62 百人一首をアレンジ94 み吉野の山の秋風小夜ふけてふるさと寒く衣うつなり
今日の一首はあまりにもナーロッパ風に仕立てにくい(砧の音に季節や哀愁を感じる日本と違い、洗濯棒は単純に洗濯のためにバシバシ叩く道具でしかない)ために、いつも以上に悩みました。
ということで、冬と音と哀愁という形にして書いてみました。
パーンという乾いた音が空に響き渡った。
「今年も、キツネ狩りの季節か」
「そうですねえ」
元は軍事訓練と食肉調達という目的を持っていた貴族の狩猟。だが、今では貴族の娯楽であり、射撃の精度を競うスポーツと化している。とはいえ、この山村に来るのは貴族だけではない。軍事演習を兼ねて騎士団の一行もやってくる。今、銃声を響かせているのは、騎士団のメンバーだ。
「では、今日はもう11月1日か」
「ええ、11月1日です」
月に一度、足に古傷を持つアルバンのために医師が往診に来てくれる。冬がもうすぐそこに来ているせいか、足の古傷が痛み始めている。
「アルバンさん。悪い夢は見ませんか?」
「今のところ、大丈夫です」
「ですが、あの音を聞くと……」
「そうですね、また見てしまうかもしれません」
「では、痛み止めだけではなく、睡眠薬も置いておきますね。どうしても眠れない時だけ飲むんですよ。いいですね?」
足の傷よりも、医師はアルバンの心の傷の方を気にしているらしい。
「わかりました。先生、いつもありがとうございます」
「引っ越すつもりはないんですか?」
アルバンの表情が何かに堪えているように見える。
「あの人が……戻ってくることもありますから。ここにいなければ、あの人は私を見つけられないかもしれません」
「アルバンさん……」
医師はアルバンから薬代だけ受け取ると、森の入り口にある小屋を後にした。かつては明るい声が聞こえたその家は、ひっそりと静まり返っている。医師は一度振り返ったが、振り切るようにして町にある騎士団内の診療所に戻った。
・・・・・・
アルバンは刃物職人の息子として生まれ育ち、自身も同じ道に進むのは当然だと思ってきた。だから幼少時から父親の側で仕事を見続け、12歳になると少しずつ手伝いをするようになり、20歳で町の人間が使うような包丁やナイフなどなら作らせてもらえるようになった。
アルバンの父親は、裕福な家庭からの依頼を受けることはあっても、貴族の依頼は絶対に受けなかった。何かの間違いがあった場合、一家全員処刑される可能性があることを知っていたからだ。
人を殺す前提の武器も、絶対に作らなかった。狩りに使うための鏃や解体のための牛刀などは作ったが、誰に何本、何を売ったかを記録していた。
剣や槍などを作った方が利益にはなる。アルバンにはどうして父親が武器を作らないのか疑問だった。そうストレートにぶつけた時、父親は悲しそうな顔をした。
「自分が一生懸命作ったものが役に立つのはうれしい。でもな、自分が一生懸命に作ったもので人を殺した、たくさん殺せた、素晴らしい武器だ……と言われてアルバンはうれしいか?」
正直に言うと、アルバンはよくわからなかった。軍部では銃の装備が進み、弓隊が消滅した。鏃の需要は一気に冷え込み、刀鍛冶職人たちは切れる重たい長剣から装飾用の剣や護身用の短剣に作るものを変え始め、武器商人たちは銃弾を受けても貫通しない甲冑の開発と販売にシフトしつつある。それでも、剣を振るう騎士の物語はかっこいいと思うし、模擬の騎馬戦で槍隊が木槍で戦っているのを見ればわくわくする。
