第六章 見てくれる人
私を課長に登用してくれた本部長は、やがて理事のまま六十歳を迎えた。
それ以上はなかった。
役職は外れ、第一線から退いた。
当時の私は、それを深く考えなかった。
定年に近づけば、そういうものだろうと、どこかで軽く受け止めていた。
だが本当は、違っていた。
その人は、私を見ていた。
数字だけではない。
仕事の進め方や判断の癖、現場での動き方。
言葉にしない部分まで含めて、評価してくれていた。
だから私は、引き上げられた。
だが当時の私は、それを自分の実力だと思っていた。
見られていることと、評価されていることの違いを、理解していなかった。
本部長が現場を離れたとき、
その「目」も同時に消えた。
だが私は、それに気づかなかった。
会社は同じで、仕事も続いている。
評価もすぐには変わらない。
だから何も変わっていないと思っていた。
だが実際には、決定的なものが失われていた。
自分を見てくれる、力のある人間がいなくなったという事実。
その意味を、私は考えなかった。
いや、考えようとしなかった。
人は、正しいことをしていれば報われる。
そう信じていたからだ。
誰が見ていようといまいと、関係ない。
評価は、どこかで正しくなされるはずだと。
だが現実は違った。
組織の中で評価されるということは、
「誰かに見られている」ということと、切り離せない。
どれだけ正しいことをしても、
それを評価する人間がいなければ、意味を持たない。
私は、その当たり前の事実を知らなかった。
そして、知らないまま進んでいった。
自分は見られている。
評価されている。
だから、このままでいい。
そう思い続けていた。
だが実際には、私はもう、見られていなかった。
そのことに気づくのは、
もう少し先のことになる。




