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第73話 「潜入」


 

 森は、妙に静かだった。

 

 風は吹いている。

 

 木々も揺れている。

 

 鳥の声だって聞こえる。

 

 なのに。

 

 地下遺跡の入口だけ、  空気が死んでいた。

 

 半分崩れた石門。

 

 黒ずんだ壁。

 

 苔。

 

 その奥だけが、  ぽっかり穴みたいに暗い。

 

 見ているだけで、  頭の奥がざわつく。

 

「……」

 

 リオンは小さく息を吐いた。

 

 胸の奥が重い。

 

 嫌な感じが、  入口に立った瞬間から消えない。

 

 数日前。

 

 この奥で感じた、  あの“視線”。

 

 頭の中へ、  何かが入り込んでくる感覚。

 

 あれを思い出すだけで、  奥歯が軋む。

 

 でも。

 

 それ以上に。

 

 思い出してしまう顔がある。

 

 白い顔。

 

 震える指先。

 

 呼吸すらできなくなっていた、  リシアの姿。

 

 あの時。

 

 本気で、  間に合わないと思った。

 

 もし、  あと少し遅れていたら。

 

 もし、  自分が抱き起こすのが遅れていたら。

 

 そんな想像が、  今でも時々頭をよぎる。

 

 だから。

 

 こうして、  平然としているリシアを見るだけで、  まだ少し怖かった。

 

「リオン」

 

 声。

 

 振り向く。

 

 少し離れた場所。

 

 リシアが立っていた。

 

 白い髪が、  朝の風で静かに揺れている。

 

 退院したとはいえ、  まだ完全じゃない。

 

 顔色も、  ほんの少し白い。

 

 だから。

 

 余計に、  気になってしまう。

 

「……本当に大丈夫か」

 

 リオンが低く聞く。

 

「だから、大丈夫」

 

「昨日ちゃんと寝たか?」

 

「寝た」

 

「頭痛は?」

 

「ない」

 

「ホントに?」

 

「……ホント」

 

 じーっと見る。

 

 リシアが少しだけ視線を逸らした。

 

「……そんなに見なくても、ちゃんと言う」

 

「お前、“大丈夫”って言って倒れるから信用ねぇんだよ」

 

「……」

 

 否定できない。

 

 リシアが少しだけむっとする。

 

 でも。

 

 怒らない。

 

 代わりに、  小さく息を吐いた。

 

「……リオン」

 

「何だ」

 

「心配しすぎ」

 

「するだろ」

 

 即答だった。

 

 リオンは眉を寄せたまま言う。

 

「数週間前、お前マジで死にかけてたんだからな」

 

 空気が少し静かになる。

 

 リシアの睫毛が、  小さく揺れた。

 

 覚えている。

 

 あの時。

 

 頭の中へ、  何かが入り込んできた感覚。

 

 呼吸ができなくなった恐怖。

 

 壊れそうになった感覚。

 

 視界が暗くなって。

 

 音が遠くなって。

 

 その中で。

 

 リオンの声だけが、  やけにはっきり聞こえていた。

 

 焦っていた。

 

 震えていた。

 

 普段のリオンからは、  想像できないくらい。

 

「……ごめん」

 

 小さい声。

 

 リオンは数秒黙る。

 

 それから。

 

 少しだけ視線を逸らした。

 

「……謝れって意味じゃねぇよ」

 

「……」

 

「ちゃんと、生きてろって意味」

 

 低い声だった。

 

 でも。

 

 少しだけ震えていた。

 

 リシアは、  静かにリオンを見る。

 

 本当に怖かったんだ。

 

 自分が壊れかけた時。

 

 多分、  思ってたよりずっと。

 

 リオンは、  普段あまり感情を見せない。

 

 でも。

 

 最近は違う。

 

 隠しきれていない。

 

 自分が少し咳き込むだけで、  顔色を変える。

 

 少し黙るだけで、  体調を聞いてくる。

 

 それが、  少しだけ嬉しかった。

 

「……ねぇ、リオン」

 

「ん?」

 

「ありがと」

 

「……何が」

 

「ずっと、心配してくれてるから」

 

 リオンは、  少しだけ目を逸らした。

 

「……当たり前だろ」

 

 ぼそっと返す。

 

 でも。

 

 耳が少し赤い。

 

 リシアが小さく笑った。

 

「……過保護」

 

「うるせぇ」

 

 いつもの返事。

 

 でも。

 

 声は少し柔らかかった。

 

 その時。

 

 リシアが、  そっとリオンの袖を掴む。

 

「……気をつけて」

 

 小さい声。

 

 でも。

 

 少し震えていた。

 

 リオンが目を向ける。

 

 リシアは、  ちゃんと前を見ている。

 

 でも。

 

 不安を隠しきれていない。

 