「剣、かっこいいのにな」
思わず漏れた本音に、父親は悲しそうな顔をしてアルバンを抱き寄せた。
「見た目はな。だが、考えてみろ。アルバンが作った包丁でアルバンの友だちが殺されたら。嫌な気持ちにならないか?」
「それは、そうだけど……でもさ、自分で作った武器のおかげで英雄が生まれたっていわれたら? それはうれしくない?」
「アルバンはうれしいのか?」
「うん、多分ね」
「父さんは、うれしくないな。だって、父さんが作らなかったら、その英雄に殺される人はいなかったはずだからな」
「使い方の問題なんじゃないかなあ」
アルバンには、父の危惧が理解できなかった。それよりも、もっと生活が楽になる道があるのにそれを選ばぬ父に対しての不満の方が強かった。
だから、アルバンは父の元を離れた。隣町に住む武器職人の所に見習いとして入ったアルバンは、基礎ができているからとすぐに武器の作り方を教えてもらえることになった。
二年もすると、「新しく腕のいい武器職人が出た」と評されるようになった。だが、アルバンは未だ自分の銘を刻むことは許されなかった。親方に認められて5年以上経ち、独り立ちを許されなければ銘を刻むことは許されない、それがこの近辺の職人のルールだったからだ。
アルバンはまじめに働いた。
ある時、領主に仕える騎士団の一人が、アルバンが作った剣を買っていった。しばらくすると、あの騎士が剣を100本依頼してきた。納期があまりにも短かったため、親方は無理だと言ったが、騎士はそれなら店をつぶすとまで言い出した。
仕方なく、親方はアルバン以外の弟子たちも使って、総出で100本を仕上げた。
「納期と本数は守りましたが、質についてはバラバラです」
「構わん」
そんなはずはない。質が落ちる剣だって混じっているのだ。親方の不安は的中した。
三日後、騎士団の一小隊が親方の店を取り囲んだ。
「騎士団に納入する剣に、不良品が含まれていた」
「我々は、時間が必要だと申し上げました。それにもかかわらず、とにかく納期と本数を守れと脅してきたのはそちらです」
「お前は馬鹿か。一定のレベル以上のものを、納期と本数揃えなければ意味がないだろう」
「それについてもきちんとご説明しましたが、聞き入れていただけませんでした」
「不良品が含まれることを認めるような騎士がいるわけなどないだろう」
いや、あなたの隣にいるその騎士が、まさにそうです。
職人の目がその騎士に向く。その視線に気づいた小隊長が、騎士を見る。
「お前……」
「隊長は、私と職人たちのどちらを信用なさるのですか?」
「……もしお前がいい加減な指示を彼らに出していたとしたら、お前は自分がどんな処分を受けるか、分かっているな? 虚偽の報告をしていないと言えるのだな?」
小隊長の言葉に、騎士は沈黙した。
「お前……」
「うるせえんだ!」
突然騎士は背負っていた機関銃を構えた。
「おい、何を」
パーン、という音が響いた。至近距離から撃たれた小隊長はそのまま倒れた。小隊の仲間が取り押さえようとしたが、次々に凶弾に倒れる。職人たちは逃げ出そうとしたが、騎士の銃口はこちらを向いていた。
「や、やめてくれ!」
職人たちが次々と撃たれる。アルバンも左足を撃たれ、その場に倒れた。
なんで、こんなことに。
動けなくなった者たちに、騎士は剣でとどめを刺しにかかった。
どうして、自分の剣で自分が殺されるんだよ!
