表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/68

63 百人一首をアレンジ5 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき

読みに来てくださってありがとうございます。西洋では鹿の声に日本ほどの哀愁を感じないようですが、ギリシャ神話の時代から鹿はと特別な存在であったようで、アルテミスの聖獣であるケリュネイアの鹿の神話が残されていますね。

今回はあくまで日本の感情に沿った形で書いてみました。


よろしくお願いいたします。

 「鹿は夜行性の生き物だ」とは、誰から聞いたのであったか。いや、厳密に言えば「薄明薄暮性」と言うらしい。薄暗い時間帯を好んで活動する生き物なのだと記憶している。


 アルバンはあきらめてベッドから体を起こした。王都から離れた領地にあるカントリーハウスからほどよく見える場所に、深い森がある。迷いの森と呼ばれるこの森は、奥まで入って戻って来たものはいないと言われている。その森から、雄の鹿が雌を呼ぶせつなげな声が聞こえてくる。


 おそらく、あと一時間もすれば夜が明けるだろう。東の空のごくわずかな領域の紺色が、うっすらと青みを強くしている。


 再び、鹿が鳴いた。


「お前も、愛する者とはぐれたのか? それとも、まだ出会えずに探しているのか?」


 アルバンの言葉は、暗い寝室のベッドに落ちていった。


・・・・・・・・・


 将来の伯爵として、アルバンは幼少時から厳しく育てられてきた。アルバンにはつらいと思われるようなこともあったが、これが運命だとか、自分が生まれた意味なのだとか、貴族としての責務なのだ、などと己に言い聞かせ、歯を食いしばって努力した。


 そのおかげか、アルバンは優秀な後継者に育っていった。その順調な生育ぶりに、父伯爵は安心のため、そして息子と伯爵家と領地の将来のためにと婚約者を決めることにした。


 白羽の矢が立ったのは、辺境伯家の三女マーヤだった。辺境伯家の男子であれば、国内外の軍事バランスを重視した政略結婚が必要になるし、長女や次女も軍需産業に関係があるとか、軍港がある町を領有しているとか、何らかの形で軍事に関係する家へと嫁いでいった。三女のマーヤに関しては末っ子ということもあり、辺境伯閣下たっての願いで「軍事とは関係のない、国内の、平和な家」に嫁がるという意向があり、アルバンの家との縁が結ばれることになったのだ。


 初めて会った時、マーヤは、軍事に関わる家の娘というアルバンの先入観をすっかりひっくり返してしまった。アルバンがこれまで「絶世の美女」だと信じて来た王女よりも美しい。にこりと微笑んだ笑顔がかわいい。頬がかすかにバラ色に染まっていて、まるで人形のよう。所作も洗練されており、マーヤ自身も厳しい教育に耐え、多くの物を身につけて来たのだということが分かり、仲間意識さえ持ってしまったほどだ。


「私、辺境伯家の娘だからって、武に振り切っているんじゃないか、なんて言われるんです」

「本当のことを言うとね、僕ももしかしたらそうなんじゃないかって思っていたよ。でも、実際に会って、いい意味で裏切られた」

「裏切られた?」

「とっても素敵なお嬢さんで、マーヤ嬢のような人と一生を共に歩いていけるのだとしたら、とてもうれしいと思ったよ」


 10歳の口から出た言葉にしては、随分なマセガキ感たっぷりだ。それをマーヤは笑わなかった。


「私でもいいのかしら?」

「ぜひ。これからも仲良くしていきましょう」


 二人の様子を見た両親たちは、その日のうちに書類にサインをした。


 辺境伯は、その職務上領地を頻繁かつ長期間離れることができない。末娘のお見合いということでいてもたってもいられずについてきたが、もちろん、一泊しただけで、嵐のように辺境伯夫妻とマーヤは帰っていった。


