事件の引き金
時は、眩しく日差しが照りつける灼熱地獄の様な月。
この時期が麦の収穫時期だ。
ただ大切に育てられ、立派に実った麦はカルメン領民が収穫したモノだが、パン1つ分も口にしてはいけない。
この収穫された麦の権利は、育てた彼らのものではないのだから。
それは遠い、遠いアルバス王国へ運ばれていく。
終わりの見えない馬車の列、それを彼らは見送ることしか出来なかった。
「敵襲ッッッ!!」
緑豊かなカルメン領。
物資を輸送する際には左右を森に囲まれている様な、襲う側にとって有利な地形が多数存在する。
とはいえ今までは賊など殆ど現れなかった。
そもそも賊はその領地で食うに困らないと出てこないのだから。
もはや商人にとっては、カルメン領で賊に襲われるなんて雷が当たるぐらいの確率だと、そう思われていた。
……今までは。
けれども、現実はどうだ。
同業者が襲われたと聞いて、腕利きを3人も雇ったが一瞬で制圧された。
数が……圧倒的過ぎた。
身ぐるみは剥がされなかったが、積荷は全て奪われてしまった。
護衛代と奪われた積荷代で、大赤字は間違いなし。
そして軽くなった荷物で元の街へと、護衛を含めて4人で戻るしかない。
道中、ふと振り返る。
今まで苦楽を共にした馬車へ群がる人集り。
10人、20人……いやもっとだ。
その瞬間に理解した。
この領に……食糧を運ぶのは不可能だと。
「これで、良かったのでしょうか……」
「……これも作戦の内だ、我慢してくれ」
民間人を守るために、領軍の騎士になった男。
そしてその時は辞める方が正義だと思って領軍から離れた。
だけども、結果として理想と現実のギャップに苦しむ事となってしまう。
それは、上に立つ者も同じ。
敵になら兎も角、相手はただの平民なのだから。
「……信じてるぞ、ザック」
だから彼には、この作戦の立案者に願いを託すしか無かった。
「麦が値上がりしている……だと?」
「は、はいっ」
カルメン領都のラカン、そこに設けられた領主の館。
その中の執務室にて、報告は行われていた。
報告を行うのはまだ若い文官の1人。
冷汗を流しながら立つ彼は、上司達に仕事を押し付けられた結果だった。
どう考えても……貧乏くじを引くのが間違いない仕事だから。
「それは、どれぐらいなのだ?」
「しっ、試算したところ、3倍ほどと思われ……ひぃっ!」
ゴンッッッ!!
報告の最中、彼は思い切り机へ拳を振り下ろす。
一品モノで彼の祖父の代から受け継がれてきた机だが、この程度の衝撃を与えても壊れる事は無い。
貴族にしては珍しくその手に何も嵌めていないが、そんな事は霞んでしまう。
彼の名はカルメン領現領主、ブナイフ・ド・ラ・カルメン。
茶髪をオールバックにし、気難しそうな顔した男だ。
そして……ハーティアと同年代、というルイス王国最年少領主であった。
そんな彼は、片手で顔の半分を覆い隠す様な仕草をしながら、
「何故……そんなに高騰している?」
「どっ、どうやら賊が現れている様でして…食糧を始めとする物資が奪われております。
商人達もこちらの足元を見て、値段を吊り上げている様でして……ひぃっ」
再び振り下ろされた拳。
そして、思い切り髪をかきむしる。
セットされていた筈の髪はグシャグシャとなり、もう寝癖と見分けがつかない。
「……軍は?」
「派遣しましたが、あちらが上手だった様でして……」
これ以上怒らせたくない、だけども沈黙は出来ないし……そんなジレンマに襲われ、言葉はモゴモゴとなってしまう。
「ああ、もういい。それ以上聞きたくないから」
「申し訳ありませんっ」
もうブナイフは許容量を超えてしまったのだろう、聞かない事を選択した。
この場にいる若い文官に何故謝っているか?と問いを投げかけても、きっと答えられないだろう。
そんなカオスな空間が展開されても、話はまだ終わらない。
「予算はっ、足りるのか?」
「……試算によりますと民が節約して1日2食ほど、だそうです。
その結果には、つい彼も閉口してしまう。
このカルメン領は、王国内でも屈指の収穫量を誇っている。
だから、大陸で見ても珍しく3食しっかりと食べる事が出来ていた。
そんな中質素な2食への変更は、彼がどう考えても不満を招くだろう。
「……しょうがない、三ヶ月ほどは我慢してもらおう。
今すぐ軍全てを出して、その賊とやらを鎮圧させよ」
「しっ、承知致しました」
そうして彼の命令を受けて、文官はそれを伝えるべく退出していった。
