旧友
「結界で覆うだけだ、シェラを連れていく必要はない。……それに、俺がついていくのだから何かあれば俺がお前を抱えて帰ればいいだけの話だ」
アルベルト閣下はもう怒りを隠そうともせず、地を這うような声で吐き捨てた。
対するレイノルドは、そんなアルベルトの剣呑な様子にもまったく怯むことなく、むしろ獲物を見つけた子供のように楽しげに肩をすくめた。
「やれやれ、じゃあ、もしもの『たられば』の話をしようか。万が一、僕たち2人が中で仲良く毒素にやられて倒れたらどうするんだい? 僕はこれでも王宮筆頭魔術師だ。僕の身に何かあったら国が傾く。バックアップ(癒し手)を用意しておくのは当然の危機管理だと思うけれど?」
「貴様が倒れるようなヘマをするわけがないだろう」
「おや、僕への評価が随分と高いね。光栄だよ」
完全にアルベルトの反応を見て楽しんでいるレイノルドと、青筋を立てて睨み返す閣下。
(……はぁ。本当に、この2人はそりが合わないのね)
もはや子供の喧嘩のようになっている天才たちの応酬を、私は一歩引いたところから生温かい目で見守っていた。
すると、私の隣に、いつの間にか呆れたような足取りでヴォルクス様が近づいてきた。彼は私にだけ聞こえるような低い声で、そっと耳打ちしてくる。
「――シェラ、もう仕事に戻っていいぞ」
「えっ……? でも、まだ会議が……」
「いいんだ。あの2人がああなると、しばらくは話が進まない。……どうせまた近いうちに、お前も魔の森へ行くことになるのは確定路線だ。今のうちに、遠征準備を進めておいてくれ」
心底呆れ果てたようなヴォルクス様の言葉に、私は(お疲れ様です……)と深い同情を込めながら、苦笑いを浮かべて「わかりました」と頷いた。
ふとユーリ様に視線を向けると、彼もまた困ったような苦笑いを浮かべながら、音もなくこちらに歩み寄ってきた。
「私はもう少しここに残って、彼らの手綱を引いておくよ。シェラは先に戻っていてくれ」
「はい。ユーリ様も、ヴォルクス様も、どうかご無事で」
「ああ、ありがとう」
苦労人たちの尊い犠牲(?)に見送られながら、私は静かに踵を返した。
背後から聞こえる「そもそも貴様が――」「おや、僕を呼んだのは君のほうだよ、アル?」というバチバチした声をBGMに、私は今度こそ執務室を退出し、平和な救護室での仕事へと戻ったのだった。
シェラが退出した執務室では、なおも男たちの火花散る応酬が続いていた。
しかし、扉の閉まる音が響いた直後、レイノルドはふっと表情を緩め、先ほどまでの子供じみた煽りとは異なる、酷く冴え渡った声を響かせた。
「……随分と、あのお嬢さんに過保護――いや、執着しているようだけど。あの子に何かあるのかな? ……例えば、君のその『左目』と、何か関係があるとか?」
戯けたような口調の中に、逃げ場のない鋭さを孕んだ質問。
その言葉が向けられた瞬間、アルベルトはピクリと眉を動かし、次の言葉を完全に詰まらせた。
「まあ、王都にまで『聖女』の噂が流れてくるくらいだ。彼女に何か隠された秘密があることくらい、僕にだって分かっているよ。……ねえアル、そろそろ事情を話してくれるよね?」
レイノルドの真摯な要求に対し、アルベルトはなかなか頷くことができない。
沈黙だけが重くのしかかる室内で、レイノルドは小さく肩をすくめ、深い不満を込めたため息を吐き出した。
「はぁ。いくら僕が王宮筆頭魔術師の肩書を背負っているからといって、もう少し旧友を信じてほしいものだね。仮に彼女が特別な力を持っていたとしても、王宮に召し上げるつもりなんてさらさらないよ。……あんな平和に浸りきって、己の利権にしか興味のない『お花畑』のような王宮に、彼女のような人材を放り込む気はない」
レイノルドの美しい瞳が、一瞬だけ、昏く遠い色に染まる。それは王都の濁った権力闘争を間近で見続けてきた、若き天才の、本音の拒絶だった。
