帰還
アルベルト閣下たちが黒い霧の向こうへ消えてから、間もなく10分を迎えようとしていた。
(そろそろ10分…限界よ、早く戻って来て…)
周囲の騎士たちも、息を呑んで霧の奥を睨みつけている。濃密な魔素のせいで、待機している私たちの肌すら、チリチリと薄寒い痛みに晒されていた。
数人の騎士と私とで救護に向かうべきか決断を迫られた、その時だった。
「……戻ったぞ! 全員、撤退の準備をしろ!!」
木々の間から飛び出してきたのは、息を激しく切らしたアルベルトと精鋭たちだった。
全員の顔が苦痛と疲労で歪んでいる。
「閣下!」
私はすぐに駆け寄り、アルベルトや騎士達の様子を確認する。10分のタイマーが切れるように、頭の中に繋がっていた魔力の回路がフッと消失する。本当にギリギリの帰還だった。
「遅くなった。……あそこは、短時間の滞在すら厳しい」
アルベルトは荒い呼吸のまま、苦渋に満ちた表情で最深部の奥を振り返った。
「魔素の澱みが濃すぎて、魔眼でも何が原因で魔力が滞っているのか、不明だ。手応えとしては……生きている魔獣ではない。何か、巨大な怨念のような、莫大な魔力の塊が地下に埋まっていて、そこから魔力が吹き出しているような感覚だ」
アルベルトは中心部の様子を報告してくれる。私は応急処置を行いながら、頭の中ではその状況を整理していく。
(生き物ではない、地下に眠る莫大な魔力の塊……。それって、太古いた竜のような超巨大な魔獣の『死骸(壊死組織)』が、地中で腐敗して毒を流し続けているような状態……?)
もしそうなら、周囲の魔獣が活性化しているのも、その毒(膿)に当てられて狂っているからなのか…。
「……原因不明、ですか。確かに今の私たちの装備と、この時間制限では、あれ以上奥を精査するのは不可能ですね」
私の返答にアルベルトは頷く。
「……ああ。一度、領地へ戻る。仕切り直しだ」
どんよりとした雨雲の下、私たちは最深部の不気味な沈黙を背に、一時撤退の途についた。
魔の森から撤退し、領地へ戻った私は、すぐに救護部隊のメンバーと合流して騎士たちの治療に当たった。
幸いにも致命的な外傷を負った者は少なかったが、あの最深部の濃密すぎる魔素に晒されたことで、重度の魔力酔いや急性の中毒症状を起こしている者が大半だった。
「消化のいいものを摂らせて、水分補給を徹底して。あとはとにかく睡眠を取らせること!」
指示を出しながら、一人ひとりに丁寧に癒しの光をかけていく。
すべての騎士たちの処置が落ち着き、ようやく一息ついた頃、私はユーリと共にアルベルトの執務室へと呼び出された。今回の調査に関する、緊急の報告会を行うためだ。
「失礼します」
ユーリと共に重い扉を開けると、そこには凄まじい量の書類の山に埋もれているアルベルトの姿があった。留守中の領務に加え、今回の件の対応に追われているのだろう。
「シェラ、疲れているところをすまないが、もう少し付き合ってくれ」
アルベルトは書類から視線を上げ、酷使した目を労る様に眉間を押さえながら告げる。
「私は大丈夫です、閣下は今日は早めに休んで下さいね」
シェラの言葉に、ユーリとヴォルクスも頷いている。
アルベルトは、ため息をつきながら「わかった」と頷いた。
全員が席に着くと、アルベルトはヴォルクスとユーリに向けて、魔の森の最深部で目撃した惨状を語り始めた。地下に感じる不気味な魔力の塊、そこから湧き出し続けるドス黒い魔力――。
そのあまりに深刻な内容に、二人は言葉を失い、室内には重苦しい沈黙が降りた。
「現在の我々の戦力では、あの澱みの『核』を突き止めることすら叶わない。……だが、このまま放置すれば魔力溜まりは拡大する一方だ。これ以上の広がりを防ぐため、私に一つ考えがある…。根本的な解決にはならないが…」
閣下の言葉に、私は首を傾げたが、ヴォルクスとユーリの表情は微かに強張った。二人には、閣下が何をしようとしているのか、その察しがついているようだった。
さらに話は進み、アルベルトは私と彼の間に起きた「感覚共有(共鳴)」の現象についても報告した。
お互いの視界が同期し、人体の透過図と魔力回路が重なって見えたという前代未聞の事実に、二人は本日二度目となる強い衝撃に目を見開いていた。
ひと通りの説明を終えると、アルベルト閣下は組んだ手の上に顎を乗せ、まっすぐに私を見つめてきた。
「ここからは、話が変わる」
アルベルトの様子に、周囲の背筋が伸びる。
「以前話した欠損部位の修復についてだ。覚えているか?」
私は「はい」と頷く。
「実は『魔力供給を可能にする魔導具』について、すでに手に入る目処が立っている。……もし、その魔導具と、今回の共鳴による精密な視界を掛け合わせることができたなら――『欠損部位の修復』は可能か?」
室内の空気が、張り詰めた弦のようにピンと引き締まる。
アルベルト閣下の、すべてを射抜くような金の瞳が、私の反応を一滴たりとも見落とさないと言わんばかりに注がれていた。
私はその視線から決して目を逸らすことなく、救護部隊隊長としての誇りを胸に、はっきりと答えた。
「――はい。その魔導具で安定した魔力が供給され、私の透過図、閣下の魔力回路で完璧な『設計図』が捉えられるのなら、失われた組織を再構築することは、十分に可能だと思います」
私の確信に満ちた言葉に、アルベルト閣下は満足そうに、けれどどこか複雑な色を瞳に宿して、小さく頷いたのだった。
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