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第九章 見られる側の条件

常務について、思い出したことがある。


というより、思い出してしまった、という方が近い。


その常務は、私が新人研修で配属された先にいた課長だった。

事業部が違っていたため、その後に接点はほとんどない。

だが最初の印象だけは、妙に残っている。


酒が弱い男だった。


打ち上げの席で、すぐに顔が赤くなり、言葉数も減る。

周囲が盛り上がっていても、どこか一歩引いている。

無理に輪に入ろうとする様子もない。


口数は少なく、話も面白いとは言えなかった。


当時の私は、そういう人間を評価していなかった。


場を回すわけでもなく、強く引っ張るわけでもない。

いわゆる「出来る人間」のイメージからは外れていた。


だから記憶の中でも、重要な人物ではなかった。


それが、二十年近く経って、常務になっていた。


正直に言えば、意外だった。

そして同時に、どこか腑に落ちない感覚もあった。


――あの人が、なぜ。


だが本来は、逆だったのかもしれない。


私が知らないだけで、彼は積み上げてきた。

目立たず、騒がず、だが確実に、組織の中で位置を築いてきた。


少なくとも、私の知っている彼だけが、彼のすべてではなかった。


その常務が、私に興味を持った。


理由は分からない。

評価されたのだと、私は単純に受け取った。


だが同時に、別の感覚もあった。


見られている。


それまでとは違う視線だった。

過去ではなく、今の自分が試されているような、そんな感覚。


その理由には、おおよそ見当がついていた。


成績優秀な、ある部門。

数字は出ているが、そのやり方には問題があった。


過度な成果至上主義。

顧客よりも数字を優先する姿勢。

そして、行き過ぎた指導。


今なら許されないようなことが、当時は平然と行われていた。


私は、そのやり方を嫌っていた。


不正に近いものもあった。

少なくとも、自分が是とする仕事ではなかった。


だからこそ、そこに私が送り込まれる。


そう考えた。


常務にとっては、歪みを正すための一手。

問題を表に出さずに是正し、なおかつ成果を落とさない。


そのための人選。


そして私にとっても、その役割は受け入れられるものだった。


正すべきものを正す。

会社のためになる。


利害は一致していた。


だがそれは、同じ方向を向いているというだけで、

同じ場所に立っているという意味ではなかった。


私は、常務のために動くつもりはなかった。


会社のためにやる。

正しいことをやる。


それだけだった。


だから、引き受けた。


だがそのとき、私は一つの言葉を使わなかった。


「承知しました」


その一言を、私は口にしていない。

心の中でも、していなかった。


私は納得していたわけではない。

ただ、自分の正しさと一致していたから、動いただけだ。


相手の意図を受け入れたわけではない。

自分の判断で選んだに過ぎない。


それでも仕事は進む。

成果も出る。


だから問題はないと考えていた。


だがそこには、決定的な違いがあった。


常務は、組織の中の役割として私を見ていた。

私は、自分の正しさの延長としてその役割を見ていた。


同じ仕事をしていても、立っている場所が違う。


そのズレは、小さいようでいて、確実に存在していた。


だが当時の私は、それに気づかなかった。


同じ方向を向いているのだから、問題はない。

そう思っていた。


そして私は、その部門へと向かっていった。


見られていることの意味も、

承知するということの意味も、理解しないままに。

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