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聖女はすべてを救えない  作者: 右京寺
第3章

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最深部の結界と5年の猶予

数日後、私はレイノルドの要請通り、救護・治癒部隊を率いて北の森へと足を踏み入れていた。

といっても、私たちは最深部への同行ではなく、少し後方に下がった辺りに簡易的な救護所を設置し、待機となった。

アルベルトとレイノルドは、2人で魔素が激しく噴出している所へ観察に向かうことになっている。


「よし、これで簡易的な防壁は完了だ。……うん、上出来だね」


救護所の設営が完了すると同時に、レイノルドは流れるような所作で空間を指先で軽く叩いた。

その瞬間、視界がわずかに歪んだかと思うと、救護所の周囲をぐるりと囲むように透明な光の膜が立ち上がる。


「っ……本当に、魔素が完全に遮断されていますね……」


思わず、肺いっぱいに空気を吸い込んで呟いてしまった。

さっきまで肌をジリジリと刺していたあの重苦しい瘴気が、一瞬にして消え去っている。それどころか、まるで前世の病院にあった、微粒子一つすら存在しない特殊な『無菌病室クリーンルーム』にいるかのように、空気が劇的に清浄化されていた。

私の驚きに満ちた呟きが聞こえたのだろう。レイノルド様は振り返ると、その知的な眼鏡の奥の瞳を悪戯っぽく細めた。


「ふふ、これくらいの結界なら、僕にとっては呼吸をするのと同じさ。いくらでも張れるよ」


端正な顔立ちから放たれる、あまりにも様になりすぎているウインク。


(相変わらず、ねぇ……)


私が内心でそんな冷静なツッコミを入れていた、その時だった。


「――レイノルド、結界を張ったなら早く行くぞ。無駄口を叩いている時間はない」


背後から、氷点下近いアルベルト閣下の低い声が響いた。


「シェラ。いいか、この結界の中ならある程度は安全だ。だが、結界の外には不必要に、一歩たりとも出るな。……いいな?」


「わかりました。閣下も、無理せず……」


私の返答に、アルベルト閣下は満足したように一つ頷く。


「ああ、行ってくる」


背後で「やれやれ」とクスクス笑っているレイノルドを引き連れて、アルベルトは力強い足取りで、森の中心部へと足を踏み入れていった。

2人の背中が濃密な瘴気の向こうへと消えていくのを見送りながら、私はすぐに表情を引き締め、隊員達に指示を出す。


「閣下達がいつ大怪我で戻ってもいいように、準備をしっかりしましょう」


私の言葉に、ハインリヒとルシアンは力強く頷いた。





「――なるほど。君の言っていた通り、なかなかの魔力溜まりだね」


不気味な紫色の瘴気が視界を遮る中、レイノルドは自身とアルベルトの周囲に強固な結界を維持しながら、淡々と歩を進めていた。


「前回、調査に来た時よりも澱みが酷くなっている。……魔力溜まりの範囲も、確実に広がっているな」


アルベルト閣下は油断なく周囲を警戒し、低く冷徹な声を響かせる。


「そこまで侵食の速度が早いのなら、僕の結界で抑え込める時間も、想定より短くなるかもしれないよ」


最悪のシミュレーションを頭の中で弾き出しながら、二人はさらに不気味な静寂が満ちる中心部へと進んでいく。そして、ひときわ濃密な瘴気が渦巻く空間にたどり着いた時、レイノルドが小さく息を呑んだ。


「この辺りだね。……確かに、魔力の濃さが異次元だ」


国最高峰の魔術師である彼が、驚きを隠せないように声を上げる。

最高強度の結界で隔離しているはずの空間の内側にすら、皮膚をピリピリと刺すようなドス黒い魔力の圧力がダイレクトに伝わってくるのだ。


「やはり、元凶は地下だ。地層の奥深くに、莫大な魔力の塊が眠っている」


アルベルトは髪をかき上げ、その『左目』に宿る魔眼を解放していた。


「地下ね……。残念だけど、僕の結界は地表の空間を覆うのが限界だ。地下深くの根源そのものを遮断することは不可能だよ。澱みが最も酷いこの最深部全体をドーム状に覆って、これ以上地上へ魔力溜まりが広がらないように隔離する。現時点では、それが最善だろうね」


