騎士団
石鹸がこの村だけでなく、他の村へ少しずつ広まり、「お布施」が潤沢に入ってくるようになったことで、エリオ司祭の懐はかつてないほど温まっていた。そのおかげか、シェラへの八つ当たりのような嫌がらせは、今は幾分か鳴りを潜めている。
(……不労所得が精神安定剤になるのは、どの世界も同じね)
数日間、嵐の前の静けさのような穏やかな時間が過ぎた。
だが、その平穏を破ったのは魔獣の咆哮だった。森の境界が乱れたのか、凶暴な魔獣が村の近くまで頻繁に姿を現すようになり、教会には連日、深い傷を負った村人たちが担ぎ込まれてくる。
事態を重く見た領主館から、魔獣討伐の騎士団が派遣されることになった。
村に駐屯地が設営され、街から応援の騎士たちが次々と到着する。シェラは雑用の合間に、その甲冑の列を密かに盗み見た。
(……あの処置をした『患者』がいるかしら)
だが、あの日森で救った、あの圧倒的な存在感を放つ男の姿はどこにもない。討伐作戦が完了するまで、騎士団の一部はこの村に駐在し、負傷者の管理は教会が担うこととなった。
騎士団が駐在することになり、シェラの仕事は激増した。騎士たちの癒しの手伝い、そして山のような洗濯と清掃。
エリオ司祭は「辺境伯領の騎士を救う名誉」に酔いしれ、意気揚々と癒しの魔法を振りまき、騎士団と共にやってきた老いた癒し手にゴマをすっている。
だが、その実態は相変わらずだ。
(……表面の皮膚だけ繋いで、筋層の挫滅を放置してる。これじゃあ歩いた時に、足に違和感が残るわ)
司祭が満足げに立ち去った後、シェラは「掃除のついで」を装い、負傷した騎士たちの側へ寄る。
「……失礼します。少し、包帯の巻き直しを」
シェラは手早く、しかし確実に司祭の「尻拭い」をこなしていく。創部の状態を「視て」処置が不完全な場所を最小限の魔力で癒す。それは、前世で幾多の手術を支え、術後をみてきた彼女にとって、呼吸をするのと同じくらい当たり前の「看護」だった。
だが、遠くからその手際をじっと見つめる視線があることに、シェラは気づいていなかった。
「……随分と、慣れた手つきだな。お嬢ちゃん」
声をかけてきたのは、駐在している騎士をまとめていた妙齢の騎士と、その後ろに控える騎士団の老人癒し手だった。老人は上質な法衣を纏い、その眼光は隠しきれない理知の色を湛えている――癒し手、ユーリ・フォン・ケラーその人であった。
シェラは動きを止めず、淡々と答える。
「……毎日、司祭様のお手伝いをしていますから。汚れを拭うだけなら、子供でもできます」
「ほう。汚れを拭うだけ、か。……その指先の動き、ただの雑用係にしては『迷い』がなさすぎる。まるで、肉体の構造が最初から視えているかのような……」
ユーリの探るような言葉に、シェラは背筋に冷たいものが走るのを感じた。この老人は、エリオ司祭のような凡夫ではない。
隣の妙齢の騎士が口を開く。
「……少し前、森で、ひどい怪我をした男を見なかったか? 誰かに癒された跡があってな」
シェラは表情を消した。スカイブルーの瞳を伏せ、無知な子供を演じる。
「……森の騎士様なんて知りません。私はここで、司祭様に言われた仕事をこなしているだけですから。失礼します、洗濯物が溜まっていますので」
逃げるようにその場を去るシェラの背中を、ユーリと騎士の視線が射抜くように追いかける。
(もしかして、私なんかやらかした…?)
頭を掻きむしりたい気持ちを抑え、洗濯場へ駆け込む。
その様子に、洗濯場にいた孤児たちに変な目で見られたが、それどころではない。
(…あの騎士、身なりがかなりいい感じだったし、高い位の人なのかなと思ったけど……探されてるってことは、なんかやばいことやらかしたかも…)
私は不安をかき消す様に無心で洗濯物を洗った。
その日から、何となく「見られている」ような居心地の悪い日々が始まった。
薪を拾う時も、灰汁を混ぜる時も、雑用をする時も、どこからか向けられる鋭い観察の気配する。
(…なんてやりずらいの。新人の頃に先輩にずっと直介を見守られている時と同じ感じがする…)
シェラはなんとも言えない気持ちで忙しい日々を過ごして行った。
そして、私はすっかり忘れていた。あの場をレラが見ていて、口止めすることを。
直介:手術時に清潔になり、執刀医、助手にメスなどを渡す役割の人。器械出しと言ったりもします。
清潔というのは滅菌されたガウンや手袋をつけた状態で滅菌されたもの以外は触れないので、新人は先輩に見守り(監視)されながら直介を行うので、緊張で死にそうになります。