その暗い視線を受け止め、アルベルトは張り詰めていた肩の力を少しだけ抜き、諦めたように、はぁ、と一つ大きなため息を吐いた。
「……シェラ自身の魔術は、一般的な治癒とさほど変わりない。魔力量も、少し多いくらいだ。しかし――彼女には、この世界の誰も持たない特殊な『知識』と、『目』がある」
「知識と目……?」
「ああ。それを使って、彼女はこの領地を、領民を、そして俺たちの命を何度も救ってきた。……現に、俺は二度、彼女によって死の淵から引っ張り上げられている。この左目は、その時ものだ」
アルベルトの重々しい説明に、レイノルドは「ふむ……」と顎に手を当てて考え込んだ。
「特殊な知識と、目、か。まあ、そんな出色の逸材、外の有象無象(王都の貴族ども)に出したくない気持ちは、領主としてよぉく分かるよ」
レイノルドは納得したように何度も頷くと、今度はどこか、意地の悪い笑みをその唇に浮かべた。
「――で? それで、彼女とはもう、婚約したのかい?」
「…………」
爆弾のような質問を真顔で突きつけられ、アルベルトは、今度こそ文字通り石のように固まった。
「……なるほど。その様子だと、まだ、のようだね」
石のように固まったアルベルトの反応を見て、レイノルドは「はぁ」と、これ以上ないほど深いため息を吐き出した。呆れと、じれったさが半分ずつ混ざったようなため息だ。
「……あいつは、まだ11だぞ」
アルベルトは視線を気まずそうに斜め下へと逸らし、消え入るような声でぽつりと呟いた。
普段の圧倒的な威厳はどこへやら、一人の少女の年齢を前に、大真面目に苦悩している若き領主の姿がそこにはあった。だが、レイノルドはその言い訳を容赦なく切り捨てる。
「ケラー家の養女となり、貴族令嬢になったのだろう?」
レイノルドは一瞬だけ、書類を整理しているユーリに目線を向け、すぐにアルベルトへと視線を戻して言葉を続けた。
「貴族の令嬢で11歳ともなれば、すでに婚約者が決まっていることなど珍しくもない。何をそんなに大真面目に考えることがあるんだい。早く囲ってしまえばいいものを……」
そう言って、レイノルドは深くソファの背もたれにもたれかかった。
だが、すぐにその双眸に、鋭く冷徹な魔術師の光が戻る。
「それに――アル。君、裏ルートを使って、ずいぶんと『古い魔道具』を取り寄せただろう」
「っ……!」
その言葉が放たれた瞬間、アルベルトは本日二度目の、本気の驚愕に目を見開いて固まった。
「……何故、それを貴様が知っている」
「随分と熱心に、いわく付きの古い魔道具を探していたからね。王都の闇オークションや商人の間でちょっとした騒ぎになっていて、僕の耳にまで話が回ってきたんだよ。……その様子だと、正規の使い方をするわけじゃないんだろう?」
レイノルドの言葉に、執務室の空気が一段と張り詰める。
アルベルトは否定も肯定もせず、ただ苦虫を噛み潰したような顔で旧友を睨みつけた。
「……フッ、別に詮索するつもりはないさ。君が何を企んでいるにせよ、ね。ただ、忠告だ」
レイノルドは眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げ、声音のトーンを一つ落とした。
「何か大きなことをしでかす前に、まずは足元――つまり、その彼女の守りをしっかり固めたほうがいい。……王宮の動きが、最近どうにも怪しいんだ」
「怪しい、だと?」
「ああ。聖女の噂が出たあたりから、教会と関連して王宮で何かが動き始めている。……君がそのお嬢さんを本気で、守り抜きたいのなら、躊躇っている時間はないよ」
レイノルドの暗く引き締まった警告に、アルベルト閣下は自身の左目にそっと手を当て、低く唸るように、静かに拳を握りしめるのだった。
レイノルドからも圧をかけられるアルベルトでした。
シェラは呑気に仕事中です
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