第6話 「観測者は、世界を壊せる」
人気のない路地に入った瞬間だった。
音が、一つ減る。
さっきまで遠くで鳴っていた喧騒が、不自然なくらい綺麗に途切れた。
風の音だけが残る。
湿った空気。
濡れた石畳。
路地裏特有の、生ぬるい匂い。
だが。
静かなのに、落ち着かない。
【ログ】
対象:周囲
状態:観測低下
“見られている”。
その感覚だけが消えない。
「……薄くなっただけか」
小さく呟く。
完全には消えていない。
むしろ。
さっきより近い。
見えない何かが、ずっとこちらを観察している。
「分かるんですね」
後ろから声がした。
振り返る。
リシアが、静かにこちらを見ていた。
白い髪が、路地裏の薄暗い光の中で揺れている。
その目は静かだった。
でも。
どこか試すみたいに鋭い。
「……で」
一歩、踏み込む。
「話せ」
短く言う。
リシアは、ほんの少しだけ呼吸を止めた。
そのあと、小さく息を吐く。
「まず確認です」
静かな声。
「あなた、自分のそれを“理解してる”と思ってますか?」
「思ってない」
即答だった。
理解なんか出来るわけがない。
あれは。
“そうなっていた”。
それだけだ。
気づいた時には、結果だけが残っている。
「……そうですか」
リシアが小さく頷く。
「それでいいです」
「……いいのかよ」
「はい」
淡々と続ける。
「理解した瞬間に、固定されるので」
「……は?」
意味が分からない。
だが。
その言葉に反応するみたいに。
【応答】
状態:未確定
維持:継続
頭の奥で、また“あれ”が鳴る。
「……チッ」
舌打ちする。
相変わらず、答えになっていない。
だが。
前より近い。
前より、“声”として認識できる。
「……今、何と会話しました?」
リシアの声が低くなる。
「……してねえよ」
即答する。
本当にそのつもりだった。
だが。
【ログ】
対象:リシア
思考:嘘ではない
……ズレている。
嘘はついていない。
でも。
“何か”とは会話している。
その矛盾だけが、気持ち悪く残る。
「……いいでしょう」
リシアが静かに言う。
そして、一歩近づいた。
近い。
さっきまでより、少しだけ。
「結論から言います」
一拍。
「それは“スキル”じゃない」
「……」
「“観測”です」
その瞬間だった。
視界が、ズレる。
「――っ」
地面。
壁。
空気。
一瞬だけ、全部の位置が噛み合わなくなる。
景色が、半歩だけ滑ったみたいに。
【ログ】
対象:空間
状態:不整合
「……なんだ今」
思わず足を止める。
リシアの表情が変わった。
初めて。
はっきり動揺する。
「……今、何をしました?」
「は?」
「今です」
声が少しだけ強い。
さっきまでの静けさが崩れている。
「……何もしてねえ」
だが。
【ログ】
対象:自分
状態:干渉発生
違う。
確実に、“何か”が起きている。
しかも。
自分の意思とは関係なく。
「……あなた」
リシアが低く言う。
「今、“確定前”に触れました」
「……なんだそれ」
「まだ決まっていない状態です」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「未来になる前の可能性」
「……」
「そこに触れて、ズラした」
一拍。
「それが、“観測”です」
空気が張り詰める。
頭の奥が妙に冷たい。
さっきの違和感。
あのログ。
全部が繋がる。
「……未来じゃないのか」
ぽつりと呟く。
「違います」
即答だった。
「未来は、“確定した結果”です」
リシアがこちらを見る。
その目は真っ直ぐだった。
「あなたが見ているのは」
一瞬だけ、言葉を止める。
「“確定前の可能性”です」
「……」
理解は出来ない。
でも。
感覚だけは分かる。
あれは未来じゃない。
“まだ変えられる状態”。
だから。
ズレる。
変わる。
壊れる。
「……じゃあ」
低く聞く。
「変えたらどうなる」
リシアは、ほんの少しだけ目を伏せた。
そして。
「壊れます」
静かに答える。
「整合性が失われます」
その言葉と同時に。
【ログ】
対象:周囲
状態:補正中
空間が、わずかに“戻る”。
ズレていた景色が噛み合う。
気持ち悪い。
まるで、世界そのものが修正されているみたいだった。
「……今の」
「修正です」
リシアが即答する。
「観測によるズレは、補正される」
「……つまり」
「やりすぎると――」
一拍。
「消されます」
断定だった。
【ログ】
対象:自分
状態:要排除候補
「……チッ」
舌打ちする。
やっぱりか。
ずっと感じていた。
あの“見られている感覚”。
あれは気のせいじゃない。
本当に、見られている。
「……お前は何者だ」
改めて聞く。
リシアは少しだけ黙った。
迷っている。
言うべきかどうか。
でも。
やがて、小さく息を吐いた。
「……私は」
白い髪が揺れる。
「観測者です」
「……」
「あなたと同じ」
小さく笑う。
「……同じ、ね」
だが。
何かが違う。
感覚で分かる。
「違いますよ」
リシアが静かに言った。
「私は、“管理側”です」
背筋が冷える。
管理。
つまり。
“処理する側”。
「……俺をどうする気だ」
低く聞く。
リシアは、まっすぐこちらを見返した。
「今は何もしません」
「今は?」
「はい」
一歩、近づく。
「でも、このままだと」
一拍。
「確実に消されます」
迷いのない断定。
「……だったらどうする」
問い返す。
リシアは、ほんの少しだけ目を細めた。
そして。
「選んでください」
静かな声。
「観測される側でいるか」
一拍。
「観測する側に来るか」
空気が張り詰める。
二択。
だが。
最初から答えなんて決まっていた。
「……断ったら?」
「時間の問題です」
即答だった。
【ログ】
処理:修正準備
……敵だな。
もう、はっきりしている。
だったら。
「……いいだろ」
小さく笑う。
「最初から、逃げ道なんてねえしな」
リシアが、ほんの少しだけ目を細めた。
「そうですね」
その声は、少しだけ柔らかかった。
「では」
背を向ける。
迷いのない足取り。
その背中を見た瞬間、理解する。
これは。
もう戻れない。
その時だった。
【不明ログ】
観測対象:選択完了
状態:分岐確定
ログが変わる。
空気が、冷える。
そして。
【最上位ログ】
分類:矛盾
処理:修正開始
「――は?」
一瞬、息が止まった。
今までとは違う。
明らかに、“上”。
そして。
敵意。
その事実だけが、はっきりと残った。




