閑話 静かな誓い
シェラが退室し、重厚な扉が閉まる音が響くと、執務室は再び元の静寂に包まれた。
しかし、その空気は先ほどよりも一層、冷たく張り詰めたものへと変わっている。
アルベルトは深く椅子に背を預け、目を閉じた。
「……ユーリ。改めて、領主としてお前に要請する」
「……はい」
「シェラを、お前の養女に迎えろ。一刻も早くだ」
アルベルトの低い声に、ユーリは静かに、しかし力強く頷いた。
ユーリは男爵位を持つ。若かりし頃、王宮で功績を上げ叙勲された。そのときに、領地の拝命は断り故郷である辺境伯領へ戻ることを求めた。
先代の当主とは幼なじみであり、魔獣討伐が頻繁に発生し、負傷者も多いこの地の手助けになりたいと思っていたからだ。
「異存はございません。私自身、それが最善だと考えておりました。……実を言えば、かつての宮廷の伝手や知人の癒し手たちから、シェラについて探りを入れられることが最近増えてきております。皆、一様に『辺境の奇跡』に興味津々でしてね」
「やはりか」
ヴォルクスが不快そうに鼻を鳴らす。
「石鹸の利権だけでも厄介だというのに、そこに『聖女』の噂まで加われば、王都の亡者どもが黙っているはずがない。……ただ、あいつが持つ『特異的な知識』……それは知られていない。それが唯一の救いか」
アルベルトがゆっくりと目を開ける。その瞳には、侮蔑に近い色が浮かんでいた。
「今の王宮に渡せば、待っているのは破滅だ。目先の色恋や権力闘争に明け暮れ、平和というぬるま湯に浸かりきった連中に、あいつの真価など理解できん。……使い潰されるのが目に見えている」
「……魔の森についての報告も、芳しくないようですね、閣下」
ユーリの問いに、アルベルトは苦々しく吐き捨てた。
「ああ。魔獣の異常活性についても、救護体制の刷新についても、王都の連中にとっては『遠い北の地の出来事』だ。自分事として考えてなどいない。……あんな連中に、我が領地の、俺の『基盤』を差し出す理由など、塵ほどもない」
アルベルトの手が、デスクの上で固く握りしめられる。
「いいか。シェラは、この地の未来そのものだ。ユーリ、お前がシェラの『親』として、俺が『後ろ盾』として、この領地全体を檻にしてでも彼女を守り抜く」
「承知いたしました。……覚悟はできておりますよ、閣下」
ユーリは穏やかに微笑んだ。その笑みには、愛弟子を濁った濁流に突き落とさせまいとする、老練な意志が宿っていた。
ヴォルクスが腰の剣を軽く叩く。
「この領地を、王国で最も安全で、最も彼女が自由に腕を振るえる場所にすればいいのです。……そのためなら、俺は喜んで盾になりましょう」
閉ざされた執務室で、3人の男たちは静かに誓いを立てた。
それが彼女を縛る鎖になると知りながら、それでも必要とするがゆえの、あまりに一方的な「護り」の契約だった。
権力に溺れる亡者達からシェラを守るために、鎖で繋いでしまおうとする大人。
シェラ自身もわかっていて、受け入れています。
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