第十二章 御厨の選択
御厨圭介の妻と娘は、十七年前の地震で死んだ。
音央たちがその事実を知ったのは、匿名で送られてきた資料を調べていたときだった。
真白がその資料のなかに、災害対策本部の議事録を見つけた。大きな地震のあと、道路が寸断され、救助隊の配分が遅れた。御厨の家族がいた地域は、より被害が大きいと判断された地区へ資源を回すため、後回しにされた。
救助が到着したとき、妻子はすでに亡くなっていた。
「本人が送ったのかな」
莉里が資料を閉じた。
「私たちに読ませるために」
「分からない」
音央は答えた。
だが、資料の最後に添えられた一文は、偶然とは思えなかった。
人は、知らなかったことを悲劇と呼ぶ。 知っていて選ばなかったことを、罪と呼ぶ。
差出人の名はなかった。
その日の午後、御厨から再び面会要請が来た。
今度の場所は、庁舎の会議室ではなかった。郊外の防災資料館。閉館後の展示室には、過去の災害写真と、壊れた信号機、泥のついたランドセルが並んでいた。
御厨は、巨大な被災地模型の前にいた。
「ご家族の資料を送ったのは、あなたですか」
音央が尋ねた。
「はい」
「同情してほしいのか」
「いいえ」
御厨は模型を見たまま言った。
「理解してほしいとも思いません。ただ、あなたが私を怪物だと思うなら、その前に一つだけ事実を知ってほしかった」
模型の一角に、小さな赤い旗が立っている。
「あの日、私は災害対策本部にいました。妻と娘が閉じ込められている場所も知っていた。けれど、もっと多くの人がいる地域へ救助を回す決定に、私は署名した」
「自分で選んだ」
「そうです」
「だからといって、他人の選択を奪っていい理由にはならない」
「そうですね」
御厨は、驚くほど簡単に認めた。
「正しいことではない。ですが、正しくないから何もしないという選択も、また人を殺してしまいます」
御厨は端末を開いた。
画面には、ゼニスが出した過去の予測と、実際に起きた出来事が並んでいた。山間部の土砂災害。地方都市での感染症流行。港湾施設へのサイバー攻撃。いずれも発生前に、未来戦略室は行政機関へ情報を流していた。
「これだけの被害が防げました」
「誰かを眠らせて」
「はい」
「救われなかった人間は?」
御厨の指が止まる。
「います」
「なぜ助けなかった」
「助ければ、別の場所で被害が広がると出たからです」
音央は、画面上の数字を見た。
それはかつてゲームの管理画面で目にしたような不気味なリストに似ていた。状態、位置、危険度。全てを見られる権限は、全員を救えることと同義ではない。
「数字だけを見ていると、人の顔が見えなくなる」
「だから私は、顔を忘れないようにしています」
「忘れないようにしているなら、なおさら使うものじゃない」
御厨はゆっくりと音央を見た。
「倉城さん。あなたは、奥様を救うことを望んでいる」
「ああ」
「もし七十二日後、ゼニスを止めた結果、避難が遅れ、数千人が死んだとしても?」
音央は御厨を許せないと思った。それと同時に、理解してしまうことへの怖さもあった。
「止めるかどうかと、救うかどうかを同じにするな」
「現実では同じです」
「違う」
音央は、展示室に並ぶ写真を見た。
救助を待つ人。助かった人。泣く人。
「未来を知ることと、未来を決めることは違う。予測を共有すれば、人は選べる。お前たちは、選ぶ材料を独り占めにして、人から選ぶ選択肢を奪っている」
「公開すれば人々は混乱します」
「混乱するから、自分たちで決めるのか」
御厨は答えなかった。
しばらくして、彼は模型の赤い旗を一本抜いた。
「娘は、七歳でした」
その声だけが、わずかに父親の声になった。
「助けられたかもしれない。そう思うたびに、私は、次は間違えないためのシステムがほしいと思ったのです」
「それで、ほかの誰かの家族を奪った」
「はい」
御厨は、否定しなかった。
音央は、そのことが一番恐ろしかった。
自分の罪を知り、痛みも知り、それでも進む人間は、簡単には止まらない。
資料館を出る前、御厨は最後に言った。
「奥様の移送は、四十八時間以内に再開します。あなたが協力すれば、彼女だけは安全に帰せる」
「協力しない」
「では、全員を救う方法を見つけてください」
御厨は扉のほうへ向かった。
「私も、それがあるなら見たい」
「だが、一度ゼニスに接続して完全に目覚めたケースは一つもないのです」
「金さえ積めば、眠りから覚めるという噂を聞いたが」
「いいえ。それはデマですよ。皆、目覚めたといっても身体だけが目覚めた状態でした。意識はゼニスに囚われたままなのです」
外へ出ると、季節外れの冷たい雨が降っていた。
音央は傘を開かなかった。
その冷たさは、少しだけ罰に似ていた。
帰りの車の中で、音央は真白へ電話をかけた。
御厨との話をかいつまんで説明した後、音央は告げた。
「薬の在庫を調べてくれ」
『急ですね』
「全員分あるか知りたい」
『全国の患者数分を?』
「ああ」
『集めたとしても、薬だけでは目覚めないのですよ……』
真白は途中で黙った。
『……変ですね。システムを維持したいなら、そもそも薬なんて用意しないはずなのに……』
「探せるか」
『分かりました、全力で探します』
次に、莉里へ電話をかけた。
「患者の家族に会ってくれ」
『何を聞けばいい?』
「その人が帰る場所を」
電話の向こうで、莉里が息を呑む気配がした。
「名前だけじゃ足りない。戻るために必要なものを、できるだけ全部だ。」




