、年齢さえも違うバラバラな彼らは、錆鎌メンバーを先頭にして進軍していく。
今までは買い物ぐらいでしか使わなかった道を踏み締めて、目指すは領都。
奪われた資産、そして理不尽な要求を押し通した領主ブナイフ・ド・ラ・カルメンの首、それらを取りに行く戦いが幕を開けた。
「大変です、ブナイフ様っっ!!」
「なんだ?騒がしいぞ、こっちは仕事のさい……」
「領民達が反乱をッッ!!」
カラン……
成人祝いにと、まだ元気だった親から貰った万年筆。
書類へのサインのため握られていたそれは、凶報を聞いた瞬間に手から滑り落ちる。
「なっ……な、な」
「今現在領都ラカンへと進行中!!
その数はまだ把握しきれておりませんが、4方向から千を越える軍勢が迫っていると……」
ブナイフは頭を抱えて机に突っ伏す。
こんな状況では机へ拳を振り下ろす元気もないらしい。
「……領軍は?」
「全600名、ご命令とあらばいつでも動けます」
「……教会は?」
「今回の事態を憂いていると。
ですが、10名ほど回復魔法を使える人間を出して貰えるようです」
こちらにも戦力がある、その事実で彼は冷静になってきたのだろう。
一度ゆっくりとした深呼吸を挟んだところで、
「籠城は無理か?」
「兵糧が足りないかと。
城壁内には民もおります故、暴動によって開門されてしまう可能性がございます」
本来こういった戦では人数不利の場合、防衛側へ回るのがセオリーとされている。
けれども、今回領内を襲う飢餓はお互い様。
攻める領民側も、防衛する領主側もそれと向き合わないといけない。
そして仮に領主側が防衛しきったとしよう、飢えた領民達はその頃には死に絶える。
残されるのは満身創痍の領主軍に、手入れする者がいなくなった荒廃した耕作地だけ。
そんな惨状を引き起こして、流石に貴族の地位に就き続けれるとは彼も思わないだろう。
カルメン子爵サイドが取れる選択肢は、喋るたびに消えていく。
短期で終わらせるなら降伏だが、それだけはは出来ない
流石の彼も、殺されるほどに憎まれている実感はあった。
そもそも殺意がなければ反乱ではなく、交渉に来るだろうから。
あまりに取れる手が少ないこの状況に、彼の顔も引き攣っていく。
そうして考えた末に、消去法で残されたのは……
「くっ、仕方ないか。
領軍と教会に連絡しろ、我らだけでラカンを出て王都へ向かうと」
「承知いたしました。我々はどうすれば……?」
「お前らは残っていても殺されないだろうから残って、彫像だけは傷つけられないように見ておくのが仕事だ。
……ああ、そうだ。 馬車に金貨を詰め込んでおけ、それも持っていく」
その命令には、伝令役の文官も一瞬不服そうな表情を見せる。
彼らも領主のお零れに多少預かっていた。
だから決して潔白という訳ではなく、そうなると身の安全は保証されていない。
とはいえ一緒に着いて行っても戦場の可能性が非常に高いため、正面からは言わず。
ただ脳内で、ほとぼりが冷めるまでラカンのどこに潜伏するかを考えていた。
資金に関しては、大量の金貨から数枚でも抜き取れば生きてはいけるだろう、そう考えて。
そんな事を部下が考えているとは露知らず、彼は命令しては早々に執務室から飛び出ていく。
向かった先は屋敷の資料室。
その一角に保管されていたのは、
「流石に持ってなきゃな」
今回の騒動の元となった契約書、その原本だ。
これをあちら側に手に入れられると、不当にバックを貰っているのがバレてしまう。
その事実は反乱軍を有利にはするが、こちらを有利にはしてくれない。
そんな爆弾を屋敷に置いておく訳にはいかなかった。
懐に丸めて入れ、今度は別の部屋で使用人の助けを借りて甲冑を身につける。
他国との国境線から程遠い内陸国のカルメン領、当然初陣など済ませていない。
そのため今回の騒動が彼にとって初めての戦いであり、この甲冑の初めての出番であった。
用意された馬車に、金貨と一緒に乗るのもいいがその選択肢は取らない。
きっと重くて動きが悪いから……最悪1人ででも逃げられる様に。
そんな理由で彼は、自身で乗馬する。
もう屋敷の正門前にはカルメン領軍が待機し、指示を待っていた。
奥の方には白いローブに全身を包み、金で縁取られた十字架を首からぶら下げる者達も。
それは教会関係者しか身につけることの許されない服装である。
「私達はこれから王都へ向かい、第一王子シュタイン様の助力を乞う。
道中武装した反乱軍もいるだろうが、全て無視で行く。
落馬したら置いて行く故、振り落とされない様に」
『はっっ!』
こんな状況でも付き従う領軍。
彼らは少なからず甘い蜜を吸っていたり、曽祖父の代から仕えていたりする。
そんな何かしらの深い関係のある人間達に、断るという選択肢はもうなかった。
ただ、そもそもそちらを選ぶ様な人間は、もう領軍からとっくに抜けているというのもある。
もう、後戻りは出来ないのだ。
彼らも積極的に刃を民へ振るいたい訳でもないが、情け容赦はない。
この世界で武官を選ぶ人間は、少なからず弱肉強食の理念に賛同しているから。
「行くぞッッ!!」
そうしてカルメン領軍600、教会からの派遣10人、金貨を乗せた馬車を操る御者1人に……領主ブナイフ。
総勢612人の軍勢が、領都ラカンから逃走を図るのだった。
「う〜ん。北へ行くみたいだし、王都が目的地かな?」
「事前に話を聞いていた通り、600とちょっとぐらいですわね」
「そうだね、なら計画は……3番かな」
領都ラカン、そこを唯一見下ろせるこの丘。
このカルメン領に住む者なら全員知っている場所である。
そうして上から軍の動きを見ながら……全軍へ、その情報を伝達した。