 それ以来、アルバンとマーヤの文通が始まった。当たり障りのない話から始まり、やがて好きな食べ物や色、今読んでいる本、学んでいる内容など、少しずつお互いのことを知れるような内容になっていった。


 年に一度はアルバンたちが辺境領に出向いた。その年の収穫物をたくさん積んで辺境に向かえば、辺境伯は大いに喜んだ。


「なにせ、この地と国を守る民や騎士たちを飢えさせるわけにはいきませんからな」

「ええ、今年の麦も、いい出来です。どうぞお納めください」


 辺境伯は、持ち込まれる麦わらにも喜んだ。軍馬の飼料に混ぜることも、農地に鋤きこんで土を改良することもできる。何より、厩舎にたくさん敷いてやれると言った。馬Loveの辺境伯にとって、馬の生活改善に役立つ大量の麦わらは、宝石よりもうれしいものだった……もちろん、剣や防具もうれしいのだが。


 年に一度のマーヤとの面会が、アルバンは楽しみで仕方なかった。滞在中、二人はマーヤおすすめの場所から夕陽を見たり、お気に入りの店に行ったり、一緒に軽い鍛錬に参加したりした。


 4回目の訪問時、アルバンは言った。


「王都に行ったら、月に一度は会えるようになるね」


 14歳になったら、貴族子弟は王都の学園で、貴族子女は女学園で、3年間の寮生活を送ることになる。両校は月に一度交流を持っており、その日には婚約者がいる者は婚約者と、そうでない者はいない者同士でパートーを組み、ダンスやエスコートのレッスンが行われる。婚約者がいる者にとっては公開デート、いない者にとっては婚活の場である。年に一度しか会えなかった二人が月に一度会えるようになるのだ。アルバンはそれが楽しみでならなかった。


 マーヤも同じように喜んでくれているはず、と思っていたが、マーヤの顔は曇っていた。


「マーヤ?」

「ごめんなさい、私、王都の女学園には行かないんです」

「え……」

「隣国に嫁がれた叔母様の所に行くんです」


 兄姉たちに施したような武術的教育を控えめにした分、辺境伯はマーヤに数か国語の外国語教育を行った。通訳を介することなく他国と交渉できれば、悪意を持った通訳にもすぐに気づけるし、正しく通訳されているか確認できる。優秀な通訳官はいるが、彼らが入り込めない社交の場でも、外国語に聞き耳を建てられれば情報収集が可能となる。語学力を高めるための留学なのだとマーヤはアルバンに説明した。


「でも、うちに嫁ぐのに、そこまでの外国語はいらないよ?」

「アルバン様の御家も、隣国と貿易しているでしょう? 不利な契約を防ぐためにも、私の語学力が役立つはずよ」

「マーヤはそこまで考えてくれていたのか。本当にありがとう」

「どういたしまして」


 この件についてはアルバンの両親も今回の訪問まで聞かされていなかったらしく、「大丈夫かしら」と母は相当心配していた。


「だって、マーヤ嬢はこんなに美人なんですもの。向こうで高貴な方に見初められて戻れないなんてことになったら大変だわ」

「そんなことにはならないよ」


 帰りの馬車の中で両親が話しているのを聞きながら、アルバンもまた不安に襲われていた。アルバンはあんなに学園の交流会で会えるのを楽しみにしていたのに、マーヤにはそれが大事なこと、楽しみなことだとは思われていなかったのだ。アルバンに対する興味も同じようにそれほどのものではないような気がして、そしてこのままマーヤと二度と会えないような気がして、胸がつぶれそうだった。


 王都の学園では、月に一度の交流会のたびに、アルバンは肩身の狭い思いをすることになった。婚約者が他国に留学中だということはクラスメートには伝えているが、何か事情があって隣国にいるのではないか、アルバンを嫌っていて婚約を解消したいと考えているのではないか、などといいう噂まで出始めた。