この部屋に残されたのはブナイフ、ただ一人。
「……しょうがないだろ。シュタインに払わないといけないんだから」
誰も聞くことのないそんな独り言。
そうカルメン子爵は、第一王子シュタイン派。
ハーティア・ド・ラ・バタイユとの婚約破棄後、シュタインはバタイユ侯爵家と距離を置かれていた。
だからこそ、その負担は派閥内で二番目に金を生み出すカルメン子爵家へと重くのしかかる。
元はといえば、婚約破棄したシュタイン王子が悪いのだ。
あんな強引なやり方で、しかもバタイユ侯爵家と距離を置くなんて。
彼も卒業生の一員として参加していたが、あの瞬間に酔いは覚めてしまった。
最前列だったからハーティアが退場の際に拍手をせずに抗議、なんていう選択肢もないし……。
そんな彼の恨み節は、堰を切った様に溢れ出す。
それにもし陣営が負けた場合、なぜあの時止めなかったのだ!と言われ続けるのだと思うと、気が滅入っている様だ。
こんな事になるならば、あの時止めとけば……なんて後の祭りでしかなく、
「はぁ……」
つい、彼の口から溜息が零れ落ちた。
きっとシュタインは、バタイユ家との関係を金で解決しようとするかもしれない。
侯爵家の協力を取り付けるなんて、幾らあっても足りないとは思うが、手札が多くて困る事はない。だろう。
だからこそ、この状況では銅貨1枚でも無駄には出来ないのだ。
外に置かれている高価な彫刻、あれはこの国で一番の腕を持つ職人の作品だ。
そんな代物が何個もあるが、それは彼の新作をカルメン家が全て買い占めたからである。
あの彫像の並びは、ほんの少しでも良いから買った値段より高く売れないか?という涙ぐましい努力の成果であった。
本当は屋敷に入れて絶対に雨風が当たらない様にしたいところだが、大き過ぎて不可能。
お金は使えず、簡易的な天幕に収まっていた。
地球の記憶を持つキース、彼がその真実を知ったらこう言うだろう…
「異世界転売ヤー?」
と。
そんな彼は、静かに窓の外に向かって祈り始める。
領軍が賊を全て駆逐します様に……
彫刻が無事値上がりします様に……
その祈りに領民の生活の安寧は含まれていないが、それを指摘する者も誰一人としていない。
そして……そんな人間の願いを聞き遂げる様な存在も、誰一人としていないのだ。
「はぁ!?このパンとリンゴで銀貨1枚!?
ぼったくりじゃねぇかッッ!」
「……食料が全く入ってこねぇんだからしょうがねえだろ。
別の他の店に行ってもいいが、大して変わんねえと思うぞ?」
「まじかよ、じゃあこれからどうやって食ってけば……」
平民達に配られたのは、1日の食事代銀貨1枚。
その瞬間だけは、不満に思っていた彼らもそれは消し飛んだだろう。
だって今まで食べていたパンが、1つで銅貨3枚分。
単純計算で1日33個、そう思っていたら2つ買って財布は空になったのだから。
ただ彼らが思っていた価格、それは小麦を自分達で収穫し食べていた時代の価格である。
それが全て領地から消え、外からの供給がほぼ途絶えたのなら、こんな値段にもなってしまうだろう。
そしてもちろん、麦以外を生産している者も多くいる。
だから恩恵を……とは中々いかないものだ。
確かに値上がりはした、だが普通に自分達で食べるだろう。
今お金を手に入れたとしても、毎日値上がりしていく光景を見せられれば、とんでもなく安売りした気分にもなってしまうのだから。
その結果、麦以外も出し渋られる様になる。
そんあ状況に置かれたカルメン領民はどう考えるだろうか?
……今、この瞬間全財産を使ってでも買った方が安いのでは?そう考えるだろう。
そして買い占められ、更なる値上げを引き起こす。
もう銀貨1枚程度では……パン1つ買えやしない。
領外に住めばいい?
先祖代々の土地を簡単に捨てられるわけがない。
今から育てる?
それが口に入る頃には餓死しているだろう。
誰が……悪い?
「領主だ……」
「アイツが、売り渡さなきゃ食べていけた……」
「今年も豊作だったんだぞ!?」
その黒くて真っ当な感情は、領地中に蔓延していく。
それを手助けする者達は暗躍し、その感情を更に煽って増幅させていた。
だが彼らがその真実を知っても、もう止まらないだろう。
だって、食べ物がないんだから。
これまでは傍観を貫いていた領民も、その重い腰を上げざるを得なかった。
動かないといけない、まだ身体が動く内に……。
そうして女、老人問わず……全5000人の参加者が、『錆鎌』の旗の下へと集結したのだった。