その時、父親の言葉が思い出された。人を殺す道具にしたくないから武器は作らないと言っていた時、父はどんな顔をしていたか。
ああ、そうか、とアルバンは気付いた。父親もまた、きっと若かりし頃に、自分の作った武器が人を殺すところを見てしまったのだろう、と。
騎士と目が合った。次はアルバンにとどめを刺すと決めたようだ。騎士は動けぬアルバンにつかつかと近づくと、剣を振り上げた。
お終いだ、と思った、その時。
パーン、と遠くから銃声が聞こえた。同時に、騎士の体から鮮血が噴きだし、そのままゆっくりと倒れていった。
剣が投げ出された。地面に転がった剣は、アルバンの足の僅か10センチほど先にある。
「大丈夫か!」
遠くから声がする。アルバンは気を失った。誰が生きているかなど、分からなかった。
目を覚ました時、アルバンは騎士団内の医療施設にいた。真っ白い壁とリネンなど、平民の、それも鍛冶職人であるアルバンからは遠い存在だ。窓もない真っ白い閉鎖空間であることに気づいた時、アルバンは逃げられないと思い、そのままパニックを起こした。白い木の扉があったが、目覚めたばかりのアルバンには見つけられなかった。
狂ったように叫びながら、アルバンは逃げようと壁を叩き始めた。そんなアルバンに気付いた医療スタッフたちが駆け付けたが、アルバンは彼らを襲撃者だと思い込み、全身の力で抵抗した。痛みなどに構っていられなかった。包帯を巻いた足から血が滲みだしたのに気付いたスタッフが、「暴れ続けたらこのまま出血多量で死ぬことになりますよ!」と叫んだ。出血多量という言葉に、なぜかアルバンは冷静さを取り戻した。ぜんまいが切れたブリキの人形のように急に動きを止めたアルバンに、恐る恐るスタッフたちは近づいた。
「アルバンさん? 足に残った銃弾は取り除きましたが、まだ傷は塞がっていません。一日も早く治すためにも、落ち着いてベッドに戻りましょう?」
アルバンは黙ったままベッドに戻った。スタッフたちから安堵のため息が漏れる。若い衛生兵が一人残り、他のスタッフたちは退室した。
「アルバンさん、お話しできますか?」
「はい」
さきほど、ベッドに戻れと言ってくれた声だと気づき、アルバンは返事をした。
「アルバンさんの状態について、説明してもよろしいでしょうか?」
自分よりもいくつか年下と思われる衛生兵は、アルバンよりも落ち着いているようだ。衛生兵とあら
ば、前線で傷ついた傷病兵を運んだり治療の手伝いをしたりすることもある。騎士団内の医療施設内など、安心できる空間なのかもしれない。
「アルバンさんの剣にほれ込んだある騎士が独断で剣の納入を決めました。支払い請求書を見た小隊長が検品したところ、粗悪品が数本混じっていることがわかり、その責任を取るようにと叱責を受けました。その騎士は自分の責から逃れるためにアルバンさんたちの工房のせいにしようとし、粗悪品でもいいから短期納入しろとあなた方に告げたことが小隊長に分かると、口封じに全員を殺そうとしました。小隊長は即死、アルバンさんは足を撃たれ、他にも腕や腹を撃たれた者が数名。取り押さえられそうになると、騎士は自らに銃口を向けて発射しました」
「では、あの騎士はもう亡くなったと」
「はい。あなたを脅かすものはもういません。それをアルバンさん、あなたに伝えたかった」
「そうですか」
アルバンの心には、あの騎士が自分の剣を認めてくれたことと、自分の剣が人の命を奪うきっかけとなったこと、そして命を奪われた小隊長の家族がどんな思いでいるだろうかと、様々な思いが去来した。
「悪いのは、無理な納期を設定して納入させ、逆切れして銃口を他者に向けた騎士です。アルバンさんたちは、依頼を指示通りに遂行しただけ。あなた方に非は一切ありません」
「ご家族は」
アルバンは衛生兵に尋ねた。
「亡くなった小隊長のご家族は……どうしていらっしゃいますか」
衛生兵は視線を落とした。
「ご家族は奥様一人です。ずっと墓石にしがみついて泣いていらっしゃると伺いました」
「そうですか」
アルバンは目を閉じた。
「早く怪我を治して、奥様にお詫びに行かねばなりませんね」
