第69話「精鋭」
翌朝。
冒険者ギルド本部は、朝から空気が重かった。
酒の匂いより先に、薬草の匂いが鼻につく。
包帯姿の冒険者。
担架。
慌ただしく走る職員。
受付では怒鳴り声まで飛んでいた。
「だから探索班もう出せねぇって言ってんだろ!!」
「でも西区からも救援要請が――」
「人が足りねぇんだよ!!」
ぴりついている。
ギルド全体が。
地下遺跡の件が、完全に広がっていた。
「……空気終わってんな」
リオンが小さく呟く。
隣で、カイルが肩をすくめた。
「まぁ、探索班三組消えたらこうなるでしょ」
「笑えねぇ」
「僕は笑わないとやってられないタイプ」
軽く笑う。
でも、目の下には薄く隈があった。
昨日の件が堪えているのは、リオンにも分かる。
自分だってそうだ。
頭の奥が、まだ気持ち悪い。
脳の裏側を誰かに触られたみたいな感覚が残っている。
思い出すだけで、ぞわ、と背筋が冷えた。
「お、来たか」
会議室へ入った瞬間。
空気が変わった。
「……」
強い。
それがすぐ分かる。
座っているだけなのに、空気が張っている。
無駄な動きがない。
死線を潜ってきた人間の匂いだった。
リオンは、少しだけ肩の力を抜く。
正直、安心した。
地下遺跡へ、半端な連中を連れていかれるのが一番嫌だったからだ。
大盾を背負った大男が、リオンを見る。
「お前がリオンか」
「そうだけど」
「話は聞いてる」
短い声。
でも、嫌な感じはしない。
「前衛と誘導は俺がやる」
短髪の女が続ける。
「私は感知担当。視線干渉っぽい反応が来たら即伝える」
さらに奥。
ローブ姿の魔術師が地図を広げた。
「崩落タイミングはこちらで合わせます」
リオンは、思わず小さく息を吐いた。
全員、理解が早い。
話が通じる。
しかも場慣れしている。
「……強ぇ奴、多いな」
ぽつりと漏れる。
カイルが横で笑った。
「そりゃ本部直属組だし」
「直属?」
「死地専門」
「さらっと怖ぇこと言うな」
「でも今回ばっかは、それくらい必要でしょ」
その一言で。
会議室が少し静かになった。
誰も否定しない。
つまり。
全員、本気で危険だと思っている。
机の上へ、地下遺跡の見取り図が広げられる。
カイルが指を置いた。
「まず前提として、“見るな”」
一拍。
「視界に入れた時点で、何されるか分かんない」
感知役の女が頷く。
「長時間の接敵は禁止ですね」
「そ」
カイルが椅子へ浅く座りながら続ける。
「だから今回は、“止めて撃つ”」
リオンが地図を見る。
地下遺跡中央部。
崩れかけた大空洞。
「ここへ誘導する」
盾役の男が言う。
「俺たちが前で走らせる」
「カイルは入口付近で待機」
魔術師が地図へ印を付けた。
「射線を通すため、上部を開く必要があります」
リオンが小さく息を吐く。
「俺がやる」
視線が集まる。
「断空で天井落とす」
空気が少し変わった。
まだ。
ここにいる全員が、リオンの能力を詳しく知っている訳じゃない。
でも。
普通じゃないことだけは分かっていた。
「……無茶苦茶だな」
盾役が呟く。
「分かってる」
リオンも苦笑した。
「でも、今ある手札でやるしかねぇ」
沈黙。
誰も反論しなかった。
それが逆に怖かった。
訓練は、その日からすぐ始まった。
ギルド裏の演習場。
乾いた風。
土埃。
「止まるな!!」
怒鳴り声。
リオンが反射で横へ飛ぶ。
同時。
「視線来る!!」
感知役が叫ぶ。
全員、一斉に遮蔽物へ滑り込む。
数秒。
静止。
「移動!!」
また走る。
止まらない。
振り返らない。
視界を固定しない。
何度も。
何度も。
繰り返す。
「リオン!! 今止まった!!」
「分かってる!!」
「遮蔽入るタイミング合わせろ!!」
汗が流れる。
肺が熱い。
でも。
誰一人、手を抜かなかった。
ミスした瞬間、死ぬ。
全員、それを理解していた。
一方。
地下保管庫。
重い鉄扉の奥。
巨大な魔銃が、静かに置かれていた。
長い銃身。
黒鉄。
複雑な魔力回路。
古い。
でも。
まだ死んでいない。
「……久々だなぁ」
カイルが小さく笑う。
手を伸ばす。
触れた瞬間。
魔力回路が淡く光った。
低い駆動音。
空気が震える。
「うわ……」
後ろの職員が顔を引きつらせた。
「本当に反応した……」
「失礼だなぁ」
カイルが笑う。
でも、その目は真剣だった。
魔銃へ額を当てる。
静かに目を閉じる。
同期。
魔力接続。
普通なら、ここで拒絶される。
でも。
カイルだけは違った。
魔銃の回路が、呼吸みたいに明滅する。
馴染む。
まるで。
昔から使われていたみたいに。