レイノルドの分析に、アルベルトは魔眼を細め、静かに頷いた。


「……結界は、どれくらい持つ」


その問いに、レイノルド様は細い指先で眼鏡のブリッジを押し上げ、少し考える仕草をした。


「5年が限界だろうね」


「5年、か……」


アルベルト閣下の口から、重い呟きが漏れる。

5年。それは長いようで、あまりにも短いタイムリミットだ。現状、この未曾有の厄災の種への根本的な解決策は一切見つかっていないのだから。


彼は自らの左手を力強く握りしめ、瘴気の中心を真っ直ぐに見据える。


「5年あれば十分だ。その5年の間に対策を立て、この領地を救う。……それが、領主である俺の役目だ」


退路を断つようなアルベルト閣下の力強い宣言に、レイノルド様は「フッ」とどこか満足げに唇を綻ばせた。


「いい覚悟だ。じゃあ、さっさと引き返して作戦を練ろうか。ここに長居しても、体に悪いだけだからね」


二人は元凶である地下の魔力溜まりに背を向け、緊迫した最深部から、シェラたちの待つ救護所へと向かって足速に歩き出したのだった。




「シェラ隊長!戻ってこられました!」


救護所の外で周囲を警戒していた騎士が、張り詰めた声を上げた。

その言葉に弾かれたようにテントの外へ飛び出すと、森の中から、並び立つ二人の堂々たる姿が見えた。衣服の乱れこそないものの、その表情には最深部の過酷さを物語る疲弊が滲んでいる。

私はすぐに駆け寄り、二人の状態を観察した。


「お二人とも、ご無事で何よりです。――すぐに癒しをかけます」


手際よく魔力を練り上げ、優しく、かつ濃密な治癒の光を二人へと注ぎ込んでいく。光が身体を包み込むと、レイノルドは眼鏡の奥の瞳を丸くした後、すぐにいつものにこやかな笑みを浮かべた。


「おや、素晴らしいね。一瞬で疲れが吹き飛んでいくよ。ありがとう、シェラ」


一方、アルベルトは私の治癒を受け入れながら、視線を最深部の方角へと向けたまま、手短に状況を報告してきた。


「最深部を丸ごと覆うように結界を張る。……ただし、結界の維持限界は、およそ『5年』だそうだ」


「5年、ですか……」


短いタイムリミットに、私の胸の奥がキュッと引き締まる。だが、閣下の瞳には一点の曇りもなかった。

「ああ。その5年の間に地脈を監視、調査し根本的な打開策を練る」


覚悟を決めた閣下の言葉に、私も力強く頷いた。

すると、私の癒しによって、回復したレイノルドが「さて」と、満足げに息を吐いて立ち上がった。


「聖女に癒してもらって万全の状態になったし、仕上げと行こうか」


彼はそのまま、魔力の澱みが酷く渦巻く空間の境界線へと歩み寄る。

知的な眼鏡の奥の瞳が、見たこともないほど鋭く冷徹な輝きを放った。レイノルドが流れるような所作で両手を滑らせ、世界の境界線を拒絶するように、空間を強く叩いた。


――カァン!!!


静寂の森に、硬質な硝子が弾けたような高い音が響き渡る。

空間が一瞬だけ激しく歪み、大地から天へと向かって、巨大な透明な光の膜が立ち上がった。結界は生き物のように急速に広がり、不気味な瘴気を放つ魔の森の木々を、その巨大なドームの中に次々と閉じ込めていく。


「……っ、ふぅ」


結界が完全に閉じると同時に、レイノルドの身体からふっと力が抜けた。


「さすがにこれだけの広範囲を強固に遮断するとなると、結構な魔力を持っていかれたよ……」


額に微かな汗を浮かべる彼が言う通り、結界が完成した瞬間、周囲を満たしていたあのドス黒い魔力の圧力が劇的に薄らいでいくのが肌で分かった。魔力溜まりの広がりがひとまず彼の『盾』によって食い止められたのだ。


「お疲れ様でした。レイノルド様、無理をなさらずゆっくり休んでください」


私はすぐに彼の元へ近づき、素早く二度目の癒しをかけながら、救護所のベッドへ行くよう促した。

すると、ふらついた彼の肩を、横から大きな手がガシッと支えた。

驚いて見上げると、そこにはいつの間にか歩み寄っていたアルベルトの姿があった。普段なら絶対にレイノルドに近づこうともしないアルベルトが、その広い肩を惜しげもなく貸している。


「――さすがだな。見事な結界だ。感謝申し上げる、王宮筆頭魔術師殿」


閣下はまっすぐに旧友を見つめ、領主としての深い敬意を込めて言葉を紡いだ。

肩を貸されたレイノルドは、一瞬だけ呆気に取られたように目を丸くしたが、すぐにいつもの意地の悪い、けれどどこか嬉しそうな笑みを顔に貼り付けた。


「ふはっ、堅苦しいなぁ。そこは『筆頭魔術師殿』じゃなくて、素直に『ありがとう、レイノルド』だろ?」


「フン、貴様にはもったいない言葉だ」


「相変わらず可愛げのない男だね、アルは」


さっきまでのバチバチした険悪さが嘘のように、二人はどこか楽しげに、悪友の顔で笑い合っていた。


その様子を後ろから見守りながら、私は安堵のため息を吐いた。

魔力溜まりを結界で強制的に閉じ込め、5年の猶予を稼ぎました。


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