「どうしてアルバンさんが?」
アルバンは父の言葉を衛生兵に伝えた。衛生兵は少し首を傾げ、あくまで私見だと前置きしてからこう言った。
「私は……小隊長は、問題のあった騎士に対しての認識が甘かったと思います。その騎士は無断で大量の武器を購入したのですから、その一件だけでも懲戒処分の対象になるはずです。それどころか、反乱予備罪と見なされてすぐに拘束されてもおかしくないはずの行動なんです。それなのに他の騎士を連れずに、問題の騎士と連れ立って工房に行くなんて……軽率だと私なら思います。一般市民を巻き込んだ銃の乱射事件を誘発したわけですから、小隊長は殉職による叙勲どころか、死後であっても処分されるでしょう」
アルバンが見た小隊長は、穏やかで真面目そうな人だった。職務に忠実に、そして部下を信じたいという思いで、大事にする前に確認に来たのだろう。それさえ、騎士団の中では見通しが甘かったと判断されるのかと思うと、一般市民の感覚としてはやはり小隊長が気の毒であり、夫を亡くした夫人もまた気の毒だとアルバンは思った。
アルバンは1か月後に退院した。銃弾が神経を傷つけていたために、撃たれた右足にまひが残ってしまったが、歩くことはなんとかできた。雨が降ったり気温が低くなったりすると傷が痛んだが、生きている証拠だと思うことにした。
工房に隣接する親方の家に向かうと、工房は、親方の意向で閉じられていた。親方自身は大きな怪我などなかったのだが、自分の工房で銃の乱射事件が起きたのだ、思い出したくもないと手つかずのままらしい。
「鍛冶職人としては引退して、自宅で包丁研ぎ程度の仕事だけをすることにしたんだ」
つまり、アルバンは居場所を亡くしたのだ。
「お前が武器ではなく生活に必要なものを作る鍛冶職人としてまだ仕事を続けたいのなら、受け入れてくれると言った奴がいる。騎士団からもお前の腕については一筆書いてくれた。紹介するが、どうする?」
「お願いします。一人でなんとか生きていかなければなりませんが、実家にはもう頼れないので」
親方は頷いた。工房を空けてもらって自分の道具だけ取り出し、住まわせてもらっていた親方の家の自室から少々の着替えなどの荷物をまとめると、アルバンは親方と女将さんに「お世話になりました」と丁寧に礼を述べて親方の家を出た。そして、その足で紹介状にあった二つ隣の村の村長を訪ねた。アルバンが住んでいた町からは山を一つ越えなければならない。女性の足では厳しい山道なら、麻痺の残る足で歩くアルバンにもつらい道だったが、黙ってひたすら歩き続けた。
午前中に町を出たアルバンがその村に着いたのは、既に日も暮れた頃だった。
「ああ、あんたが例の」
「はい、アルバンと申します」
「もう武器は作らんのか?」
「対人武器はもう作りません。狩りや農作業、家の中で必要とする刃物だけを作ったりメンテナンスしたりしていきたいと思っています」
「ああ、頼むよ。村にも鍛冶職人がいたんだが、去年亡くなってね。どうしようもない時にはお前さんの親方の工房に持って行って直してもらっていたんだが、そのためだけに行くのも大変だから、こっちに来てもいいという弟子が出たら寄越してくれと頼んでいたんだよ」
「そうでしたか。では、鍜治場があるんですね」
「ああ。いったん火は消してしまったからまた火を起こすのは大変だろうが、手伝えることがあれば手伝うよ。お前さん、足を怪我して不自由だって聞いたが……調子はどうだ?」
「以前ほど踏ん張れませんが、生活には支障ありません」
「そうか、じゃ、案内するよ」
村長に連れていかれたのは、森の入り口にある小さな家だった。鉄骨を組んだ不思議な家だ。隣には工房と思われる別の建物がある。
「家の鍵だ。前任のパウルは、刃物や熱いものを扱うからと、子どもや賊に入られないように戸締りだけはしっかりしていた爺さんだった」
去年亡くなったという鍛冶職人パウルはいつもそう言っていたと村長は言いながら鍵を開けた。埃っぽい。持っていたランプから火を移すと、鈍いオレンジ色の光が部屋を照らした。片付けられてはいるが、なんとなくかび臭い。人が住まなくなると家は傷み始めるというが、こういうことかとアルバンは思った。
