到着
その日の朝、領主館には、かつてない緊張感が漂っていた。
金細工が施された四頭立ての豪華な馬車。ヴァランシエール公爵家の家紋である「盾と剣を抱く大鷲」が刻まれたその威容は、王都の権威をそのまま運んできたかのようだった。
馬車が領主館の車寄せに静かに停まる。
出迎えるのは、正装を纏ったアルベルト閣下を筆頭に、ユーリ、そしてヴォルクスさんが率いる精鋭の騎士たちだ。
「……来たな」
アルベルト閣下の低い声と共に、馬車の扉が開かれた。
最初に降り立ったのは、当代のヴァランシエール公爵。50代半ばとは思えぬ屈強な体躯と、全てを見透かすような鋭い眼光。
続いて、薔薇を具現化したような美しい少女が姿を現した。公爵令嬢、エレオノーラだ。14歳ながら、その立ち居振る舞いは完璧な淑女そのもので、社交界の華やかさを体現している。
「久しいな、アルベルト。……先代の葬儀以来か。相変わらず、ここは空気が冷たい」
公爵がアルベルト閣下と短く挨拶を交わし、握手を交わす。
公爵は後ろにいるエレオノーラに挨拶を促す。
「アルベルトお兄様――いえ、アルベルト辺境伯閣下。お久しぶりにお目にかかれて、エレオノーラはとても嬉しく存じます」
まるで花が開くような完璧なカーテシー。
あの辛い体勢を難なくこなす姿に、尊敬の念を覚える。
その視線が、ふと閣下の背後に控える私へと向けられた。
私は今、ドレスではなく、新しく仕立てた騎士団の機能的な制服を纏った「救護部隊長」の姿でそこに立っている。
2人の視線に気づいたアルベルト閣下が、私に隣へ来るよう手招きをした。
私は一度頷き、迷いのない足取りで閣下の傍らに並ぶ。
「公爵閣下。噂で既にご存知かとは思いますが、彼女が我が騎士団の癒し手であり、この領地の衛生面を統括しているシェラ・フォン・ケラーです」
「ケラー、だと?」
アルベルト閣下の紹介を受け、私は公爵親子を真っ直ぐに見つめ、口を開いた。
「お初にお目にかかります。シェラ・フォン・ケラーと申します。ヴァランシエール公爵閣下、ならびに公爵令嬢にお会いできましたこと、心より光栄に存じます」
私はふわりとしたドレスの裾を摘まむカーテシーではなく、手を胸に当てて深く腰を折った。今は令嬢としてではなく、この領地を守る「癒し手」としての礼を選んだのだ。
「ほう……。なかなか見込みのある令嬢のようだ。公爵である私をこれほど真っ直ぐに見つめる者は、王都でもそうはおらん」
公爵は面白そうに私を凝視し、それから私の姓に思い至ったのか、背後に控えるユーリに視線を向けた。
「ケラーか。……確か、例の『聖女』は孤児だと聞いていたが、ユーリ、貴様と縁組をしたのか?」
「はい。私にとっても非常に良いお話でしたので、先日正式に手続きを終えました」
ユーリはいつもの穏やかな、けれど一切の隙を見せない笑みで答えた。
「そうか。お前がそこまで言うのなら、間違いのない娘なのだろうな」
公爵が満足げに何度か頷いていると、その後ろから鈴の鳴るような声が響いた。
「まあ、そうなのですか……? それは少し残念ですわ」
エレオノーラ様が、桃色に色ずく頬に手を当て、心底惜しそうに溜息をつく。
「わたくし、面白そうな子でしたから、王都へ連れて帰って側に置こうかと思っていたのに……」
アルベルト閣下の隣で、私は背筋に微かな冷気を感じた。
王都の公爵令嬢。彼女は、欲しいものを「欲しい」と言える立場にいるのだ。
周囲に微かな火花が散るような、不穏な静寂が流れた。しかし、アルベルト閣下が「長旅でお疲れでしょう」と促したことで、公爵親子は用意された客室へと引き上げていった。
視察の本番は明日だ。石鹸工房を案内し、公衆衛生がいかに領地の力を底上げするかを説明する予定になっている。
今日の短い対峙で感じたのは、公爵は実務家だということだ。領地の利益に直結する話なら、きっと真摯に耳を傾けてくれるだろう。
……読めないのは、エレオノーラだ。
あの、獲物を見つけた猛禽のような純粋な瞳。うっかり気を許せば、笑顔のまま外堀を埋められ、気づいた時には王都へ連れ去られてしまいそうな、底知れない危うさを感じた。
(……はぁ。明日からのことを考えると、胃が痛くなりそう)
そんな重い溜息を飲み込みながら、夜、私は呼び出されたアルベルト閣下の執務室を訪れた。
「――エレオノーラには気をつけろ」
開口一番、デスクに座る閣下から投げかけられたのは、命令に近い忠告だった。閣下の瞳はいつになく険しく、影を孕んでいる。
「あの令嬢は、一度気に入ったものはどんな手を使ってでも手に入れようとする。……公爵家の威光を背景に、強引に『お友達』という名の檻へ引きずり込まれるぞ」
「……気をつけます」
私は少しため息をつく。
閣下は椅子から立ち上がり、私の前まで歩み寄ってきた。そして、私の肩に大きな手を置き、低く、言い聞かせるような声で続けた。
「忘れるな、シェラ。お前はこの領地に必要な人間だ。……誰が何を言おうと、お前を渡すつもりはない」
その言葉は、私への信頼であると同時に、どこか切実な「囲い込み」のようにも聞こえた。
閣下の掌から伝わる熱が、まるで逃がさないと言わんばかりに私の肩に深く刻まれる。
「……はい。私も、ここやらなければならないことがありますから」
私が頷くと、閣下はほんの一瞬だけ、安堵したように目元を緩めた。
けれど、その視線は、エレオノーラのものとどこか似ているような気がして――。私は、明日からの視察が、神経を削るものになるだろうと予感し、密かに気を引き締め直した。
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