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聖女はすべてを救えない  作者: 右京寺
第1章

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石鹸

あの日助けた男が私を探していることなどつゆ知らず、私はエリオ司祭からの嫌がらせを受け流す日々を送っていた。

嫌がらせは日を追って陰湿さを増し、シェラの分の食事をわざと床にこぼし、冷たい水での雑巾がけを夜通し命じる。だが、9歳の少女の皮を被った「中堅看護師」は、眉一つ動かさずそれを受け流していた。


(……はぁ、毎日毎日暇なのか。癒しの力を持っていることが気に入らないのか、嫌がらせを受け流している態度が気に入らないのか。)


「シェラ、大丈夫?」


疲労困憊状態で今日も孤児院に戻ると、レラと孤児たちが心配そうに集まってきた。


「大丈夫よ、怒る体力の方が無駄だから。ああいうのは、従順に流しておけばいいの」


「そうなの…?」


レラは納得してなさそうにしているが、森でとってきたものを準備してしてくると、調理場へ向かった。


(あんな男より、この季節の変わり目が問題だわ)


孤児院には、慢性的な栄養失調と過密な居住環境という、感染症の火種が転がっており、少しの気温の変化で体調を崩す子出てくる。

案の定、一人が咳き込み始めると、瞬く間に熱を出す子が続出した。

シェラは手持ちの僅かな魔力で重症者の「対症療法」を行うが、それでは根本的な解決にならない。


(……当たり前よね、ナイチンゲールの時代から、基本は『清潔』よ)


水による手洗いや生水を飲まないなどの対策はおこなってきたが、現実は厳しい。

私は石鹸による手洗いを導入しようと考えた。

幸い、前世で読んだ本の中に「手作り石鹸」の工程を見た記憶があった。


(読書が趣味でよかった)


厨房の廃油に、暖炉の灰から抽出した灰汁を混ぜ、不純物を取り除きながら丁寧に攪拌する。数週間の熟成を経て完成したそれは、無骨で不格好な塊だったが、汚れを落とすには十分な代物だった。

見つからないようにせっせと作ってきたのだ。


「レラ、いい? 外から戻ったとき、ご飯の前も必ずこの『石鹸』で手を洗って。爪の間もよ。ほらみんなも。」


「ええっ、これで? ……わあ、泡が出る! すごい、シェラ!」


石鹸による手洗いの徹底と、汚れた衣類の煮沸消毒。

シェラが導入した「公衆衛生」の効果は劇的だった。孤児たちの風邪は瞬く間に収束し、院内はかつてないほど「清潔」な空気に包まれた。

だが、その有益な道具をエリオ司祭が見逃すはずもなかった。


「……ほう、これがお前たちがこそこそ使っている、穢れを落とす聖なる塊か」


 エリオはシェラの手から石鹸をひったくると、あざ笑うように続けた。


「孤児が使うには贅沢すぎる。これは教会の『聖なる施し』として、村人に分け与えてやろう。もちろん、相応の寄進と引き換えにな」


エリオは嘲笑を浮かべ、シェラが作った石鹸を取り上げた。

あろうことか「教会の特製品」として村に売り始めた。さらにシェラには、日常の雑用に加えて「石鹸の大量生産」という重労働まで課した。


(……まあ、いいわ。司祭の懐が温まるのは癪だけど、村の公衆衛生が向上するなら、結果的には私の仕事が減るもの)


シェラは淡々と廃油を混ぜ続けた。

村人たちは、この不思議な塊を「天使の贈り物」と呼び、教会の奥に住むという顔も知らぬ救済者へ感謝を捧げるようになった。



その頃、グレイアム辺境伯領の拠点では、副官ヴォルクスが信じがたい報告書を眺めていた。


「……閣下。例の『森の近くの村』ですが、今年は癒し手の派遣要請がありません」


辺境の季節の変わり目は過酷だ。例年なら、貧しい村々で流行病が蔓延し、癒し手が総動員され、少なからず死者が出るのが常識だった。

特に、アルベルトが負傷した森に近いあの村は、毎年真っ先に悲鳴を上げる場所だ。


「調べたところ、教会が売り出した『天使の贈り物』なるものが、病を堰き止めているとのこと。」


アルベルトは、書類から顔を上げた。

傷口はユーリから癒しを受け既に完治しているが、あの時の感触は、今も鮮明に覚えている。


「……魔法で治すのではなく、病そのものを寄せ付けないか」


アルベルトの濃い金の瞳に、獰猛なまでの光が宿る。


「ヴォルクス、その教会を詳しく調べろ。…病を寄せ付けないなど領として、それは重要な案件だ」


ヴォルクスを部屋から退出させ、執務室の椅子に深く身体を預ける。彼は無意識に自分の大腿部をさする。


「…天使ね」


アルベルトはふぅと息を吐き目を閉じる。

脳裏に焼きついた『色』を消し去ることはできない。


「さて…見つかるか…」


これは、執着なのか好奇心なのか、自分ではわからなくなっていた。


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