出会い
その日は、エリオ司祭の機嫌が最悪だった。
貴族からの寄進が減っただの、ワインの質が落ちただの。八つ当たりの対象は、いつも通り見習いの私――シェラに向けられ、昼食のパンすら取り上げられた。
(……低血糖で動けなくなる。思考鈍るし…。)
魔力が多い者は、それだけエネルギーを消費する。この貧しい孤児院の食事では、私の身体は常に飢餓状態だ。思考をクリアに保つためには、糖分とタンパク質が足りない。
私は空腹を紛らわせるため、神殿の「お使い」という名目で森へ出た。表向きは薬草摘みだが、真の目的は不足したエネルギーの補填だ。
森の奥、赤毛を揺らして茂みから顔を出したのは、レラだった。
「シェラ! あっちの罠、空振り。こっちは……あ、野ウサギ!」
「レラ、声が大きい。……でも助かる。これで少しはましよ」
私は銀灰色の髪をかき上げ、レラが持ってきた獲物を手早く解体しようとした。その時だった。
風に乗って届いたのは、湿った鉄の臭い。
前世で、何度も、何度も嗅いだ。……大量の血の臭いだ。
「レラ、ここで待ってて。少し……様子を見てくる」
「えっ、シェラ? 顔が怖いよ、どうしたの!」
レラの制止を振り切り、私は音を殺して茂みをかき分けた。
木漏れ日の下、一人の男が倒れていた。黒を基調とした上質な革鎧。だがそれは、右肩から腹部にかけて無惨に引き裂かれている。
(……一、二、三。主要な血管が少なくとも三箇所は断裂。右大腿部にも深い刺創。……これは、死ぬわ)
看護師としての私が、冷徹に「トリアージ:黒(死亡)」だと告げる。だが、男の指先が、微かに土を掴むのが見えた。スカイブルーの私の瞳が、その僅かな生命の火を捉える。
(生きてる。……まだ、生体反応が残ってる)
私は周囲を警戒しながら、男の元へ駆け寄った。
男の体を『視る』
男の体が、鮮明な3Dの解剖図へと変わる。
(右鎖骨下動脈の損傷、腹腔内出血、そして大腿動脈の不全断裂……。出血性ショック。輸液も輸血もないこの状況で、普通の癒やし手なら手も足も出ないだろう)
だが、私には「視える」どこを止めれば、命の漏出が止まるのかが。
「……っ、う……」
「動かないで。今、止血するから」
私はボロボロのエプロンを裂き、まずは太腿の付け根を強く縛り上げた。ニーキックの要領で膝を使い、鼠径部を圧迫しながら、両手を自由にする。
指先に魔力を集中させた。
エリオ司祭のような「光の放射」ではない。私は魔力を、指の先一点に集中させる。
(鎖骨下動脈をまず止血して、血管の修復、腹壁の損傷血管を修復…。よし、脈が安定してきた)
自分の体が、空腹で悲鳴を上げている。魔力を消費するたびに、意識が遠のきそうになる。
だが、私の指先は止まらない。血管の端と端を正確に合わせ、癒しをかけていく。
(癒しの魔法を『面』で使えば、私の魔力なんて一瞬で枯渇する。でも、この『点』の処置なら……いける!)
表面の大きな傷を、最低限の癒しで「仮閉鎖」した時だった。
遠くから、複数の足音と、金属が触れ合う音が聞こえてきた。
「団長! アルベルト様!」
(……味方ね。これ以上ここにいるのはリスクが大きすぎる)
私は最後の一滴まで魔力を絞り出し、男の顔色に微かな赤みが戻ったのを確認した。
「……あとは、これから来る人に任せるわ。騎士様」
私は返り血を草で拭い、影に潜むようにしてその場を去った。
孤児院に戻った私を待っていたのは、門限を破ったことに対するエリオ司祭の烈火のごとき怒りだった。
「不潔な孤児め!罰を与えねば分からんようだな!」
私は、冷たく暗い懲罰室へと押し込められた。
空腹と疲労で、石の床が回っているように感じる。
けれど、閉じた瞼の裏には、確かに繋ぎ止めた生命の拍動が残っていた。
(……後悔はない。ようやく看護師として恥じない選択ができたと思う。…ほんとは看護師が執刀するなんて、もってのほかなんだけどね…。)
シェラは29歳の精神を静かに沈め、深い眠りに落ちた。




