第二十二章 コロナ禍
だが、大阪ですべてが順風満帆だったわけではない。
大阪の長の、その上には――
あの成り上がりがいた。
取引先から天下ってきた男。
人を見下し、
相手によって態度を変え、
上には媚びる。
私は、最後まで好きになれなかった。
そして向こうも、私を嫌っていたと思う。
いや、警戒していたのだろう。
私は従わない。
空気を読まない。
“承知しました”が言えない。
成り上がりにとって、一番扱いづらい種類の人間だった。
だから私は、否定され続けた。
会議でも。
人事でも。
評価でも。
成果を出しても、どこかで必ず釘を刺される。
そんな日々だった。
ある時、奴は私にこう言った。
「三年で本社に帰れると思うなよ」
冗談ではなかった。
本気だった。
つまり、お前は大阪で終われ――
そういう意味だった。
私は何も言い返さなかった。
もう若くなかった。
私は五十歳手前になっていた。
そして、この頃には少し分かっていた。
自分は、“見てくれる人”がいて初めて引き上げられてきた人間なのだと。
課長登用の時は違う。
あれは現場叩き上げの理事だった。
私を最初に引き上げてくれた人。
数字も見る。
現場も知っている。
そして、人を見る人だった。
私の荒さも、生意気さも、空気を読まないところも知っていた。
それでも使った。
だから私は、あの人には恩がある。
だが、その後が違った。
二度目の大阪勤務へ戻してくれ、再婚問題で「会社に遠慮するな」と言った社長。
そして後に次の社長になる人物。
彼らは皆、親会社側の人間だった。
現場の競争を勝ち抜いてきたというより、もっと広い視点で会社を見ていた。
だから私のような、扱いづらいが現場で動く人間も理解できたのかもしれない。
一方で、社内で私を否定し続けたのは、内部競争を勝ち抜いてきた人間たちだった。
悪ハゲ。
成り上がり。
YESマンたち。
彼らは、“組織の中でどう勝つか”を知っていた。
私は最後まで、それが苦手だった。
全部まともに受ける。
全部正面から戦う。
だから消耗する。
そして気づけば、“扱いづらい人間”になっていた。
そんな中、時代は動いていった。
あの常務は退任した。
私を抜擢し、
そして切った男。
結局最後まで、私はあの人を理解しきれなかった。
残ったのは、悪ハゲと成り上がりだった。
だから私は思っていた。
この二人がいる限り、自分に日の目はない。
悪ハゲは陰で人を落とす。
成り上がりは力で蓋をする。
その構図が変わらない限り、何をしても評価は覆らない。
そして、私の味方だった社長も退任した。
正直、不安だった。
これで完全に終わったかもしれない。
そう思った。
だが次に来た社長も、親会社からの人間だった。
しかし、その人は――味方だった。
私は少し驚いた。
なぜ親会社側の人間は、私のような人間を評価するのか。
今でも完全には分からない。
ただ少なくとも、彼らは現場を見ていた。
数字だけではなく、人を見ていた。
だから、扱いづらくても現場で動く人間の価値を理解できたのかもしれない。
そんな閉塞感の中で、大阪の長が本社へ復帰することになった。
理事として。
私は、素直に嬉しかった。
この人なら当然だと思った。
そして、その人事が私の転機になる。
まもなく、世の中はコロナ禍に入った。
街から人が消えた。
営業も止まった。
会社全体が混乱していた。
誰も経験したことのない時代だった。
そんな中、大阪の長から連絡が来た。
「本社へ来ないか」
私は少し驚いた。
悪ハゲと成り上がりがいる。
当然、簡単に通る話ではない。
だが彼は、私を必要とした。
理由は分かっていた。
混乱期だったからだ。
こういう時、組織には“従順な人間”より、現場で動ける人間が必要になる。
私は、その役目だった。
正直、嬉しかった。
まだ必要としてくれる人がいる。
それだけで、人は救われる。
そして私は、ようやく少しずつ分かり始めていた。
組織で上へ行く人間は、単に仕事ができる人ではない。
経営者が、“使いやすい”人間なのだ。
いや、もっと正確に言えば――
経営者の判断時間を減らせる人間。
「あいつに任せれば大丈夫だ」
そう思わせる人間。
私は長い間、それを軽視していた。
正しければ評価される。
成果を出せば認められる。
本気でそう思っていた。
だが現実は違った。
経営者は、毎日膨大な判断を抱えている。
問題。
人事。
数字。
トラブル。
その中で、“扱いづらい正論屋”は疲れるのだ。
正しいかどうかではない。
手間がかかる。
私はそこを理解していなかった。
自分は会社のために動いている。
現場のために動いている。
その気持ちは本物だった。
だが、経営側から見れば、
「また何か揉めるのではないか」
という存在でもあった。
一方で、出世していく人間たちは違った。
根回しをする。
事前に話を通す。
落としどころを作る。
経営者が判断しやすい状態にして持っていく。
私はそれを、
「ずるい」
「政治だ」
と思っていた。
だが違ったのかもしれない。
あれもまた、能力だった。
もちろん、YESマンになりたかったわけではない。
悪ハゲや成り上がりのようにもなりたくない。
だが少なくとも、
“自分を上げてくれる行動”
“経営者の負担を減らす行動”
が必要だったのだ。
私は最後まで、それが下手だった。
全部真正面から持っていく。
全部正論でぶつける。
だから疲れさせる。
そして、敵を作る。
五十歳手前になって、ようやくその意味が分かり始めていた。
私は組織に向いていなかったのかもしれない。
だが、それでも時々、私を見てくれる人がいた。
だから私は、完全には壊れずに済んだのだと思う。