そうなると、未だ婚約者のいない子女たちから、将来の伯爵の心を射止めようと総攻撃が始まった。


「アルバン様、今日は私をパートナーにしてくださいませんか?」

「いえ、わたくしと、是非!」


 そのほとんどが、結婚しなければ侍女や女官、家庭教師と言った形で仕事をしなければならないことになっている、爵位もそれほど高くない子女ばかりである。働きたくないから何とか結婚したい、そんな思惑まで透けて見えた。


「僕には婚約者がいますので」

「ですが、この場にはいらっしゃらないでしょう? ダンスのレッスンのパートナーは必要ですわ」


 嫌がっているアルバンを見かねた女学園側の教員が割って入り、教員がパートナー役をしてくれることさえあった。


 婚約者がいない男子生徒たちからは、嫌われることになった。片想い中のあの子がアルバンに言い寄っていた、それが気に入らないという者がほとんどだった。


 どうしてこんな目に遭わねばならないのだろう。


 アルバンは唇を噛んだ。別にモテたいわけでもないし、女子生徒たちから声を掛けられてもうれしくもない。マーヤが隣にいない、ただそれだけで理不尽な目に遭っているのが悔しかった。


 だが、アルバンはマーヤが意地悪をしているわけではないことを知っている。アルバンのために、国外取引先としては最も大規模に関係している隣国で、語学力を磨き、人脈を作ってくれているのだ。


 きっと、マーヤも隣国で同じように男子生徒たちに囲まれているかもしれないと思うと、チクチクと心がささくれ立つようにも感じた。


 だめだ、マーヤは僕の婚約者なんだから。


 これが嫉妬か、とアルバンは自分の感情に納得しながら顔をあげた。期待のまなざしでアルバンを見る令嬢たちに、アルバンはにこりと微笑むと、「婚約者にあらぬ疑いを掛けられるわけにはいかないんだ、何せ辺境伯家のご令嬢だからね」と言った。辺境伯家は、ただの伯爵ではない。侯爵と言っても差し支えないほどの権力と軍事力を持った家だ。アルバンは彼女たちにこう言ったのと同じだ……「辺境伯家を敵にして、潰されないとでも思っているのか?」と。


 愚かな者はそれでも引き下がらないだろうが、今日、アルバンを取り巻いていた女子生徒たちには理解されたようだ。ひきつった笑みを浮かべながら、「また、機会がありましたら踊ってくださいませ」などと言いながら去っていく。


 その日も女学園の教師がパートナー役になってくれた。それが仕組まれていたことだったなんて、アルバンは思ってもみなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 一か月後。いつもなら一か月に一度は届くマーヤからの手紙が届いていないことに気付いた。


 マーヤもきっと忙しくしているのだろう、いや郵便事情か何かで数日遅れているだけに違ない、そう思っている内に、二か月が経った。さすがにおかしいと思ったアルバンは、返事を待たずにこちらから手紙を書いた。


 春先で気温の変化が激しく、体調を崩したのではないかと心配している、こちらは成績を維持しながら頑張っている、一日も早くマーヤに会いたい、そんな内容を書いて郵送した。だが、一向に返事はない。


 その間にも、交流会は月に一度のペースで開かれ、気づけばパートナー役はいつも女学園の教師であるヴォルタース先生が付くようになっていた。アルバンより10歳ほど年上の、子爵家出身の女性教師だ。


「ヴォルタース先生、いつも申し訳ありません」

「いいのですよ。それよりも、うちの生徒たちがいつも次期伯爵様にご迷惑をかけて申し訳ありません」

「いえ、先生が盾になってくださるので助かっています」


 こんなたわいもない話しかしていないのに、半年ほど経った頃からアルバンの耳に「アルバンは女学園のヴォルタース先生とこっそり付き合っている」などと言う噂が聞こえるようになった。


