偵察部隊の帰還
「シェラ隊長! 至急、騎士団入り口までお願いします!」
公爵親子の視察から数日が過ぎた、ある朝のこと。
空は低く垂れ込めた灰色の雲に覆われ、湿った空気が肌にまとわりつくような、どんよりとした一日の始まりだった。
救護室で包帯や薬草の在庫確認を行っていた私は、その切迫した声に顔を上げた。駆け込んできたのは騎士だ。
私は迷うことなく、常に足元に置いていた救急バッグを掴み、廊下へと飛び出した。
騎士団の入り口まで走ると、そこにはすでにアルベルト閣下たちが到着していた。
「何事ですか、閣下!」
私の問いに、閣下は険しい表情で前方を指し示した。
そこには、装備を無残に破壊され、泥と血にまみれた数人の騎士たちが座り込んでいた。
魔の森に偵察に出ていたカシム、そして……。
「ハインリヒさん!」
癒し手であるハインリヒさんが、顔を真っ白にしてカシムの肩に預けられている。呼吸は浅く、視線も定まっていない。彼ほどの術者がこれほど衰弱しているのは、帰還するまでの道中、限界を超えて魔力を使い続けた証拠だ。
私はすぐさま膝をつき、優先順位を決めるために騎士たちの状態をざっと確認していく。意識、脈拍、出血箇所。
「どうだ、シェラ。容態は」
アルベルト閣下の重く鋭い問いが飛ぶ。
「命に別状はありません。ですが、広範囲の擦り傷に打撲、それから……この方は肋骨にヒビが入っていますね。無理に動かさないでください」
私は一瞬で判断を下し、顔を上げた。
「手分けして、彼らを救護室まで運んでください。ハインリヒさんは重度の魔力切れです、安静を。重傷者を優先します。急いで!」
私の冷静な、けれど有無を言わせない指揮に、アルベルト閣下は短く「わかった」と頷いた。
「総員、シェラの指示に従い、負傷者を救護室へ運べ!」
閣下の号令が響き、周囲の騎士たちが一斉に動き出す。
私は運ばれていくハインリヒの力ない手を見つめながら、頭の中で必要な薬剤の優先順位を猛スピードで組み立てていた。
(魔力切れになるまで追い詰められるなんて……森の中で、一体何が起きたの?)
救護室に運び込まれた負傷者たちを前に、私は癒しをかけていった。ルシアンには軽傷者を担当してもらう。
出血の激しい者、そして痛みに喘ぐ者の処置を優先して癒していく。
ハインリヒさんは、ベッドに下ろされた瞬間に糸が切れたように意識を失った。
「……相当無理をしたわね。…泥のように眠ってもらうしかないわ」
私は彼に毛布をかけ、すぐさま次の患者へと向かった。
一通り全員の容態を安定させ、救護室に静寂が戻った頃。
アルベルト閣下たちが、少し落ち着きを取り戻したカシムのベッドを囲んだ。
「カシム、何があった。森で何を見た」
閣下の低い声が、室内に重く響く。
カシムは顔の汚れを拭う気力もないまま、厳しい表情で重い口を開いた。
「……最深部です。そこに、かつてない規模の『巨大な魔力だまり』が発生しています」
その言葉に、室内の空気が凍りついた。
魔力だまり――それは魔獣を呼び寄せ、変異させる災厄の種だ。
「その影響で魔獣たちが異常に活性化し、増殖している可能性があります。周囲を観察して、すぐに帰還し、報告を入れようとしたのですが…。背後から大量の魔獣に襲われ、乱戦となったのです」
カシムは悔しげに拳を握りしめた。
「数が多すぎました。あまりの物量に苦戦し、負傷者が多発したため……撤退を指示しました。ハインリヒには、負傷した者が逃げるために限界を超えて癒しをかけ続けてもらったのです。彼がいなければ、今頃我々の半分は森の土になっていたでしょう」
「魔力だまりが、そこまで……それが澱みの原因か…」
アルベルト閣下は低く呟き、視線を落とした。
それは単なる魔獣被害ではなく、この領地、ひいては王国全体を揺るがしかねない「災害」の予兆だった。
閣下はカシムの肩を優しく叩き、真っ直ぐに彼を見つめた。
「……ご苦労だった。まずはよく休め。生きて戻ったことが何よりの手柄だ」
「はっ……感謝いたします」
閣下はそれから、他の負傷した騎士たち一人ひとりの元を回り、労いの言葉をかけていった。その背中には、領民を守る決意と、これから訪れるであろう嵐への覚悟が滲んでいる。
どんよりとした空からは、雨脚が強まり始めていた。
偵察に部隊が帰還して、物語が動いていきます。
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