火急の知らせ
北の森の中心部を巨大な結界で覆い、ひとまず魔力溜まりの拡大を防ぐことに成功した私たちは、安堵の息を漏らしながら領主館へと戻ってきた。
その道中、アルベルトとレイノルドは、相変わらずどちらが上だの下だのと(周りから見れば楽しそうに)軽口を叩き合っており、遠征の緊張から解放されてずいぶんとリラックスした様子だった。
(これでひとまずは、5年間の猶予ができた。これからの対策をじっくり練らないとね……)
そんな風に、これからの医療体制の強化について呑気に考えていた。
しかし――領主館の重い扉を開けて中に入った瞬間、館の空気は一変した。
「ヴァイス殿!! 王宮より、至急との魔術通信が届いております!!」
ロビーで私たちの帰りを待っていたヴォルクスが、青ざめた顔で駆け寄ってきた。一緒に留守番をしていたユーリも似たような顔をしている。彼らのその尋常ではない慌てぶりに、私たちの間にピリッとした緊張が走る。
差し出された羊皮紙の暗号文を、レイノルドがひったくるようにして受け取った。
素早く視線を走らせた彼の表情が、次の瞬間、見たこともないほど冷酷に抜け落ちた。知的な眼鏡の奥の瞳が獣のように鋭く濁り、長い指先が羊皮紙を容赦なく握りつぶす。
「――っ、やりやがったな、あのクソどもが……!」
聞いたこともないほど低く、地を這うようなドスの効いた声が彼の端正な唇から漏れ出た。周囲の若い騎士たちが、その圧倒的な殺気に気圧されて思わず後退りするほどだ。
ただ事ではない旧友の様子に、アルベルトがすかさず一歩前に出て声をかける。
「……何かあったか。王宮で」
その問いかけに、レイノルドはバッとアルベルトのほうを振り返った。そして、一瞬だけ、その鋭い視線が私のほうへと投げられる。その瞳には、隠しきれない焦燥と激しい怒りが渦巻いていた。
「……急ぎ、王都に戻る。あの老害ども、僕がこの領地へ出向いて不在の隙を狙って――『聖女召喚』を強行したらしい」
「なんだ……と……!?」
アルベルトが、絶句した。あの冷静沈着なアルベルトが、これほどまでに目を見開いて衝撃を受けている姿を見るのは初めてだった。
一方、私はその耳慣れた、けれどこの世界では聞いたことのなかった単語に、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けていた。
(聖女召喚……!? それって、前世のネット小説とか本の中でよくあった、あの……!? この世界で、本当にそんな大魔術が可能だったの……!?)
元・日本人としての知識が、警鐘を乱打する。もしそれが本物の『召喚術』だとしたら、どれほどの膨大な魔力、それとも、人を代償としたのかーーー。
(召喚された人の身体的・精神的負担も計り知れない…)
「詳しいことは、戻ってみないと分からない。とにかく僕は、今すぐ王都へ発つよ」
レイノルドは握りつぶした羊皮紙を床に投げ捨てると、すでに王宮筆頭魔術師としての顔になっていた。
「ああ。……何かこちらの領地でできることがあれば、何でも言ってくれ」
「助かるよ、アル」
レイノルドの言葉に、アルベルトは深く厳粛に頷いた。
アルベルトはすぐにヴォルクスと騎士たちに命じ、レイノルドの帰還準備を全力で手伝わせた。文字通り息をつく暇もないほどの強行軍で、王宮筆頭魔術師はその日のうちに、嵐のようなスピードで王都への帰路に就いたのだった。
嵐のように去っていったレイノルドを見送った後、私たちは再びアルベルトの執務室へと集まっていた。
数日前、同じメンバーで呑気にレイノルドの歓迎(?)をしていた時とは、完全に空気が違う。室内は、まるですべての音が吸い込まれてしまったかのような、異様で重苦しい静寂に包まれていた。
沈黙を破ったのは、のヴォルクスだった。
「……閣下。そもそも『聖女召喚』とは、一体何なのですか?」
苦虫を噛み潰したような顔で問うヴォルクスに、アルベルトはデスクの背もたれに深く身体を預け、苦渋に満ちた声を絞り出した。
「……詳しいことは、俺も知らん。ただ、『太古の昔、この大陸が魔の霧に覆われ滅びかけた時、異なる世界から大いなる力を持つ聖女を召喚し、世界を救った』という記録が、王宮の古い歴史書にわずかに記されている。……おそらく、王宮の上層部しか閲覧を許されない禁書の類に、その具体的な召喚の儀式が記されていたのだろう」
「そんな御伽噺のような儀式が、現代に……」
ヴォルクスが信じられないといった様子で絶句する。
アルベルト閣下は視線を動かし、ユーリへと目を向けた。
「ユーリ、お前は何か知っているか。王都の貴族ネットワークで、何か噂でも掴んでいないか?」
「いえ。私も閣下と同じことしか存じ上げません」
ユーリはいつもの柔らかい雰囲気を完全に消し、首を振った。
「ただ……先ほどの筆頭魔術師の激昂ぶりを見るに、王宮の上層部は以前からその方法を知っており、計画を進めていたのでしょう。そして、その計画に反対していた――レイノルド・ルテ・ヴァイスが、王都を不在にする瞬間を、今か今かと狙っていたに違いありません」
「……卑劣な連中だ」
アルベルトの手元で、羽ペンがみしりと音を立てて軋む。
執務室に、再び重い沈黙が落ちていく。
(レイノルド様をここに派遣したのは、体よく王都から遠ざけるためでもあったのね……)
私は胸の内で冷や汗をかきながら、ことの重大さを噛み締めていた。
元凶である魔の森をどうにかしようと必死な辺境の地を、王宮の上層部は『時間稼ぎの駒』として利用し、その裏で大魔術を強行したのだ。
その沈黙の中、アルベルトはスッと顔を上げ、金色の瞳に強い光を宿した。
「――とにかく、まずは情報を集める。王宮の上層部が、一体どんな思惑と目的を持って『聖女召喚』を行ったのか、現状ではあまりにも不透明だ。これが我が領に、あるいは国全体に及ぼす影響は計り知れん」
閣下は私たち3人を力強く見据え、毅然と言い放った。
「幸い、魔の森の問題は5年の猶予を得た。我々は魔の森の根本的な解決策を探りつつ、同時に王宮の不穏な動向を探っていく」
「はっ!」
「わかりました」
アルベルト閣下の覚悟に満ちた言葉に、ヴォルクスらユーリらそして私も深く、力強く頷いた。
遠く離れた地で巻き起こった巨大な嵐は辺境の地までも巻き込もうとしていた。
王都で大事件が発生しました。
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