「ごめんなさい、私ばかりがパートナー役をしていたからですね」

「いえ、こちらこそ教師とはいえ、未婚の女性であることを失念していました」


 マーヤからの手紙は来ない。女学園側は「こちらの事情で」と言ってヴォルタース先生から別の女性教員にパートナー役を変える気配がない。


 さすがのアルバンもマーヤのことが気になり、辺境伯家に手紙を送ったが、そちらからも返事はない。


 夏休みに入ったところで、アルバンは領地に戻った。両親が青い顔をしてアルバンを迎えた。


「どうしたの? 今年の麦の収穫に問題があったの?」

「いや、落ち着いて聞いてほしい」


 父から聞かされたのは、マーヤとの婚約を白紙にするという辺境伯家からの一方的な手紙が来たということだった。


「白紙?」

「さすがにおかしいと思って問い合わせたんだ。そうしたら、マーヤ嬢に新たな婚約が持ち上がり、それが御断りできない筋なのだということだった」

「お断りできない筋って……」

「隣国の、更に向こう側にある国の王族だ」

「王族……」

「なんでも、マーヤの語学力を買われたらしい」

「手紙が来なくなったのは、そういうことだったのか」


 どうしてマーヤは教えてくれなかったのだろう。もやもやする。


 アルバンは思い切って辺境伯の所に行くことにした。会えば事情を聞かせてもらえるはずだと思ったのだ。


 数日かけてたどり着いた辺境伯家は、今までと違い、夏だと言うのに冷えた空気でアルバンを迎えた。


「アルバン君。聞きたいことがある」


 ついて早々に、アルバンは辺境伯に呼ばれた。茶を出されることもなく切り出されたのは、アルバンが女学園の教師と懇意になり、マーヤとの結婚を考え直す予定だという話を聞いたという、アルバンにとってはまさに寝耳に水の話だった。


「待ってください、確かに、女学園の先生に交流会のパートナー役を何度かしていただきましたが、それは女子生徒たちから僕を守るためでした」

「差出人不明の手紙が何通かマーヤと私の所に届いたんだよ。アルバンはその女性教員に首ったけで、マーヤが入り込む余地などない、婚約は破棄すべきだと。我々も調査した。そして、その女性教諭と君には、交流会以外何の接点もないことを確認した」

「それなら、どうして……」

「マーヤには調査が終わるまで待つようにと指示していた。だが、マーヤは君にそんな浮いた話が出てきたことで不安になったんだろう、仲の良い者たちに相談したところ、件の王族が、それなら自分の手を取らないかと申し出があったのだ」

「相談?」

「ああ、向こうは共学なんだ」


 知らなかった。国内の学校は、平民のための学校でさえ男女別だから、共学の学校があることさえ知らなかった。いや、この世に共学の学校を持つ国があることは知っていたが、隣国がそうだとは知らなかった。


「情報不足だ」

「そうだな。マーヤはお前に嫁ぐ日を夢見ていた。だからこそ、お前の心に他の女が入り込み、マーヤとの婚約をなかったことにしようとしているという話に、冷静ではいられなかったのだろう」

「そんなに頻繁に、マーヤ嬢の所に僕に関する手紙が届いていたのですか?」

「三度目の交流会の後から、複数人の筆跡で、月に何度も届いていたそうだ。はじめは愛艇にしていなかったマーヤも、同じ情報が複数ルートから回を重ねて届いたことで、偽の情報が本当のことなのかもしれないと思うようになったのだろう。人間の心理とはそういう者だ。繰り返される情報は、それが正しいものだと思うようになる。それを熟知した人物が、マーヤとお前の婚約を潰そうとしたわけだ」


