アルベルトの願い
「子供相手の八つ当たりだなんて思っていません。それから……あなたが言ったそれは、未練でも、惨めな悪あがきでもありませんよ」
「……何?」
男が怪訝そうに、けれど今度は牙を剥くことなく、静かに私を見上げた。私はその乾いた瞳を真っ直ぐに見つめ、前世の臨床で何度も見てきた『医学の事実』を告げる。
「失ったはずの手足が疼く、剣を握れと身体が覚えている――それは、あなたの脳と神経が、今も必死に『騎士』として生きようと機能している証拠です。心が未練がましいからではなく、あなたの身体が、まだあなたを騎士として生かそうと正しく戦っているんです。持ち主であるあなた自身が諦めても、あなたの身体は、騎士としてあることを諦めていません」
「……。身体が、戦っている……?」
男は呆然と呟き、自分の残された左手を見つめた。
ただの惨めな妄執だと思い込み、誰にも言えずに一人で抱え込んできた痛みを、11歳の少女が「正しい生存本能だ」と、あまりにもあっさりと肯定してみせたのだ。
「私には、あなたの欠損した手足を、今すぐ元通りに生やすような奇跡は起こせません。でも、その『悪あがき』をしているあなたの身体が、これ以上歪んでボロボロにならないように、支えるお手伝いならできます」
私は彼の健常な左腕と右足、そして腰のあたりへと視線を落とした。
「右腕と左足がないせいで、全身のバランスを取ろうとして、残された筋肉が悲鳴を上げています。特に右の腰から太ももにかけて、筋肉が強張ってしまっているわ。このままだと、歩くことすら辛くなって来ますよ?」
私が男の身体の『過負荷』をズバリと言い当てると、男はついに、完全に毒気を抜かれたように大きな息を吐き出した。
「……参ったな。身体の歪みまで見抜かれているか」
「伊達にこの部隊の隊長はやっていません。これからは、ここに来たら私に声をかけてください。強張った筋肉を効率よく伸ばす、特別な『柔軟体操』を教えますから。……それから、身体が冷え切っていますよ」
私は訓練所の奥にある、騎士専用の大きな大浴場の方角を指差した。
「せっかく訓練所まで足を運んだのですから、帰る前にあそこの浴場に入っていってください。温かいお湯に浸かって血行を良くすれば、その身体の強張りも、失った手足の『疼き』も、少しは楽になります。お風呂から上がったら、私のところへ来てくださいね」
的確かつ温かい医療者としての指示に、男はしばらく沈黙した後、どこか吹っ切れたような、人間味のある苦笑を浮かべた。
「……徹底的だな、聖女様。いや、部隊長殿、か。……ギャラードだ。」
「……ギャラードさん。お風呂、ゆっくり浸かってきてくださいね」
私は微笑みを浮かべて、彼の背中を見送るのだった。
お風呂から上がってきた彼に、私は残された左腕と右足の負担を減らすための簡単なストレッチをいくつか指導した。
彼は最初こそ「子供のお遊戯のようだ」と苦笑いしていたけれど、実際に縮こまっていた筋肉が伸びて身体が軽くなると、「……ほう」と感心したように、どこか嬉しそうな顔をして帰っていった。
(よし、まずは第一歩。あの頑なな心が、少しでもリハビリで前を向いてくれればいいけれど)
私は今日のカルテを整理するため、救護室へと戻ってきた。
「シェラ、閣下が執務室でお呼びだ」
戻るとすぐに、ヴォルクスにそう告げられ、私は少し首を傾げながらも領主執務室へと向かった。
コンコン、とノックをして部屋に入ると、夕陽が差し込む室内のデスクで、アルベルトがじっと私を待っていた。その金色の瞳には、昼間の凛々しさとは違う、どこか哀愁を帯びた重い光が宿っている。
「――シェラ、急に呼び出してすまない」
アルベルト閣下は低く落ち着いた声でそう言うと、デスクの上の書類から視線を私へと移した。
「……今日、訓練所でギャラードに会ったらしいな」
私は、先ほど初めて会った男の名前を突然言われ、少し驚いた。
アルベルトと何か関わりがあるのだろうかと思いながら、私は言葉を紡ぐ。
「はい。お身体の強張りが酷かったため、救護所のカルテに登録し、ストレッチを指導しました。……閣下、あの方は」
「ああ、俺とヴォルクスの命の恩人だ」
アルベルトは自嘲気味に微笑んだ。
「父が殉職した4年前の、魔の森の遠征で、俺たちを逃すために1人で殿を務め、身を挺して魔獣を食い止めたのが、先代の副騎士団長だったギャラードだ。俺たちの剣の師でもあった。あの凄まじい戦いの中で、右腕と左足を根元から失い……騎士としての未来のすべてを奪われた」
アルベルトの声が、苦痛にみしりと軋む。
「あの人は誇り高い騎士だった。手足を失い、戦えなくなった己の身体を、受け入れられなかったのだろう。俺は、あの人に命を救われながら、すべてを奪ってしまったんだ。どんな顔をして会いに行けばいいのか、俺には分からなかった……」
強大な領主であるアルベルトが、まるで迷子の子どものように、痛切な後悔を吐露していた。
ギャラードの「あいつらが羨ましい、自分が惨めだ」というあの絶望の叫びが、閣下のこの深い悔恨と表裏一体なのだと思うと、胸が締め付けられるように痛む。
すると、アルベルトはデスクの引き出しから、古びているけれど丁寧に手入れされた小さな木箱を取り出した。
パチリ、と静かな音を立てて蓋が開けられる。その中に収められていたのは、夕陽を浴びて妖しくも美しく煌めく、精緻な装飾が施されたブレスレットだった。
「これは……?」
私が尋ねると、アルベルトはそのブレスレットを見つめ、私の方へと差し出した。
「魔道具だ。互いにこれを身につけていれば、魔力を帯びている者同士の間で、片方の魔力をもう片方へと直接『受け渡し』ができる、太古の遺物だ」
「魔力の、受け渡し……」
「シェラ。お前は前に言っていたな、膨大な魔力供給が可能な魔道具があれば、欠損を治すことは可能だと」
アルベルトはデスク越しに私の目を真っ直ぐに見つめてきた。その金色の瞳にあるのは、神に縋るような切実な『祈り』だった。
「この魔道具を使って、俺の魔力をお前にやる」
閣下は拳を強く握りしめた。
「あの人の……ギャラードの失われた手足を、直してやってはくれないか」
『神の領域』とされ、不可能なはずの欠損修復。
アルベルトは私が零した、小さな希望に望みをかけたのだ。
手渡されたブレスレットの入った箱は、夕闇の中でずっしりと重く、そして温かかった。
(……欠損修復、か。前世の医学でも成し得なかった、神の領域の治療。でも――)
私の脳裏に、先ほど「ただの悪あがきさ」と寂しそうに笑ったギャラードの顔と、目の前で必死に祈るアルベルトの姿が重なる。
二人の止まってしまった時間を動かせるのは、きっと、私しかいない。
「……分かりました、閣下」
私はブレスレットの入った箱をしっかりと胸に抱き、アルベルトの金色の瞳を見据えて、力強く頷いたのかった。
魔力供給を行う魔道具がようやく出て来ましたね。
よろしければ、お手隙の際にリアクションや評価をぽちっとよろしくお願いいたします。




