表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女はすべてを救えない  作者: 右京寺
第3章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

47/48

重要任務

視察終了を翌日に控えた夜、領主館の食堂は、無数のキャンドルが放つ黄金色の光と、丹念に磨き上げられた食器の輝きに包まれていた。

視察自体は、表向は極めて穏やかに幕を閉じようとしている。

――公爵の右腕を癒すという、重要任務が控えていることを除いて。


(……独特の緊張感だわ。嫌いじゃないけれど)


心臓の鼓動が少しだけ速まるのを感じる。けれど、私の唇には、穏やかで非の打ち所がない貴族令嬢の微笑みが完璧に張り付いていた。

不安や焦りは周囲に伝播し、現場の判断を狂わせる。必要時以外、感情を表に出さない。冷静さを保つために、まずは冷静を気取る。


(こんなところで、前世の看護師としての経験が生きるなんて思わなかったわね)


どれほど凄惨な現場でも、どれほど気難しい患者を前にしても、医療職は「揺らいでいない」こと自体が薬になる。

私は頭を冷たく保ち、周囲の会話に相槌を打ちながらも、思考の回転を止めることはなかった。


食事を摂りながら、私は公爵の右腕を注意深く観察し続ける。

閣下は悠然と振る舞っているが、時折、グラスを置く瞬間に指先が微かに跳ねる。本人は気力だけでその震えを押し留めているのだろうが、私の目には、神経が悲鳴を上げているのが手に取るように分かった。


(……限界ね。これ以上の放置は、不可逆的な損傷に繋がるわ)


その時、視線を感じて顔を上げると、向かいの席のアルベルト閣下と目が合った。

彼は公爵に悟られないよう、極めて自然な動作で一瞬だけ私を注視し、それから僅かに顎を引いた。

アルベルトも気がついたのだろう。

その動作にわたしも目線で答える。


(今夜がその日だ)


夕食後の静まり返った公爵の客室。アルベルトは一人、そこを訪ねていた。

暖炉の前で寛いでいたヴァランシエール公爵が、不審そうに顔を上げる。


「話とはなんだ、アルベルト……」


「いえ、閣下。公務ではなく、古い友人の息子として忠告に参りました。……その右腕、いつまで隠し通されるおつもりですか」


その言葉に、公爵の動きが凍りついた。

隠しきれない動揺が瞳を走り、彼は自嘲気味に鼻で笑った。


「……何故、それを。王都の連中には誰一人として悟らせなかったはずだが」


「私には見抜けませんでした。……ですが、彼女の目は欺けなかったようです」


アルベルト閣下が合図を送ると、扉が静かに開き、私が室内へと入った。

公爵は私を一瞥し、深い溜息をつく。


「……ケラー男爵令嬢か。……無駄だ。この腕は王宮の癒やし手ですら『傷口は塞がっている、これ以上はどうすることもできない』と匙を投げた代物なのだ。古傷による痛みは、一生付き合っていくしかない」


「いいえ、閣下。その痛みは、取り除けます」


私は一歩、公爵の側へと歩み寄った。


「閣下。私を、信じてはいただけませんか? 私がその腕を、日常生活に支障のない状態にいたします。……今、その痛みを取り除けるのは…私だけかと存じます」


不遜とも取れる私の宣言。だが、私の瞳には一切の迷いがない。

公爵は毒気を抜かれたように私を見つめ、それから背後に立つアルベルトに視線を向けた。


「アルベルト。……貴様が二度も死線を越え、『聖女』に救われたという話……。どうやら、誇張ではなかったようだな」


公爵は、痺れに震える右腕をゆっくりとテーブルの上に差し出した。


「よかろう。……その『癒やし』、受けてみようではないか。私の誇りをかけて隠し通してきたこの腕を預ける。シェラ・フォン・ケラー」


私は深く頷いた。


私は、目に力を込め腕の状態を確認する。

やはり、前回視た通り骨折部位がずれて接合している影響で正中神経が圧迫されている。

ここの圧迫を解除できれば、痺れは改善されるはずだ。


私は、接合部位を正しい形になる様イメージし、癒しをかけていく。

骨を正しく接合できたら次は神経である。


骨折部位を正しい位置に戻したとき、公爵は驚きの表情を浮かべた。


「痺れと痛みが…」


わたしは神経の修復に取り掛かる。


神経を一本一本修復するイメージで、上腕全体に癒しをかけていく。


「…どうでしょうか、動かしてみていただけますか?」


癒しをかけ終わり、私は公爵に声をかけてかけた。


「…痛みがなくなった…」


公爵は呟く様に答えた。

手や指を動かし、確認していく。


どうやら成功したようだ。私は悟られないように、息を吐く。


「…まさか本当に治るとは…」


「痺れや痛みがあった期間が長いので、腕の筋力は落ちていると思われます。ゆっくり筋力を上げる運動を行うと良いと思います」


と公爵に告げた。


「…礼を言う。ケラー男爵令嬢。…いや、我が恩人よ」


そう言うと、公爵は椅子から立ち上がり、わたしの前にてを差し伸べた。


(…握手かしら。お疲れ様ってことね)


