計画
「二人とも、そろそろ戻ってきてください。……話が進みません」
それまで静観していたユーリの、呆れ果てたような一言が執務室に響いた。その冷ややかな声に、お腹を抱えて笑っていたレイノルドはようやく呼吸を整え、涙の浮かんだ目元を指先で拭った。
「くすっ……そうだね。悪い悪い、笑い話はここまでにして、本題に入ろうか」
レイノルドが眼鏡の位置を小さく直した瞬間、先ほどまでの甘い空気が嘘のように霧散した。肌がじりじりと焼けるような、密度を持った重苦しい沈黙が執務室を支配していく。
「アルベルト。君が王都へ送ってきた依頼書にあったのは……北の森の中心部、そこを僕の結界によって一時的に完全隔離してほしい、ということだったね」
ビジネスライクなレイノルド様の確認に、アルベルト閣下は私の前を塞いでいた身体を少し開き、静かに頷いた。
「ああ、そうだ。少し前に北の森の異変を王宮へ報告したことがあっただろう。その原因だと思われる澱んだ魔力が、中心部の地下に眠っている。それが地表へ噴出しているんだ。中心部は吹き出した魔力が滞留しており、拡大し続けている。現状では10分以上の滞在すら不可能だ」
「なるほど……。だから、その元凶ごと、僕の結界で覆ってしまいたいということか」
レイノルド様は細い指先で顎をなぞり、少し考える仕草をした。眼鏡の奥の切れ味が鋭い瞳が、思考の海を巡るように小さく動く。
そして、すっと顔を上げた。
「実際の現場を見なければ確実なことは言えないけれど、結論から言えば、覆うこと自体は可能だ。……しかし、それが一時的な時間稼ぎにしかならないことは、君も百も承知だろう?」
レイノルド様の、冷徹極まりない厳しい視線がアルベルト閣下を射抜く。
王宮筆頭魔術師の肩書は伊達ではない。彼の言葉は、その場しのぎの対策が持つ『限界』を的確に突き刺していた。どんなに強固な結界であっても、地下から湧き出る莫大なエネルギーを永遠に閉じ込め続けることはできないのだ。
だが、アルベルト閣下はその鋭利な視線を正面からまっすぐに受け止めた。
「――わかっている。だが、一時的であれ魔力溜まりの拡大を抑えることができれば、我々はその間に、原因の究明と根本的な対応策を講じることができる」
確固たる意志を宿したアルベルト閣下の言葉。その力強い声に、レイノルド様は数秒の間を置いた後、ふっと鼻を鳴らした。
「相変わらず、無茶な綱渡りが好きな男だね、君は。……いいだろう。引き受けてあげるよ」
レイノルドはにっこり笑ってアルベルトを見つめる。
「結界は中心部の外からでも張ることは可能だけど、まずは一度、その中心部の現状を目で見ておきたいね」
そう言って、椅子の背もたれに優雅に身体を預けた。
現地調査の申し出に対し、アルベルトは少しだけ眉をひそめ、警告を促すように口を開く。
「……構わないが、今あそこは魔素の密度が限界を超えている。近づくだけでも並の騎士では呼吸すらままならんぞ」
「ふふ、僕を誰だと思っているんだい? 自身の周囲に常時『結界』を張りながら進むからね、大方の害はないよ。毒も瘴気も、僕の領域には近づけないよ」
事もなげに言い放つレイノルドの言葉に、私は思わず内心で感嘆の声を漏らしていた。
(へぇ……。結界の魔術って、外からの有害物質をシャットアウトできる無菌室みたいなものなのね。防御や隔離の能力としては、相当有能じゃないかしら)
前世の病院にいたクリーンルーム(無菌病室)の進化系のようなものか、などと一人で呑気に分析していた、その時だった。
「――だから、大方の害はないけれど。万が一、僕の結界を破るようなイレギュラーな毒素があったら困るからね」
レイノルドは言葉を区切ると、眼鏡の奥の細められた瞳を、まっすぐに私へと向けた。
その端正な唇が、悪戯っぽく吊り上がる。
「もしもの時のバックアップとして、君の自慢の救護部隊長――シェラを同行させて欲しいね」
「……っ」
その瞬間、室内の空気が「ピキッ」と凍りついたのが分かった。
私のすぐ斜め前に立つアルベルトの背中から、朝一番の冬山のような、容赦のない冷気が一気に吹き荒れる。
(……閣下とそりが合わないのはこういうところね…)
呑気に感心していた自分を全力で叱り飛ばしたくなったが、時すでに遅し。
レイノルドは、アルベルトの反応を心底楽しむような、極上の笑みを浮かべてこちらを見ていたのだった。
アルベルトは結界で時間稼ぎをすることにしました。
さて、どうやって解決をするのか…。
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