第三章 動き出す陰謀
K-セルという名前は、意外なほど簡単に見つかった。
雨宮颯太の部屋から持ち出した半分のチップを、莉里が撮影して画像検索にかけると、製品紹介のページがいくつも出た。
映像酔い低減用適応演算素子。
視線の揺れ、頭部の傾き、心拍の変動を読み、映像の遅延や明るさを自動調整する。VRヘッドセット、ARグラス、医療用視覚リハビリ機器、遠隔作業用の没入端末まで、十一社の製品に採用されている。
製造元は〈東亜量子素子〉。
国の認定を受けた、ありふれた部品だった。
「ありふれているからこそ、余計に怪しい」
莉里は患者会の公開資料を画面に並べて言った。
「誰も機器の中身まで見ない。発症者が使っているメーカーも、機種も、用途も違う。共通点がないって結論になる」
莉里は冗談を言いかけてやめた。笑える場面ではないと判断したのだろう。
「K-セルを使っている機器は、どれくらいある?」
「国内で二千万台以上だって」
音央は画面を見た。
「そのうち何人が眠っている」
「公表されているピグマリオン病患者は、二百七十三人」
澪が小さく息を吐いた。
「二百七十三人だけ?」
「登録されている人だけなら」
莉里は答えた。
多すぎる端末と、少なすぎる患者。K-セルだけでは説明にならない。ほとんどの人間は同じ部品を使っていても、何も起きない。
「発症した人だけにある共通点を探す」
音央が言った。
「年齢、性別、接続時間、居住地、持病。何でもいい」
莉里は即座に言った。
「本人か家族から聞いてみる。病気を解明するためにといえば協力してくれるでしょ」
「地道な作業になるな」
かつてゲームの世界で、彼はすべてを見られる管理者だった。プレイヤーの位置も状態も、危険も、いつでも知ることができた。それが正しいことだと、疑う暇もなかった。
だが現実では、誰かの人生は管理画面では確認できない。
「やるしかないか」
患者家族への聞き取りは、澪が最初に協力を取りつけた。
音央と莉里は、一週間で十四人に会った。
高校生の息子が眠った母親。遠隔手術の補助訓練をしていた研修医。地方自治体の窓口でAR翻訳端末を使っていた男性。いずれも、発症する前は普通に暮らしていた。
共通していたのは、K-セルを含む端末を使っていたことだけだった。
それ以外は、何も出てこなかった。
音央がメモを閉じたのは、十四人目の家族の家を出たときだった。
「これじゃ、分からない」
「まだ十四人」
莉里は歩きながら言った。
「焦らないで」
「光はいつまでも待ってくれない」
「待っているのは、光さんだけじゃない」
莉里の言葉に、音央は足を止めた。
澪は少し離れた場所で、兄の録音を聞いていた。イヤホンを片方だけ耳に入れ、何度も同じ四十七秒へ戻っている。
「音央さん」
澪が呼んだ。
「兄の声の後ろに、別の音があるんです」
「モニター音じゃないのか」
「たぶん。でも、これ」
彼女は波形を拡大した画面を見せた。短く三回、長く一回の反復。その下に、ほとんど聞こえない低い振動がある。
「海の音に似ている」
音央は耳を澄ませた。
確かに、遠くの波のようにも聞こえる。
「港かな」
莉里が呟いた。
「え?」
「ただの連想。海は入口じゃない、って言ってたんだよね。海じゃなくて、港なら。出入りする場所」
その夜、音央は光の病院へ向かった。
面会受付で名前を告げると、いつもの職員が困ったように目を伏せた。
「倉城様。本日から、奥様への面会は予約制に変更になりました」
「聞いてない」
「上からの通達で」
「誰の上だ」
「私どもには……」
音央は言葉を飲み込んだ。
怒鳴る相手ではない。職員もまた、説明されない側なのだ。
「新堂先生は」
「今、会議中です」
「何の会議だ」
「外部の方と」
病棟の奥に、スーツ姿の男女が見えた。二人ともこちらを見ているわけではない。だが、音央が受付を離れるまで、その場を動かなかった。
病院の外へ出たあと、突然携帯電話が鳴った。
表示は非通知。
「倉城音央か」
声を聞いた瞬間、音央は歩道の端で立ち止まった。
「ヒカルか」
倉城ヒカルの声は、かつてゲームの騒動の中で聞いたときより低く、疲れていた。
「お前がK-セルを調べていると聞いた」
「誰から」
「答える必要はない。今すぐやめろ」
「理由を言え」
「光を助けたいなら、なおさらだ」
音央の手に力が入る。
「光に何をした」
「俺じゃない」
「なら誰だ」
通話の向こうで、短い沈黙があった。
「いずれ分かる」
車の音が、雨上がりの道路を流れていく。
「会って話そう。場所を送る」
通話は切れた。
直後、音央の端末に地図が届く。
駅から遠い、湾岸の倉庫街だった。
地図のピンには、ただ一言だけ添えられていた。
――姉さんのことだ