「……また無茶する気でしょ」

 

「しねぇよ」

 

「信用できない」

 

 即答だった。

 

 リオンが少し固まる。

 

 リシアが小さく息を吐いた。

 

「リオン、自分のことになると雑だから」

 

「お前にだけは言われたくねぇ」

 

「……否定できない」

 

 少しだけ困ったみたいに笑う。

 

 でも。

 

 その目は、  ちゃんと不安そうだった。

 

「……怖いの」

 

 小さい声。

 

 風に紛れそうなくらい、  小さかった。

 

 でも。

 

 リオンには、  ちゃんと聞こえた。

 

「また、誰かが壊れるの」

 

「……」

 

「リオンが、いなくなるのも」

 

 リオンの呼吸が、  一瞬だけ止まる。

 

 リシアは、  視線を逸らさなかった。

 

 隠さない。

 

 今だけは。

 

 ちゃんと言う。

 

「……だから、ちゃんと戻ってきて」

 

 静かな声。

 

 でも。

 

 胸に刺さる声だった。

 

 リオンは数秒黙る。

 

 それから。

 

 ゆっくり、  リシアへ近づいた。

 

 白い髪へ触れる。

 

 軽く撫でる。

 

「……当たり前だろ」

 

 一拍。

 

「お前置いて、どっか行く気ねぇよ」

 

 リシアの睫毛が、  小さく揺れる。

 

 少しだけ。

 

 安心したみたいに、  目を細めた。

 

 その横。

 

「いやぁ」

 

 呑気な声。

 

 カイルだった。

 

 崩れた石壁にもたれながら、  巨大な魔銃を肩へ担いでいる。

 

 黒銀色の銃身。

 

 普通の武器じゃない。

 

 空気そのものが、  軋んでいるみたいな圧がある。

 

「ホント、空気甘くなったよねぇ」

 

「うるせぇ」

 

「前なら“死ぬな”で終わってたじゃん」

 

「黙れ」

 

「はいはい」

 

 カイルが笑う。

 

 でも。

 

 その目も、  少しだけ安心していた。

 

 リオンが、  ちゃんと感情を出している。

 

 それが、  少し嬉しかった。

 

 その時。

 

 後方から足音が近づく。

 

 ギルド所属の冒険者たちだった。

 

 今回の陽動班。

 

 全員、  上位ランクの実力者。

 

 楯役の大男。

 

 双剣使いの女。

 

 索敵役。

 

 魔導士。

 

 それでも。

 

 誰一人、  余裕の顔をしていない。

 

 全員、  地下遺跡を見ていた。

 

 正確には。

 

 “見たくないのに見てしまっている”。

 

 そんな顔だった。

 

「……マジで行くんだな」

 

 楯役の男が、  低く呟く。

 

 誰に向けた声か分からない。

 

 でも。

 

 全員、意味は分かっていた。

 

 怖い。

 

 まだ始まってもいないのに。

 

 もう、怖い。

 

 双剣の女が、  小さく息を吐く。

 

「今なら帰れるわよ」

 

「帰れるなら最初から来てねぇよ」

 

 男が苦笑する。

 

 でも。

 

 笑えていない。

 

 リオンも、  同じだった。

 

 空気がおかしい。

 

 この遺跡には、  “何か”がいる。

 

 まだ見えていない。

 

 なのに。

 

 見られている感覚だけが、  ずっと頭へ張りついていた。

 

 その時。

 

 リシアが、  ふいに眉を寄せた。

 

「……リオン」

 

 空気が変わる。

 

 リオンが、すぐ振り向く。

 

「どうした」

 

 リシアは、  遺跡の奥を見ていた。

 

 白い睫毛が、  わずかに揺れている。

 

「……少し、変」

 

「何が見える」

 

 リシアは数秒だけ黙る。

 

 観測している。

 

 何かを追っている。

 

 でも。

 

 その顔が、  少しずつ強張っていく。

 

「視線反応が、多すぎる」

 

 静かな声。

 

 でも。

 

 少しだけ、  緊張が混ざっていた。

 

「一方向じゃない」

 

「……」

 

「上。壁。奥」

 

 一拍。

 

「全部から、見られてる」

 

 空気が冷える。

 

 冒険者たちの顔色が変わった。

 

「全部って……」

 

「冗談だろ……」

 

 リオンが、  静かに遺跡を見る。

 

 暗闇。

 

 何も見えない。

 

 なのに。

 

 いる。

 

 確実に。

 

 どこかに。

 

「……行くぞ」

 

 低い声。

 

 全員の空気が変わる。

 

 カイルが、  魔銃を持ち上げた。

 

「僕はここで待機」

 

 入口付近の高台。

 

 崩れた柱の上。

 

 ここからなら、  内部へ射線を通せる。

 

「誘導よろしく」

 