「……よし」
カイルが小さく笑った。
「まだイケる」
夜。
診療所。
廊下は静かだった。
窓の外は、もう暗い。
薬草の匂い。
白い灯り。
リオンは病室へ入る前に、一度だけ医師の部屋へ寄った。
「……先生」
「ん?」
書類を書いていた医師が顔を上げる。
「今夜、少し付き添っていいか」
医師が目を瞬く。
「付き添い?」
「ああ」
「あなたも休むべきなんですが」
「分かってる」
「分かってる顔じゃないですねぇ……」
ため息。
でも。
医師は少しだけ苦笑した。
「騒がしくしないなら構いませんよ」
「悪い」
「ただし、倒れたら次はあなたも入院です」
「勘弁してくれ」
「その台詞、患者全員言います」
病室の扉を開ける。
静かな部屋。
白いカーテン。
ベッドの上。
リシアは本を読んでいた。
でも。
リオンを見ると、少しだけ表情が緩む。
「……来た」
「ん」
リオンは近くへ行く。
顔を見る。
呼吸を見る。
顔色を見る。
無意識だった。
「……何」
リシアが少し笑う。
「いや、別に」
「ずっと見てる」
「確認してるだけだ」
「それを見てるって言うの」
少しだけ困ったみたいに笑う。
リオンは椅子を引いた。
「頭痛は」
「昼よりマシ」
「熱は」
「ないと思う」
「確認したか?」
「……してない」
「しろよ」
「リオンが来たらしようと思ってた」
さらっと返されて、リオンが少し止まる。
「……そういうこと普通に言うな」
「?」
本気で分かってなさそうだった。
リオンは小さく息を吐く。
「眠れてるか」
その質問で。
リシアの睫毛が少し揺れた。
「……寝ようとすると」
一拍。
「あの影、浮かぶ」
声が小さい。
「目閉じると、頭の奥ざわざわする」
白い指が毛布を握る。
「本当に干渉されてるのか、怖くてそう感じてるだけなのか分かんないけど……」
リオンは数秒黙った。
それから。
椅子を少し寄せる。
「今日はここいる」
リシアが少し目を瞬く。
「……いいの?」
「許可取った」
「怒られなかった?」
「ちょっと呆れられた」
リシアが小さく笑う。
その笑い方に、リオンは少しだけ安心する。
「……リオン」
「ん?」
「作戦、本当に大丈夫なの」
静かな声だった。
でも。
不安が滲んでいた。
無理もない。
相手は、まだ正体すら分からない。
視線だけで精神へ干渉してくる化け物。
しかも。
リオンとカイルですら、まともに対応できなかった。
「……無茶しようとしてない?」
「してねぇよ」
「嘘」
「なんで即答なんだよ」
「リオンだから」
あまりにも自然に返されて、リオンが少し詰まる。
リシアは小さく目を伏せた。
「昨日だって、顔色すごかった」
「まぁ、あれは……ちょっとキツかったけど」
「ちょっとじゃない」
即答。
少し拗ねたみたいな声だった。
リオンは苦笑する。
「……今回は、ちゃんと強ぇ奴らいる」
リシアが顔を上げる。
「ギルド本部の連中だ。場慣れしてるし、判断も早い」
「……」
「盾役も、感知役も、魔術師もいる」
リオンは椅子へ深く座り直した。
「正直、思ってたよりずっとマシな戦力だった」
「リオンがそう言うって、かなり珍しい」
「まぁな」
少し笑う。
「ちゃんと頼れる」
その言葉で。
リシアの肩から、少しだけ力が抜けた。
リオンは続ける。
「それに、今回は無理に戦う訳じゃねぇ」
「……うん」
「止めて、撃つ」
「魔銃……」
「ああ。カイルも本気だ」
リオンは小さく息を吐いた。
「だから、なんとかなる」
“絶対大丈夫”とは言わない。
言えない。
でも。
安心させようとしてるのは伝わった。
リシアは、その横顔をしばらく見ていた。
「……リオン」
「ん?」
「ちゃんと戻ってきて」
静かな声。
でも。
少しだけ震えていた。
リオンは数秒黙る。
それから。
そっと、リシアの頭へ手を置いた。
「当たり前だろ」
優しく撫でる。
「お前置いてく気ねぇよ」
リシアが少し目を伏せた。
白い睫毛が揺れる。
「……うん」
その返事は、小さかった。
でも。
少しだけ安心したみたいに聞こえた。
静かな夜だった。
時計の音だけが聞こえる。
しばらくして。
リシアの呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
眠り始めた。
リオンは、その顔を見ていた。
苦しそうじゃないか。
また震えていないか。
確認するみたいに。
窓の外。
夜のガラスに。
一瞬だけ。
長い髪みたいな影が映った気がした。
リオンの目が細くなる。
でも。
次の瞬間には消えていた。




