第二章 灰皿のある職場
私の上司たちは、いわゆる団塊の世代だった。
「五時から男」という言葉が、まだ誇らしげに使われていた時代だ。
日中は仕事をこなし、ゴルフと酒で人間関係をつくる。
商談は会議室だけで完結せず、むしろ店の席で決まることの方が多かった。
彼らは、よく飲んだ。
そして、よく怒鳴った。
今で言えば明らかに行き過ぎた言動も、当時は珍しくなかった。
厳しさは指導であり、強さは正義だった。
それがこの会社の“普通”だった。
コンプライアンスという言葉は、まだ遠い場所にあった。
何が許されて、何が許されないのか、その線引きは曖昧だった。
いや、そもそも線引きなど存在しなかったのかもしれない。
職場の風景も、今とはまるで違う。
私の机の上には、灰皿があった。
電話と黒いお道具箱と電卓。
それが仕事道具のすべてだった。
煙草の煙が、部屋の空気を常に薄く曇らせていた。
電話は鳴り続け、書類は紙で積み上がる。
インターネットも、携帯電話も、まだ身近なものではない。
情報は、人が運んでいた。
上司は、そのやり方で結果を出してきた人たちだった。
だからこそ、自分たちのやり方を疑わなかったし、疑う必要もなかったのだと思う。
私は、そんな彼らをどこかで軽く見ていた。
古い。非効率だ。感覚的だ。
自分はもっと合理的にできるはずだ、と。
だが同時に、その世界に適応しようともしていた。
酒の席に顔を出し、場の空気を読み、
理不尽な叱責にも表情を変えずに耐える。
それが仕事だと、教えられたからだ。
そして気づけば、私もまたその空気の中で呼吸していた。
バブルが弾け、世の中は静かに冷え込んでいった。
先の見えない不安が、社会全体に広がっていた。
だが会社の中だけは、どこか時間が止まっているようだった。
古いやり方と、古い価値観。
それでも組織は回り、仕事は成立していた。
だから私は、疑わなかった。
このやり方でいいのだと。
この世界の中で結果を出せば、それが正しいのだと。
そしてその確信は、
やがて別の形で、私の前に立ちはだかることになる。