そう思い、私も手を出した。

その直後、公爵は私の指先を優しく、けれど拒めない強さで引き寄せると、深々と頭を下げて私の甲に唇を落とした。


「うぇ…!?」


あまりの出来事に、思考は離散する。

固まったまま私は助けを求めるようにアルベルトの方を振り返ったが、そこには公爵の行動に驚きつつも、ひどく複雑な表情でこちらを見つめるアルベルトの姿があった。


「…公爵閣下…!あの、…」


どうにか絞り出した声は、自分でも驚くほど上擦っている。それを見た公爵は、ふっと顔を上げ、悪戯が見つかった子供のような、けれど晴れやかな笑みを浮かべた。


「ああ、若いご令嬢を驚かせてしまったな。申し訳ない。……だが、これほどの恩義を感じたのは初めてだ。改めて礼を言う、ケラー男爵令嬢。このように痛みがないのは、一体いつ以来だろうか……」


公爵の笑みは、先ほどまでの冷徹な政治家の仮面ではなく、重荷を降ろした一人の男としての、純粋な感謝に満ちていた。

その温かな表情に、私の緊張もようやく解けていく。


「……お役に立てたのなら、癒し手としてこれ以上の喜びはありませんわ、閣下」


私も、ようやく少しだけ余裕を持って微笑み返すことができた。


その横で、アルベルト閣下が「……公爵、あまり彼女を困らせないでもらいたい」と、公爵に苦い顔で告げている。


和やかな空気が部屋を包む中、アルベルトはあまり令嬢が夜に長いするのは良くないと、客室から退出を促す。


私は頷き、アルベルトと公爵に挨拶をする。


「この度は、私のわがままを聞いてくださり、ありがとう存じます。…失礼いたします」


と、完璧なカーテシーと共に告げ、部屋を退出した。



「……アルベルト。大事なものは、しっかり懐に隠しておかねば、無くしてしまうぞ」


扉が閉まり、静寂が戻った部屋。暖炉の火を見つめながら、公爵は静かに、けれど重みのある声で告げた。


「二度も命を救われた貴様は、よくわかっていることだろう。……『聖女』としての名は広まりつつあり、今回の視察で私は確信した。彼女の価値は高すぎる。下手をすれば、異端と言われてもおかしくないほどの力だ」


公爵は、完治した右手の拳を力強く握りしめた。その指先には、もはや何の迷いも震えもない。


「もし、お前が彼女の力を持て余し、溢してしまうというのなら……その時は、この私が彼女の『後ろ盾』になり、我が家が責任を持って、彼女を王国の至宝として迎え入れる。……国の礎となってもらう」


公爵の言葉は、提案というよりは、突きつけられた「警告」だった。お前に彼女を守り抜く覚悟と力があるのか、と。

アルベルトの背中が一瞬だけ硬直する。彼は振り返ることなく、だが低く、地を這うような声で答えた。


「……ご忠告、痛み入ります、閣下。ですが――彼女は、誰にも譲るつもりはありません」


そう言い残し、アルベルト閣下は翻るマントと共に客室を出て行った。

一人残された公爵は、その背中を見送るように小さく呟いた。


「……ここで生きていく方が、彼女にとっては幸せだろう」


公爵の呟きは、爆ぜる薪の音と共に暖炉の火の中へ消えていった。

王宮は泥沼だ。平和に浸りきり、自身の生活を豊かにすることしか考えていない王都の連中。王族も然り。そんな中に、異質なほどの力を持ったシェラを放り込めば、取り込み、使い潰すことは目に見えている。


(……年齢的に少し離れているが、貴族社会ではさほど気にされない年齢差だ。あの様子なら、心配はいらぬか)


公爵は満足げに一つ頷くと、心地よい疲労感に身を任せ、ゆったりと椅子に腰をかけた。


公爵親子の視察も、終わりですね


よろしければ、お手隙の際にリアクションや評価をぽちっとよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