 アルバンは辺境伯の言葉にはっとした。


「心理を、熟知した人間が?」

「気づいたか」


 アルバンは拳を握り締めた。爪が手のひらに食い込んで、今にも皮膚を破ってしまいそうなほど、強く握り込んだ。


「ヴォルタース先生の専門は、行動心理学だと聞いています」

「そうだ。それだけではない。彼女は王家の意向で動いていた」


 どうしてここで王家が出てくるのかわからない。うなだれたままのアルバンに、辺境伯は言った。


「我が家とお前の家が結びつくよりも、マーヤを他国の王族に嫁がせて、隣国を挟みたいらしい」

「まさか、戦争を?」

「そうなった時のための駒さ。今はまだ向こうの国と同盟関係はないし、隣国との関係も良好だ。だが、その関係にいつ、ひびが入るとも知れない。そうなった時のために、ほどほどの身分を持ち、武門の覚悟と心構えがあり、その上美しく賢いマーヤに白羽の矢が立ったのだよ」

「まさか、留学そのものが仕組まれたことだった?」

「我々の情報収集能力も低かった」


 そういうことか、とアルバンは肩をさらに落とした。


「マーヤが隣国に興味を持つよう、隣国に嫁いだ妹が王家に買収されていた。それから我々がこの情報をつかむまでは、件の女教師はそのまま失意のお前を慰めて心に入り込み、新たな婚約者に収まるところまで計画されていたようだ。我が家とお前の家の監視もできるし、一石二鳥だと王家は考えたのだろうな。だが、我々はその計画に気付いた。進級したら、交流会で例の女教師を探してみろ。おそらく、その教師は退職したと言われるはずだ」

「王家がその件については引き上げたということですか?」

「今回、辺境伯家として王家に抗議した。大っぴらにしてやってもよかったんだが、あまり恨みを買いすぎれば足元を掬われかねん。私だって、マーヤを国内に置いておきたかったが、マーヤは既に向こうの国へ行ってしまったらしい……父にも顔を見せずに行ったのだから、おそらく情報操作されているのだろう。こちらにも手紙が届かなくなってしまったのだよ」


 アルバンは辺境伯に願った。


「マーヤに会いに行きます」

「何を」

「せめて、僕は裏切っていない、閣下も心配していると伝えたいのです。ですが、旅費が足りません。恥ずかしいお願いですが、お金を貸していただけませんか」

「やめておけ」

「いえ、せめて、マーヤがつらい目に遭っていないか、それだけでも確認したいのです。そうでなければ、僕だって……」


 アルバンは声を落とした。マーヤを諦めたくはない。だが、心は一度離れたら二度と同じようにはならない。それが誤解であり、あるいは操作された情報であったとしても、修復した痕は残る。そして、その痕は何年もかけて化膿し、いつかは2人の関係を壊すのだ。「雨降って地固まる」という言葉があるが、あれはトラブルの一件によって相手の更によい所、信頼に足るべき所を発見できた場合にのみ有効であり、完全な元鞘などありえないのだ。そう、再構築という新たな関係を結ぶ時間と機会が与えられない限り、アルバンがマーヤの心をつかむことは二度とない。


 それでも、会いたかった。マーヤはアルバンの心変わりという偽情報に踊らされて傷ついたが、ここで本当のことを知れば、マーヤを慰め新しく心をつかんだ遠国の王子との関係にも悩むことになるだろう。そんな苦しみを与えたいのではない。幸せに暮らしているかどうか、もしかしたら消去法で選んだことを後悔していないか、それを見届けたいのだ。


