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聖女はすべてを救えない  作者: 右京寺
第3章

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石鹸工房の視察

翌日、私は公爵親子を石鹸工房へと案内した。

決して広くはない工房内には、熟成を待つ白い塊が所狭しと並んでいる。その光景を目にした瞬間、公爵親子は一様に目を見開いた。


「ほう……。この様になっているのか。なるほど、しかしこれほど小さな工房で生み出されていたとはな」


公爵が感心したように顎を撫でる傍らで、エレオノーラ様は「壮観ですわね!」と興奮気味に声を弾ませている。


「では、実際の工程をお見せしましょう」


私がそう告げると、公爵は「作り方を見せても良いのか?」と驚いた様子を見せた。技術流出を懸念したのだろう。私は淑女の微笑みを浮かべ、静かに首を振った。


「材料の厳密な比率などはお教えできませんが、流れをご覧いただく分には構いません。……奥にいる三人が、この工房の心臓部です」


恐る恐る挨拶をする三人を代表し、私はリーナを紹介した。


「工房長はこのリーナです。石鹸の品質を安定させるには、彼女の力が不可欠ですので」


彼女たちにいつも通りの作業を始めてもらい、私はその横で逐一説明を加えていく。一連の流れを見終えた公爵は、「なるほど」と深く呟いた。


「彼女は『調合』の能力持ちだな。その力をこれほど実用的に運用している例は、王都でも珍しい。……しかし、この人数で回すには流通量が多すぎはしないか?」


「王都などの上流階級向けにはここで作ったものを、平民向けには北の村々で作らせたものを流通させております。品質管理の基準を分けることで、供給量を確保しているのです」


私の説明に、公爵とエレオノーラ様から感嘆の声が漏れた。ただの癒やし手が、物流の仕組みまで構築しているとは夢にも思わなかったのだろう。


「公爵閣下。この石鹸がもたらす価値は、計り知れません。これは、領民の『生存率』を劇的に変える魔法の道具なのです」


私の言葉に、公爵は考える仕草をする。


「生存率か?たかが、汚れを落とす塊がか?」


「左様でございます。人間の手には、目に見えないほど小さな『病の種(細菌)』が無数に付着しています。ただの水で洗うだけでは、その種を完全に追い出すことはできません」


私はリーナたちが作業している様子を指し示しながら、説明を続ける。


「水だけでは落ちない脂汚れ。その汚れこそが、病の種の温床となります。石鹸の泡は、その汚れを包み込んで根こそぎ剥がし、水と共に洗い流す力があるのです。……実際、この領地で石鹸を用いた手洗いを徹底させてから、救護所に運び込まれる発熱者や腹痛者は、昨年の同時期に比べて三割以上減少、死者数も減少いたしました」


公爵は、手に取った石鹸の塊を、まるで未知の魔道具を見るような目で見つめ直す。


「三割……だと? 兵を失う理由の多くは、戦傷そのものより、その後の病だ。もし、手洗いでそれを防げると言うのなら……」


「はい。兵が減らず、農民が健やかに働ける。石鹸によって街が清浄に保たれることは、薬を配り歩くよりも遥かに効率的な『国防』なのです。……この白い塊こそが、辺境の冬を越えるための、最も安価で強力な武器なのでございます」


隣で聞いていたアルベルト閣下が、満足げに、そして「どうだ、私のシェラは凄いだろう」と言わんばかりの誇らしげな視線を公爵に送っているのが分かった。


「……恐ろしい娘だ。石鹸一つから、国防と経済の合理性まで説くか」


公爵は深く感嘆し、同時にその価値を確信したようだった。



工房の見学を終え、私たちは貴賓室で茶を囲んでいた。

一息ついたところで、公爵がアルベルト閣下を真っ直ぐに見据えた。


「アルベルト。この石鹸、既に実績もある。もう少し流通を増やせんのか。王都での需要は底が知れんぞ」


「……あいにく人手が足りず、現状ではこれが限界です」


閣下が淡々と答えると、公爵は「この事業は素晴らしいものだ」と前置きし、威厳のある声で語る。


「我が公爵領でもこの石鹸を広めたい。……どうだ、共同事業として進めないか? 人手と土地、そして資金は公爵家が負担しよう」


これにはアルベルト閣下も一瞬驚いた表情を見せたが、「ありがたいお話です」と答え、後ほど詳細を詰めることで話がまとまった。


私はそのやり取りを横耳に聞きながら、エレオノーラ様の相手を務めていた。


「本当に素敵な事業ですわ、シェラ。貴女はなんて多才なの!」


彼女の絶え間ない賞賛に対し、私は微笑を絶やさず、聞き役に徹する。

……だが、私の視線は不意に、公爵がティーカップを持つ「手」に釘付けになった。


(……手が震えている。本人は隠しているつもりでしょうけど……)


カップのような軽いものを持ち上げるだけで震えが出るのであれば、書類にペンを走らせる際など、日常生活でも相当な痺れが出ているはずだ。

私はさりげなく、目に力を込める。

衣服の上からでも、透視するように神経の流れを辿っていくと、上腕の「正中神経」が異常な圧迫を受けているのが見えた。


(上腕骨の治癒不全……。昔の骨折かしら。骨が僅かにズレたまま固まって、神経を締め付けているんだわ)


これだけの痛みを顔に出さず、平然と大規模な商談を進める公爵の精神力には舌を巻く。だが、放っておけば右手の機能は落ちていくだろう。


(さて……どう切り出すべきか。今は商談の最中。令嬢として黙っているべきか癒し手として踏み込むべきか……)


私の脳内で、二つの立場が激しく交錯していた。


よろしければ、お手隙の際にリアクションや評価をぽちっとよろしくお願いいたします。

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