第52話「断空」
「……待って」
リシアの声が、ほんのわずか遅れた。
違和感。
こいつはもっと速い。見た瞬間に判断する。
でも今は違う。
止まってる。
「……今、何する気?」
視線は俺じゃない。
その先。
何もない空間。
でも、さっき“あれ”が起きた場所。
「試すだけだ」
短く返す。
止まる理由はない。
あの感覚。
あれが偶然じゃないなら、もう一回やればいい。
「……やめた方がいい」
珍しく、曖昧な言い方。
「なんで」
「分からない」
一拍。
「でも、それ……おかしい」
その言葉で、少しだけ手が止まる。
「何が」
「さっきのやつ」
視線を外さないまま言う。
「ズレ方が違った」
「は?」
「普通の干渉じゃない」
一拍。
「……分かれてた」
その言葉で。
頭の奥が引っかかる。
分かれてた。
それはつまり――
「……切れたってことか?」
口に出した瞬間、現実味がなくなる。
そんなこと、あるわけがない。
――はずだ。
「……」
リシアが黙る。
そのまま、視線が遠くにズレる。
思い出している。
「リシア」
低く、落ち着いた声。
机の上に浮かぶログ。
その前に座る、小さなリシア。
そして、向かいに立つ男。
父。
「今、何を見てる」
「干渉ログです」
「どう見える」
「……少し、ズレてます」
わずかに歪む表示。
「そうだ」
父が頷く。
「レコードは干渉によってズレる」
「でも……戻りますよね」
リシアが聞く。
「戻る」
即答。
「なぜだ」
「……補正されるから」
「正しい」
静かな肯定。
「世界は整合性を保つ」
一拍。
「ズレは許される」
だが。
「断絶は許されない」
言い切る。
迷いがない。
「……断絶」
「繋がりが断たれることだ」
「……切れるってことですか」
一瞬だけ。
父の手が止まる。
だが、すぐに戻る。
「ない」
短い。
「レコードは、切れない」
断定。
「もし切れるなら」
一拍。
「世界は成立しない」
逃げ場のない言葉。
「そんなものは存在しない」
それは、否定じゃない。
前提だった。
「……あり得ない」
現実に戻る。
リシアの声が、かすかに揺れる。
「レコードは……切れない」
父の言葉を、そのままなぞる。
でも。
さっきの現象。
あれは――
「……だったら何だよ」
思わず返す。
「分からない」
即答。
でも視線は外さない。
「でも、あれは普通じゃない」
「そりゃそうだろ」
苦笑する。
「普通だったらこんなことしてねえ」
手を前に出す。
空間。
そこに“ある”。
「……やるの」
「やる」
即答する。
「分からねえまま終わる方が気持ち悪い」
「……」
リシアが黙る。
止めない。
ただ、見ている。
「……位置、そこ」
小さく言う。
「さっきと同じライン」
「分かるのか」
「見てる」
短い。
それでいい。
集中する。
切るんじゃない。
壊すんじゃない。
“決める”。
「……ここだ」
境界を引く。
その瞬間。
【ERROR】
Record: Undefined
→ 再構築
【最上位ログ】
名称:断空
状態:確定
実行:成功
世界が、静かに分かれる。
音が消える。
距離が断たれる。
そして。
――崩れない。
「……っ」
リシアが息を呑む。
完全に止まる。
目が見開かれる。
理解が、追いついていない。
「……今の」
声が、わずかに震える。
「……何したの」
分析じゃない。
純粋な問い。
理解できないものを前にした声。
「……分かるかよ」
息を吐く。
でも。
確信だけはある。
「……出来た」
小さく言う。
偶然じゃない。
今のは。
確実に。
“やった”。




