嵐の前の
救護所に聞き慣れた力強い馬の蹄の音が聞こえてくる。
アルベルト閣下だ。どうやら前線は落ち着いたようだ。ヴォルクスは前線に残っているのだろう。彼は馬を降りるなり、大股で私の元へと歩み寄ってきた。
「シェラ、騎士たちの様子はどうだ」
「ああ、閣下。ご無事で何よりです」
私は血に汚れた手を度数の高い酒が沁みた布で拭う。
「現在、死者はゼロです。軽傷者はすでに手当を終え、前線への復帰許可を出しました。重症者数名については、容態が安定するまでここで私が付き添います」
簡潔な説明に、アルベルト閣下は張り詰めていた肩の力をわずかに抜き、安堵したように息を吐いた。
「……流石だな。お前がいなければ、こうはいかなかっただろう。とりあえず前線は落ち着いた。大型の魔獣を仕留め損ねたゆえ、明日の日の出と共に再度動く予定だ」
そう告げると、彼はそのまま幕舎の中へと入り、横たわる騎士たち一人ひとりに声をかけて回り始めた。その背中を見つめていると、隣にいたユーリ様が静かに口を開いた。
「閣下はいつもああやっているんだ。戦場ではね」
「……だからこそ、皆様は閣下を慕い、命を預けようと思うのでしょうね」
私の言葉に、ユーリ様は深く、どこか満足そうに頷いていた。
その日の夜、夜間の見張りたちが交代で動く静寂の中、私は手元を照らす小さなランプを持って、負傷者たちの間を回ってた。
「子供なんだから早く寝てください」とハインリヒやルシアンたちには呆れられたが、術後の経過はどうしても自分の目で、この手で確認したかったのだ。
精神的に参っていそうな騎士には「明日には温かいスープが飲めますよ」と優しく声をかけ、悪夢にうなされている騎士がいれば、その震える手をそっと握りしめます。
(……バイタルは安定している。大丈夫、あとは回復を待つだけ)
魔法で傷を塞ぐことだけが仕事ではない。不安を取り除き、寄り添うこと、前世で学んだ「看護」の基本は、この世界でも変わらず私の支えになっていた。
「……ランプを持った妖精、あるいは聖女様かな」
不意に背後から声をかけられ、振り返るとユーリ様が立っていました。
「何ですか、それは。藪から棒に」
私が訝しげに眉を寄せると、ユーリ様は可笑しそうに肩を揺らしました。
「今日、あの大混乱を一声で鎮めた様子や、死の淵から騎士を掬い上げた技術……そして今、こうして一人ひとりの手を握る姿を見てね。騎士たちの間では、もっぱら戦場の妖精、聖女が現れたと噂になっているよ」
「……どうせカシムが大袈裟に言い触らしたんでしょう?」
「いや、今回は自然発生した噂のようだね。当のカシム君も『皆様もようやく隊長の偉大さに気づいたようですね!』なんて鼻を高くしていたよ」
その光景が容易に想像できてしまい、私は絶句した。私はただ、目の前の患者に対して最善を尽くしているだけなのに。
「……もう、寝ます。明日も早いんですから」
からかうような視線を背中に感じながら、私は逃げるように自分の仮眠所へと足早に向かった。
ベットの中で前世の世界でランプの貴婦人と呼ばれた看護師の祖ナイチンゲールに思いを馳せた。
精神のケアも看護師の仕事ですね
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