「今日はとりあえず、これでも食べて寝なさい。明日、明るくなってから何があるか、どんな状態か、確認すればいいさ」
「ありがとうございます」
アルバンは村長から籠を受け取った。森の恵みも豊かなこの村は、食うには困らないところらしい。籠の中にはパンと焼いた薄切りの何かの肉、それにこの赤いのは……
「トマト?」
はるか南の地域で栽培されていたトマトは、アルバンが住んでいた町にもあった。だが、高級な野菜であった。それが、ちんまりと籠の中に鎮座している。
歓迎されているのだということにしておこう、アルバンはそう考えてトマトにかじりついた。予想以上に甘いトマトにアルバンは感激した。明日、是非ともトマトがこの村で栽培されているのかどうか確かめなくてはと思った。
翌朝、扉をほとほとと叩く音に目を覚ましたアルバンは、寝ぼけ眼のまま扉を開けた。
「おはようございます。朝食をお持ちしました」
「え、あの、どなたですか?」
「マーヤと言います。父から、アルバンさんのお食事と洗濯をするように言いつけられています」
「お父さん?」
「村長です。私、出戻り娘で、することもなく泣いてばかりだったんで、お世話係を命じられたんですよ」
「そ、そうですか。朝食もいただけるんですね」
「あら、アルバンさんはお食事が作れるんですか?」
「いや、作れません」
「でしょう?」
自分よりも少し年上の女性にそう言われて、アルバンは頭を掻いた。先程、マーヤが出戻りだといったことを思い出した。これはあまり深く聞かない方がいい話だ、そう思ったアルバンは、話の方向を切り替えた。
「昨晩、トマトが籠の中にあったんですが、南方のトマトが北のこの辺りでも栽培されているんですか?」
「ええ。前の鍛冶職人だったパウルさんが、まだ若い頃に鉄で骨組みをした大きな温室を作ったんです。その中では、南の農産物も栽培できるんですよ」
「面白そうですね」
アルバンは前職者のパウルが作ったという温室に興味を持った。鍛冶仕事というと刃物を取り扱うと思う人が多いが、鉄加工品を溶接するのも鍛冶職人の仕事だ。それが建築に向かえば、温室のようなものを作ることもある。おそらく、パウルは後者の仕事にも積極的に取り組んでいたのだろう。
マーヤは持ってきた食事を差し出した。
「温室から帰ってきたら、私、台所を片付けます。このままでは使えないから」
食事を終えると、アルバンはマーヤに連れられて温室に向かった。アルバンは昨日から住み始めたこの家より少し大きいくらいの温室だろうと思っていたが、それは間違っていた。
「こんなに大きな温室は都にもないでしょう。植物園の関係者が知ったら欲しがりそうです」
アルバンは感嘆した。
「実験だってパウルさんは言っていました」
「実験?」
「はい。私にはよくわかりませんが。パウルさんは鉄を打っている時以外、いつも何かをノートに書きこみながら考えていました」
アルバンは鉄の骨組みに触れた。ひんやりとした鉄の冷たさが体を走り抜けていくように感じられる。
「この温室のおかげで、南でしか栽培できないものも栽培できるようになりました。冬でも野菜を食べられるようになりました。ベリーや木の実、キノコなどを取るために怯えながら森に入る必要もなくなりました。パウルさんは、私たちに安心と安全を授けてくれたんです」
マーヤははっきりと言った。
「ですからアルバンさん、あなたはパウルさんと比べられて大変なこともあるはずです。パウルさんが作ったこの温室は維持してもらいたいと思いますが、それ以外の部分は、アルバンさんらしくやってくれればいいんです」
「パウルさんと同列にされたらかないません。若輩者ですから。でも、この温室が維持できるよう、頑張ってみます」
「ええ、それでいいんです」
その日から、マーヤはアルバンの生活を整えるために手伝ってくれた。生活空間だけでなく、鍜治場の片付けと準備まで整った頃には、二人はまるで昔からの友達のように、あるいは家族のように接するようになっていった。元の所有者が亡くなった後、ひっそりと静まり返っていた森の小屋に、明るい声が響くようになった。