「外したら殺す」

 

「ひっど」

 

 カイルが笑う。

 

 でも。

 

 目は真面目だった。

 

「まぁ、大丈夫。外さないから」

 

 魔銃へ、  魔力が流れ始める。

 

 空気が震える。

 

 周囲の自然魔力が、  ゆっくり収束していく。

 

 重い。

 

 空間ごと吸われているみたいだった。

 

 リオンは一度だけ振り返る。

 

 リシア。

 

 入口付近。

 

 比較的安全な後方。

 

 通信デバイスへ指を添えながら、  こちらを見ていた。

 

 不安そうだった。

 

 でも。

 

 逃げない。

 

 リオンが小さく頷く。

 

 リシアも、  静かに頷き返した。

 

 それだけで。

 

 少しだけ、  落ち着いた。

 

「……行くぞ」

 

 地下遺跡へ入る。

 

 湿った空気。

 

 暗闇。

 

 水滴の音。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 進む。

 

 なのに。

 

 静かすぎた。

 

 敵の気配がない。

 

 モンスターもいない。

 

 何もいない。

 

 でも。

 

 全員、感じていた。

 

 いる。

 

 どこかに。

 

 見えないだけで。

 

「……なぁ」

 

 後方の男が、  小さく言う。

 

「本当にいるんだよな」

 

 返事はない。

 

 でも。

 

 誰も否定しない。

 

 その時。

 

 楯役の男が、  急に足を止めた。

 

「――っ」

 

 呼吸が乱れる。

 

 男の身体が、  ぐらりと揺れる。

 

「おい?」

 

 声をかけた瞬間。

 

「が、ぁぁっ……!?」

 

 絶叫。

 

 男が、  自分の頭を押さえて崩れ落ちた。

 

 空気が凍る。

 

 男の目が、  完全に見開かれていた。

 

 焦点が合っていない。

 

 頭の奥を、  何かに掻き回されているみたいに、  全身を震わせていた。

 

「見た……っ」

 

 男が震えた声を漏らす。

 

「いた……っ、あそこ……っ」

 

 暗闇を指差す。

 

 でも。

 

 何も見えない。

 

 その瞬間。

 

 リオンの背筋が凍る。

 

 来る。

 

 本能が叫ぶ。

 

【ERROR】

Record: Undefined

→ Subroutine: Shift

 

【干渉ログ】

偏位〈シフト〉

状態:対象指定

 

 咄嗟だった。

 

 楯役の男の位置をズラす。

 

 次の瞬間。

 

 男がいた空間を。

 

 紫黒い閃光が貫いた。

 

 轟音。

 

 壁が消し飛ぶ。

 

 石が蒸発する。

 

 熱風。

 

 遅れて衝撃が来る。

 

「――っ!?」

 

 冒険者たちの顔色が変わる。

 

「なんだ今の……!」

 

「見えなかったぞ!?」

 

 リオンが歯を噛む。

 

 今の。

 

 “認識された”。

 

 それだけだ。

 

 見られた瞬間、  撃たれた。

 

 しかも。

 

 どこから撃たれたか分からない。

 

 楯役の男が、  荒く息を吐く。

 

「……クソ、なんだよこれ……」

 

 声が震えていた。

 

 リオンも、  同じだった。

 

 怖い。

 

 見えない。

 

 なのに。

 

 向こうには、  こちらが見えている。

 

 最悪だった。

 

 その時。

 

 リオンが、  静かに壁へ手を置く。

 

「全員、下がれ」

 

「リオン?」

 

「目隠し作る」

 

 冒険者たちが、  一瞬で意図を理解する。

 

 視線を切る。

 

 そのための崩落。

 

 リオンが息を吐く。

 

 頭が熱い。

 

 でも。

 

 止まるな。

 

【ERROR】

Record: Undefined

→ Subroutine: Cut

 

【干渉ログ】

断空《カット》

状態:実行

 

 空間が裂ける。

 

 次の瞬間。

 

 天井の一部が、  轟音と共に崩れ落ちた。

 

 砂煙。

 

 瓦礫。

 

 視界が埋まる。

 

 冒険者たちが咳き込む。

 

 でも。

 

 さっきまで感じていた  “視線”が、  少しだけ薄くなる。

 

「……軽くなった」

 

 女冒険者が呟く。

 

 リオンが荒く息を吐いた。

 

「今のうちにフォーメーション組むぞ」

 

 全員が動く。

 

 予定通り。

 

 楯役前衛。

 

 左右展開。

 

 中央誘導。

 

 エメラダを、  カイルの射線上へ引きずり出す。

 

 怖い。

 

 全員、分かっている。

 

 でも。

 

 もう、引き返せない。

 

 暗闇の奥。

 

 どこかで。

 

 “何か”が、  静かにこちらを見ていた。

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