第50話 「Left As Is」
来る。
見えないのに、それだけは分かる。
背中の奥がざわつく。皮膚の内側を、何かが撫でていく感覚。
「……来た」
リシアの声が落ちる。
その一言で、心臓の鼓動が一段上がる。
「……ほんとに、見えねえな」
目を凝らす。
何もない。影も、歪みもない。
なのに。
“そこにいる”。
確実に。
「距離、詰めてる」
「どのくらいだ」
「……三秒」
「短すぎるだろ」
思わず吐き捨てる。
反応できる距離じゃない。
「避けるしかない?」
「無理」
即答。
「触れる距離に入ったら終わり」
「じゃあどうすんだよ」
「――止めるしかない」
その言葉と同時に。
「じゃ、やるね」
カイルが前に出た。
「おい待てって」
思わず腕を掴みかけて、止まる。
触っていいのか分からない。
その一瞬の迷いが、遅れる。
「大丈夫大丈夫」
カイルが軽く手を振る。
「なんとかなるから」
「その“なんとか”が信用できねえんだよ!」
「ひど」
笑う。
でも。
止まらない。
そのまま、“何もない場所”に立つ。
「……そこか」
思わず呟く。
分かる。
さっきと同じだ。
あの位置。
あの感覚。
「……触るなよ」
口から出る。
さっきの言葉が、まだ頭に残ってる。
「触らないって」
カイルが笑う。
「近づけないだけ」
「どうやってだよ」
「こうやって」
手を出す。
触れてない。
でも。
空気が変わる。
ピタッと。
“そこだけ”止まる。
「……っ?」
思わず息を呑む。
風は動いてる。
音もある。
でも。
“そこだけ動いてない”。
「なに、した……?」
「んー」
カイルが少し考える。
「動かないようにした?」
「だから何をだよ」
「分かんない」
即答。
「でも、動こうとしてたからさ」
軽い。
でも。
確実に“ぶつかってる”。
「――来る!」
リシアが叫ぶ。
次の瞬間。
空間が歪む。
見えない何かが、ぶつかる。
「……っ!」
鈍い衝撃。
カイルの身体が揺れる。
「うわ、重っ」
軽く言う。
でも。
押されてる。
確実に。
「おい、それ押されてるだろ!」
「うん、まあね」
余裕そうに言うけど。
足が半歩下がる。
あれは。
耐えてる動きだ。
「離れろ!」
リシアが叫ぶ。
「触れる距離!」
「分かってるって!」
カイルが踏みとどまる。
そのまま。
押し返す。
見えない“何か”を。
「……なんだよ、これ」
思わず呟く。
見えない。
でも。
確実に戦ってる。
「……ちょっとズレて」
カイルが言う。
「え?」
「そのまま戻るなよ」
「意味分かんねえって!」
「いいから!」
その瞬間。
圧がズレる。
位置が、ほんの少しだけ。
「今!」
カイルが叫ぶ。
同時に力を抜く。
“何か”が弾かれる。
後ろに。
見えないまま。
「……は?」
声が漏れる。
今の、何だ。
「追い払っただけ」
カイルが言う。
「倒してないよ」
「……だろうな」
息を吐く。
全然安心できない。
むしろ。
はっきりした。
あれは。
“倒すものじゃない”。
「……お前」
カイルを見る。
「今の、なんだ」
「んー?」
「近づけなかっただけ」
「それが分かんねえんだよ!」
思わず強く言う。
「どうやって止めた!」
「止めてないって」
カイルが笑う。
「そのままにしただけ」
その言葉で。
引っかかる。
「……そのまま」
繰り返す。
頭の中で、さっきの感覚を探る。
俺は。
消した。
繋がりを。
無理やり。
「……じゃあ」
小さく呟く。
「消すんじゃなくて」
一瞬、息が止まる。
「……切る、なら」
何かが繋がりかける。
でも。
まだ足りない。
「……顔、変わったね」
カイルが言う。
「何か掴んだ?」
「……分かんねえ」
即答する。
「でも」
一拍。
「……さっきよりはマシだ」
あれは。
ただの偶然じゃない。
そう思えるくらいには。
何かが残っている。