アルバンは心穏やかな日々を過ごした。足を引きずっているので温室の高いところに上ることはできず、パウルが作ったのと全く同じ状態で温室を維持することは難しいと判明した時には村人たちからため息が漏れたが、高さを抑えたものに作り替えればアルバンでも十分に維持できそうだといえば、彼らは分かりやすく安堵した。
心の距離が近くなると同時に、アルバンはマーヤが時々暗い表情をしたり、涙をこらえたりしている時間があることに気付いた。
「何か嫌なことがあった?」
「ううん、死んだ夫のことを思い出すと、やっぱりまだつらいなって」
「そうか、そうだよね」
いつしかマーヤに好意を抱き始めていたアルバンの胸にちくりと痛みが走ったが、だからこそマーヤを支えられる人でありたいと思うようになった。
縮まりそうで縮まらない。最後の壁が、二人隔てている、そんな日々が続いた。
晩秋の狩りのシーズンが始まると、この村に、かつての事件を起こした騎士団がやって来た。狩りは軍事訓練も兼ねている。騎士団で銃を扱うようになったことで、この村のように人が少なく山が近い村に、訓練を兼ねた狩りが行われるのだという。
「アルバン、元気か?」
声をかけてきたのは、団長だった。
「はい、団長様。何とかやっております」
「そうか。それはよかった。それでマーヤは?」
「団長は、マーヤと知り合いでしたか?」
「おや、知らなかったか? マーヤはあの時銃を乱射した騎士の妻だった人だよ」
アルバンはその場に硬直した。
「あの騎士の?」
「知らなかったか」
「はい、何も聞かされておりません」
「そうか。まあ、知っていたらお前もマーヤを近づけなかったのではないか?」
「いえ、本人ならともかく、奥さんにまで恨みを向けることはありません」
「そうあるべきだな」
団長は、アルバンの様子だけでなく、マーヤの様子を見に来たらしい。団長が村長の家に行った後、アルバンのためという理由で毎月回診に来てくれる医師が、月例の診察を始めた。
「先生は、マーヤがあの騎士の奥さんだったってご存じだったんですか?」
「まあね」
医師はからりと答えた。
「マーヤさんはね、あの事件の後、亡くなった小隊長の奥さんから殺害予告を受けたんだ。それで実家のあるこの村に戻し、時々騎士団で見回りをしているんだよ。自分がここに来るのも、その一環さ」
「そうだったんですか」
「団長はね、マーヤさんに、アルバンさんを世話するように命じたんだ」
「贖罪ですか」
「だって、アルバンさんだって被害者だろう?」
「そう、ですね」
「マーヤさんだって、何かすることがあれば、夫がどうして犯罪者になってしまったのかなんて考えずに済む。マーヤさんを生かすためにも、アルバンさんが役に立っているんだよ」
「そうならいいんですが」
「一つだけ、忠告しておく。訓練時には当然のことだが発砲音が出る。アルバンさんの心の傷が開いてパニックを起こすかもしれない。できれば、誰かほかの人がいてくれるといいんだがね」
アルバンは考えた。その日は村長の家にとどまったマーヤが翌朝やってくると、アルバンは思い切って考えたことを伝えた。
「マーヤ。これから先、二人で生きていかないか?」
「え?」
「お互いに過去につらい思いをした者どうし、支え合って生きていけたらと思うんだ。何より、マーヤが好きだ。一緒にいたいと思ったんだ」
マーヤは肩を震わせている。
「だめかな?」
「少し、考えさせてください」
その時、マーヤは顔をあげなかった。マーヤの表情を、アルバンは見ることができなかった。
「今日は帰ります」
マーヤは帰ってしまった。失敗だったかな、とアルバンはしょげた。失恋するのは、それが何度目であってもつらいものだ。
その日の午後、遠くからパーン、という発砲音が繰り返し聞こえるようになった。アルバンは耳をふさぎ、ベッドに潜り込んでガタガタと震えた。あの日のことが……あと少しで剣に突き刺される、その瞬間を思い出したアルバンは、そのまま気絶した。
