世界最強の魔法
地下室に満ちる空気が、一瞬にして凍りついた。
目の前に立つのは、間違いなくアイナだ。
しかし、その瞳に宿る理知的な光と、全身から溢れ出す神聖な威圧感は、かつて世界を救った最強の魔女アリスそのものであった。
「……あり得ん。あり得んぞ……!!」
ラムーは腰を抜かし、這いずりながら後退する。18年前に葬ったはずの恐怖が、より完璧な姿となって目の前に現れたのだ。
「……校長。あなたの罪は、万死に値します」
アイナの静かな宣告。それが引き金となった。
「黙れッ! 認めるものか! 私が築き上げたこの楽園を、お前たちに壊させてなるものか!!」
もはや理性を失ったラムーが、自らの命を触媒に闇の詠唱を始めた。禁じられた外法の術式――世界を滅ぼす厄災、『デスサタン』の召喚である。
地下室の床が割れ、底なしの亀裂から溢れ出したのは、生物の根源的な恐怖を形にしたような異形だった。敵も味方もなく、ただ全ての命を根絶やしにするまで止まらない正真正銘の終焉。
「……っ、こいつは格が違う……!」
ジークが思わず息を呑む。魔王として君臨した彼ですら、今の器では太刀打ちできない圧倒的な破壊の化身。校長室での余裕は消え、ジークは全魔力を解放して防御態勢に入る。
だが、アイナは一歩も引かなかった。
「……母が守った世界を、これ以上汚させはしない」
アイナは冷静に、流麗な動作で多重魔法陣を構築した。
サタンを光の鎖で縛りつけ、神話級の攻撃魔法を間断なく叩き込む。激しい魔力と魔力の衝突により、地下室の岩盤が飴細工のように溶け落ちていく。
「無駄だ! サタンは止まらん! 全て壊せ、全てを無に帰せ!!」
狂笑するラムー。
実際、サタンはアイナの猛攻を受けてなお、その漆黒の肉体を再生させながら進撃を続けていた。
アイナとサタンによる、次元の異なるタイマンバトル。ジークですら間に入れない高密度の魔法戦が続くが、均衡は崩れない。
「アイナ、受け取ってくれ!!」
ジークは決断した。自らの魔王としての魂、その根源をすべて燃やし尽くし、純粋な魔力としてアイナへと譲渡する。
魔王の闇と、アリスの光。
相反するはずの二つの力が、30年前の「約束」に応えるように溶け合い、黄金の奔流へと変わった。
――極大融合魔法・アビス・プロミスト。
世界最強の一撃が放たれた瞬間、ジークの視界には幻覚が見えた。
かつての戦場。灰になりゆく魔王と、それを見送る魔女アリス。
二人が微笑みながら手を取り合い、目の前の厄災を打ち砕く姿を。
サタンの叫びは、放たれた光に呑み込まれて消えた。厄災の肉体は分子レベルで粉砕され、その余波で学園の巨大な校舎が音を立てて崩壊していく。
崩れ去る瓦礫の山から、アイナとジークだけが光の繭に包まれて脱出した。
朝日が昇り始める学園の跡地。
アイナは、自分を抱きかかえて着地したジークの異変に気づき、顔を青ざめさせた。
「ジーク君……? 嫌、ジーク君!!」
ジークの体からは、すでに魔力の光が失われていた。魂の根源をすべてアイナに譲渡し、器だけが残された状態だった。
「……いい戦いだった……」
ジークは、膝をつきながら静かに笑った。
その瞳には、泣きじゃくるアイナの姿と、その背後に重なる懐かしい女性の面影が映っていた。
「……楽しい魔法の戦いだったよ、アリス」
最後にそう呟いたジークの顔に、後悔はなかった。
かつて孤独な王として死んだ彼は、今度は大切な友を守り抜いた「英雄」として、朝日に溶けるようにその目を閉じた。
崩壊した学園の静寂の中に、アイナの慟哭だけが響き渡っていた。 ---