 そうでなければ、アルバンだって前に進めない。


 辺境伯はアルバンの言葉を、最後まで黙って聞いてくれた。そして、うなずいた。


「わかった。だが、お前ひとりではいかせられん。お前のご両親も心配するだろうからな、うちの者を護衛としてつける。旅費はその者に預けよう。それでよいか?」

「ありがとうございます」


 アルバンは供の者のほとんどを馬車と共に領地に帰した。身の回りの世話をする侍従一人、御者、そして護衛の騎士の四人で辺境伯家の家紋無しの馬車を借りて出発した。


 隣国は、故国とは全く雰囲気が違っていた。男女の壁が薄く、路上で男女がキスをしているのを何度も見かけた。


「お嬢様には刺激的でしたでしょうな」


 護衛の騎士がつまらぬ、という調子でつぶやいた。


「奥ゆかしいお嬢様にとっては、こんな距離感の男どもの目など、煩わしいだけでしたでしょう」

「心の支えになるはずの僕の心変わりという噂を信じてしまうほど、こちらの男性は軽々しいということだね」

「はい」


 隣国を通過してマーヤがいる国に入ったのは、辺境伯家を出発して既に二週間が経った頃だった。


「直接話せなくてもいい。ただ、遠くから顔を見たい」

「閣下からのお手紙を渡すという口実で、居場所をつかんできます」


 侍従は優秀な男だった。使者として王宮につなぎ、アルバンを王宮に入れることに成功した。父辺境伯の了承も得ずにマーヤをさらうように連れて来てしまった後ろめたさもあったのだろう、マーヤに手渡しするよう閣下から念を押されていると言えば、王宮側もあっさり了承してくれた。


 アルバンが侍従の格好をし、侍従がアルバンの格好をしてマーヤの住む区画に近づいた。当然部屋に入ることなどできず、庭の片隅にある四阿で待たされる。


「すみません、主を差し置いて、私が椅子に座るなんて」

「いいんだ。僕は少し離れたところで控えているから、僕だと気付かせないようにしてくれ」

「かしこまりました」


 庭の隅に護衛騎士とともに控えていたアルバンの目に、マーヤが映った。


「マー……」

「なりません」


 護衛騎士にたしなめられて、アルバンははっとして口を閉じ、頭を下げて目だけマーヤの方を見た。


 マーヤはきれいになっていた。辺境伯家にいた時のような動きやすい服ではなく、王族らしく、美しい民族服を着ていた。


「お父様からのお手紙を持ってきたと聞いたわ」

「はい。こちらでございます」

「ありがとう」

「お元気でいらっしゃいましたか?」

「見ての通り、元気よ」

「ご挨拶もなかったこと、閣下はご不満のようです」

「そうね。でも私、もう故国に戻りたくなかったの。だって」


 マーヤはアルバンの方をじっと見た。気づかれていたのか、と思ったアルバンは、思い切って頭を上げ、まっすぐにマーヤを見た。


「私の心を考えずに政治の駒としか思わないような王家には、もう忠誠を誓えないと思ったから」


 そうでしょう、アルバン。


 マーヤの目が、そう言っているように見えた。


「亡命したと聞こえます」

「そうね。王家にとっては誤算でしょうが、この国は隣国とトラブルになったとしても、戦争という手段で解決するつもりはないそうよ。あくまで外交努力で関係を修復する方針。だって、戦争という形で信頼関係が壊れたならば、その国のことを本心から信じられないでしょう? 戦争に勝利した国の言いなりにされる敗戦国が、戦勝国の言う『対等』が本当に対等であるわけがないことくらい、子どもにだってわかるわ」

「今のお言葉、閣下に報告しても?」

「手紙では残せない内容でしょう?」


 イエスの返事だ。


「そうね。最後に一つだけ」


 マーヤは目をアルバンに向けたまま言った。


「あの国が

嫌になったなら、

心配せずに来てください。

天に誓ってこの国はいつでもみんなを受け入れると伝えてくれるかしら?

頼んだわ」


「承知いたしました」 


 侍従は気付かなかったようだが、アルバンはマーヤから目が離せなかった。マーヤと一緒に学んだ暗号文の言葉が、アルバンの心に楔となって撃ち込まれていた。辺境伯家の護衛騎士は、その暗号が理解できたのだろう。帰り道、護衛騎士はずっと気の毒そうにアルバンを見つめていた。


