第十六章 最後の選択
「本当にここまで来るとは思いませんでした」
御厨が言った。
「来て欲しかったんだろ?」
音央が答えた。
「ええ」
御厨は微笑んだ。
「だから待っていました」
巨大なモニターに、無数の予測が流れる。
地震。
津波。
感染症。
通信障害。
物流停止。
都市火災。
それぞれの発生確率。
被害予測。
死者数。
「もう七十二日後ではありません」
御厨が言った。
「貴方たちが行った公表によって、ゼニスの予測は変化しました」
画面の数字が変わる。
「早まった、ということか」
音央が聞いた。
「ええ。皮肉なものです」
御厨は言った。
「あなた方が公表したことで、より多くの人がこの未来を『知って』しまった。知られた未来は、知られる前の未来より、現実に近づく――それは、私たちがゼニスでずっと見てきた現象です」
「四十八時間後」
音央が見る。
「天災が始まるのか」
「はい」
「だから患者を移したのか」
「患者がゼニスから離れれば、予測精度が落ちますから」
「人を使わないと、本当に未来が見えないのか」
「正確には、彼らの脳が持つ予測能力です」
御厨は言った。
「人は、未来を予測しています。無意識に。経験から、危険を察知する。空気の変化を読む。相手の表情を読む。ゼニスは、それを統合し判断する」
「だから眠らせた」
「人の意識的な判断を取り除くためです」
莉里が言った。
「人の意思が邪魔だったってこと?」
御厨は彼女を見る。
「意思は不確定要素です」
「だから消した」
音央は首を振った。
「違う」
「何がです?」
「人の意思があるから、未来は変えられる」
御厨は黙った。
「お前は未来を予測したいんじゃない」
音央は言った。
「予測した未来から外れたくないだけだ」
御厨の表情が初めて変わった。
「……」
「だから、人を未来に合わせようとした」
音央は続けた。
「未来を知ることと、未来を決めることは違う」
御厨は、しばらく音央を見つめた。
「……あなたは、昔の私に似ている」
「何が」
「家族を救いたいと思いながら、他人を救う方法を探している」
音央は答えなかった。
「だからこそ、分かるでしょう」
御厨の声が低くなる。
「誰かを選ばなければ、誰も救えないことがある」
「それでも」
音央は言った。
「ゼニスに囚われた人々から、未来を選ぶ権利まで奪うのは傲慢だ」
そのとき、モニターが一斉に切り替わった。
二百七十三人。
すべての識別子。
その横に、名前が表示されている。
さらに。
家族から集めた声。
録音。
手紙。
記憶。
「これは……」
御厨が呟いた。
「患者の人生です」
莉里が言った。
「あなたが消したもの」
御厨は画面を見る。
一人目の名前。
二人目。
三人目。
次々と名前が表示されていく。
そして、その名前の下に。
それぞれの人生がある。
そのなかに、あどけない声がひとつ混じっていた。
「お父さん」
娘と同じ年頃の、誰かの子どもの声だった。御厨の指先が、かすかに震えた。
ゼニスは、それを処理し始めた。
予測できない。
だが、捨てられない。
初めてゼニスは、人間を「変数」ではなく「目的」として扱い始めていた。
ゼニスは人間を「予測対象」としか認識していなかった。
しかし「名前」「家族」「記憶」「帰還先」などの入力によって、人間を予測対象ではなく、未来を選択する主体として再分類し始めた。
「止めろ」
御厨が言った。
誰に向けた言葉なのかは分からない。
「これ以上入力するな」
澪が言い放った。
「もう遅いです」
「何をした」
「みんなが、呼びかけている」
日本中のピグマリオン患者を介してデータが流れ込んでくる。
患者の名前。
声。
記憶。
帰る場所。
誰かを待つ理由。
ゼニスの予測が、崩れ始めた。
「人は、未来を一つに決めない」
音央は言った。
「だから予測できない」
御厨は画面を見た。
無数の未来が分岐している。
だが、その分岐は混乱ではなかった。
それぞれが、自分で選んだ未来だった。
御厨は目を閉じた。
「……私には、できなかった」
音央は何も言わなかった。
「家族を失ったあと、私は二度と間違えたくなかった」
御厨の声が震えた。
「だから、間違わない未来を作ろうとした」
「でも、間違わない人なんていない」
「分かっています」
御厨は、ゆっくりと端末から手を離した。
「だから私は、間違わないシステムを作ろうとした」
「御厨!」
ヒカルが叫んだ。
「もう終わりだ」
「ええ」
御厨は答えた。
「だから、ここからは貴方たちに委ねることにしましょう」
そして。
御厨は自らゼニスの管理権限を解除した。
警告が表示される。
ゼニスの中央に、一つの文字が浮かんだ。
CHOICE
選択。
誰かが決めるのではない。
自分で選ぶ。
「認証鍵のもう半分はここにあります」
御厨は音央に記憶媒体を放り投げた。
「奥様だけを救うも、ゼニスを葬り去るも、最後の選択は貴方次第です」
「もう光だけを救う手段は消し去った。俺が選択できるのは全てを元に戻すことだけだ」
音央がそう告げると、御厨は少し驚いたようだった。
「貴方の選択は決まっているのですね」
音央は頷いた。
「薬や完全なリライズ・パスをお持ちでも、ピグマリオン患者を全員問題なく目覚めさせる確証はありませんよ。未だかつて誰も試したことがないのですから」
「それでもいい。選択権だけ与えてくれるのならば」
最後に御厨は音央に向かってこう言った。
「貴方のやり方、見せていただきましょう」




