第十章 異常の中の均衡
私は部長代理となり、その部門に入った。
上にいたのは、異常な部長だった。
最初の数日で分かった。
ここは、これまで自分が知っていた職場とは違う。
毎日が張り詰めていた。
数字がすべてだった。
達成していれば許される。達成していなければ、何も許されない。
年次休暇でさえ例外ではなかった。
成績が悪ければ、休む資格はないという空気があった。
若い社員が、涙をこらえながら私のところに来た。
休みを取りたいが、言い出せない。
その顔は、疲労ではなく、恐怖に近かった。
ある日、主任の妻が産気づいたという連絡が入った。
だが部長は、こう言った。
「あいつ、予算はできているのか」
私は答えなかった。
無視した。
そのとき、この人とは根本的に違うと理解した。
だが同時に、この部門が結果を出している事実もあった。
だから、このやり方は許されている。
あるいは、見て見ぬふりをされている。
部長は、私を気に入っているようだった。
「お前は分かっている」
「同世代のあいつには負けるな」
そう繰り返した。
後任として見ているのだと、すぐに分かった。
だが私は、その先を引き受けるつもりはなかった。
このやり方を続けることに、意味を見出せなかったからだ。
部長代理は、もう一人いた。
彼は、あの常務の子飼いだった。
部長の傘下にいながら、視線は別の場所に向いている。
この部門の中で、唯一、外とつながっている存在だった。
扱いにくい男だった。
だが、この状況を動かすには、欠かせない存在でもあった。
私は考えた。
正面からでは変わらない。
ならば、外から動かすしかない。
あの常務の意図と、自分のやろうとしていることは一致している。
少なくとも、そう見えた。
だから私は、その線を使うことにした。
だが、それは常務のためではなかった。
部下のためだった。
そして、会社のためだと思っていた。
このままでは、不正が起きる。
いや、すでに起きていてもおかしくない状態だった。
数字を追い込まれ、逃げ場を失い、
やがて線を越える。
そういう空気が、確かにあった。
だから止める。そのために動く。
私は、そういう論理で自分を納得させていた。
だがそこに、ズレがあった。
あの常務は経営者側であることを忘れていた。
会社は営利で動く。
何を優先し、何を切り捨てるか。
その判断をする立場にいる人間だった。
一方で私は、部下を守ることを優先した。
現場の正しさを守ることを優先した。
その結果、会社としての優先順位を、どこかで落としていた。
同じ方向を向いているようで、
見ているものは違っていた。
だが当時の私は、それに気づかなかった。
正しいことをしている。
だから問題はないと、信じていた。
そして私は、動き出した。
部下と会社のために。
そのつもりで。
その選択が、何を変え、何を残すのかも知らずに。