 無事に戻ったアルバンたちは、手土産としてマーヤに持たされた品々を辺境伯に渡し、メッセージを伝えた。辺境伯は暗号のくだりを聞くと、天井を見上げた。


「もう、二度と戻らぬか」

「はい。大切にされているようでした」

「そうか」

「はい」

「悪いが、一人にしてもらえるか」

「かしこまりました。失礼いたします」


 扉を閉めた瞬間、中から嗚咽の声が聞こえた。誰より傍に置いてかわいがっていた娘が、王家の意図に気づき、亡命に近い形で国から出なければならなかったことがつらかったのだろう。情報収集能力は国内随一だと思っていたのに、実際には家族さえ守れなかったと己の力不足を嘆いていた辺境伯だが、信頼しあっていた二人を引き裂いた王家に……アルバンとマーヤ、二人の初恋を壊した王家に、アルバンは怒りが湧いた。


 とはいえ、今のアルバンにはまだ何もできない。学園の一年を終了しただけで、まだ子どもでしかないのだ。


 マーヤが、いつか里帰りしてもいいと思える国にしよう、とアルバンは思った。


 領地に戻ったアルバンは、両親に全てを話した。両親は気の毒がってくれたが、所詮田舎の平和主義者、それ以上は何も考えてないようだった。それどころか、新しい婚約者を探さねば、などとのんきなことを言っている。アルバンはぴしゃりと両親に告げた。


「今はそんな気になれません。新しい婚約者探しをしていることがマーヤに伝われば、マーヤは僕の心変わりの噂は本当だったのかもしれないと思うではありませんか」


 それ以来、アルバンはこれまで以上に学業に打ち込んだ。学業だけでなく、体も鍛えるようになった。見るからに優男だったアルバンの体は大きく成長し、背が伸びて細身の騎士のような体つきに変化した。


 学園を卒業して領地に帰って来たアルバンは、ひと夏を領地改革のための提言作成に費やした。秋の中頃に向かい始めた頃、アルバンはそれを父親に手渡した。父親はそれを読み、あと3年したらアルバンに爵位を譲ると言った。


「ただし、条件が一つある」

「なんでしょう」

「伯爵となるのなら、夫人が必要だ」

「父上!」

「離婚や死別で夫人がいないのならば仕方がないが、それだって後添えをすぐにもらうのが普通だ。お前はこの伯爵家の血を絶やすつもりか? 絶やしたら、王家がこの地を直轄するだろう。民たちが王家に血税を搾り取られてもいいのか? うちの大事な麦を、辺境伯家に送らなくてもいいのか?」

「……」

「2年以内に、相手を決めろ。そうすれば、襲爵と同時に結婚できる。二度、大掛かりなイベントを行うよりも経済的だろう」

「はい、父上」


 アルバンの胸の中には、まだマーヤの影が残っている。最後に見たあの時、マーヤがアルバンに告げた暗号。それは……









「あ・い・し・て・た」



 その段階で、既に過去形だったのだ。それがマーヤの配慮である可能性もあったが、引き裂かれたという気持ちが強すぎて、今でも、どう頑張ってみても、マーヤ以外の女性に心が向かずにいる。


 そんなことを悩んでいたから、なかなか寝付けなかった。明け方の迷いの森から聞こえた牡鹿の声に、アルバンは己を重ねた。


「お前も、愛する者とはぐれたのか? それとも、まだ出会えずに探しているのか?

深い森の奥で、落葉した葉を踏み閉めながら番を探し求めて悲しく泣く牡鹿の声を聴いていると、秋は悲しいものだとつくづく思うよ。

一人はつらいよな。

迷いの森にいるお前と僕は、もしかしたら同じなのかもしれないな」


 アルバンは姿の見えぬ牡鹿に思いを送った。


「お前だけでも、思う相手と添い遂げてくれよ」と。


奥山(名詞)に(格助詞)

紅葉(名詞)踏み分け(カ下二連用)

鳴く(カ四連体)鹿(名詞)の(格助詞)

声(名詞)聞く(カ四連体)時(名詞)ぞ(係助詞)

秋(名詞)は(格助詞)悲しき(シク活用連体)


※ぞ→悲しき 係り結び




読んでくださってありがとうございました。

いいね・評価・ブックマークしていただけるとうれしいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