意識を取り戻したのは、翌日の、もう日も高く上った頃だった。扉をドンドンと激しくたたく音に、アルバンははっとした窓から医師が顔をのぞかせ、「アルバンさん、大丈夫ですか!」と大きな声をあげている。よろよろと立ち上がると、アルバンは扉を開けた。
「アルバンさん! やっぱり倒れてしまったんですね」
扉を叩いていたのは村長だった。青い顔をしている二人に、これまた顔色が悪いままのアルバンは「はは、倒れてしまいました」と頭を掻きながら言った。
「様子が気になって来たんですが、呼びかけても扉が開かない。窓から見たら床に倒れている。これはまずいと村長にも来てもらって。どうしようもなかったら騎士団に扉をぶち破ってもらおうか、窓を割ろうか、そんな話を始めたところだったんですよ」
「そうでしたか。ご心配をおかけしました」
「アルバンさん」
医師がアルバンに告げた。
「やはり、発砲音が聞こえるような場所にいるのは、あなたの精神上よくない。せめて狩猟シーズンの間だけでも、どこかに退避しませんか?」
「ですが、行く場所がありません」
「町に降りては? 費用は騎士団が負担しますよ」
「ですが……」
アルバンは言いよどんだ。マーヤの返事は色よいものではないだろうが、それでもまだ聞いていない以上、二人で生きていく道は閉ざされていない。二人ならば、何とかなるのではないだろうか。
そんなアルバンの期待は、村長の言葉で脆く崩れ去った。
「マーヤですが……遠くにいる親戚の伝手で、働かせていただけるところを見つけまして」
「え……」
「西隣の国との境にある町なんです。そこなら、亡くなった小隊長の奥様の手も伸びないだろうと」
「そうでしたか。いつ出発ですか?」
「今朝でした。せめて最後に一言と言っていたのですが、アルバンさんが倒れていたのでね……乗合馬車に送れるわけにもいかず、マーヤは先方に向かいました」
アルバンは察した。マーヤは会いたくなかったのだ。その口実ができて、きっとほっとしているに違いない。
「マーヤからの言伝です。里帰りする時には、また立ち寄らせてください、と」
「そうですか」
「はい」
アルバンの状態を確認した後、村長と医師は戻って行った。
マーヤと片付けて、昼間をずっと過ごした小さな家。一人になると、こんなに小さな家でも広く感じるものだな、とアルバンは思った。
未消化の恋というのは、いつまでも美しいままで心に残るものらしい。
5年経っても、10年経っても、マーヤは一度も顔を見せなかった。その間、アルバンには村娘との縁談が何度か持ち上がったが、断り続けるうちに、アルバンも40歳を越え、縁談はいつの間にか来なくなっていた。
毎月やって来ていた医師も、そろそろこの山登りがつらいということで、今回を最後に、助手だった若い医師にその座を譲るそうだ。
最後の診察の日、アルバンは医師に「町に戻らないか」と尋ねられ、こう答えた。
「あの人が……戻ってくることもありますから。ここにいなければ、あの人は私を見つけられないかもしれません」
しがみついているのは、自分だけだとアルバンは分かっている。ただ、あの事件の関係者として、その重い十字架を共に背負いたかっただけだったのに。
その夜も、夜間軍事演習は行われた。冬の初めの寒い夜、山間にパーンという乾いた銃声が何度も響く。
その音を聞きながら、さみしいな、とアルバンは思った。
み吉野(名詞)の(格助詞)
山(名詞)の(格助詞)秋風(名詞)
小夜(名詞)ふけ(動詞・カ下二・連用形)て(接続助詞)
ふるさと(名詞)寒く(形容詞・ク活用・連用形)
衣(名詞)うつ(動詞・タ四・終止形)なり(助動詞・伝聞・終止形)
吉野の山の秋風が吹いてきて、夜更けになると、吉野の里は寒く、衣を打つ砧の音が寒々しく聞こえるよ。
砧……木の棒。衣を砧で打ち、布をやわらかくして艶出しを行う。箏の曲の題としてもよく使われる。秋の夜に行われる作業である。
伝聞推定の「なり」……終止形+なり の形をとる。「音+あり」→「なり」と覚え、聴覚に基づく情報を根拠として推定している時に使われる
⇔視覚情報を根拠として推定している場合は「目+あり」→「めり」と覚える。
※推定…根拠あり 推量…根拠なし




