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第32話 「Undefined」


見えているだけ

視界が、まだ慣れない。

 

空間の中に、細い線が浮いている。

 

何もないはずの場所に、

 

“あるはずのない輪郭”が重なっている。

 

 

 

【対象:低位個体】

【状態:不安定】

【同期率:42%】

 

 

 

「……これ、ずっと出てるのか」

 

 

目をこする。

 

 

消えない。

 

 

 

「……消えないよ」

 

 

振り返る。

 

 

リシアが、少し距離を取って立っている。

 

 

 

「切らないと、消えない」

 

 

 

「切るって、どうやって」

 

 

 

一瞬だけ間があって、

 

 

 

「そのうち慣れる」

 

 

 

それだけ言って、視線を前に戻した。

 

 

 

説明はしない。

 

 

でも、誤魔化してもいない。

 

 

 

「……来るよ」

 

 

 

その一言で、

 

 

空気が変わる。

 

 

 

前方の空間が、わずかに歪む。

 

 

 

“ズレ”が動いている。

 

 

 

今は、はっきり分かる。

 

 

 

「……あれか」

 

 

 

足が自然に動く。

 

 

 

迷いがない。

 

 

 

触れる位置が、見えている。

 

 

 

 

踏み込む。

 

 

線に合わせて手を伸ばす。

 

 

 

当たる、と分かる。

 

 

 

 

触れた瞬間、

 

 

対象がわずかにズレた。

 

 

 

 

「……っ」

 

 

 

でも、追える。

 

 

 

ズレた先も、見えている。

 

 

 

 

もう一度、触れる。

 

 

 

崩れる。

 

 

 

 

「……いける」

 

 

 

思わず声が出る。

 

 

 

前より、明らかに楽だ。

 

 

 

無駄がない。

 

 

 

“見えている”から。

 

 

 

 

そのまま、もう一体。

 

 

 

同じように踏み込む。

 

 

 

線に合わせる。

 

 

 

触れる。

 

 

 

崩れる。

 

 

 

 

「……すごいな、これ」

 

 

 

自然に笑う。

 

 

 

さっきまでの苦戦が、嘘みたいだ。

 

 

 

 

その時。

 

 

 

 

「……やりすぎ」

 

 

 

リシアの声。

 

 

 

少しだけ強い。

 

 

 

 

視界の端にノイズが走る。

 

 

 

 

【WARNING】

【負荷上昇】

 

 

 

 

一瞬、感覚がズレた。

 

 

 

足の位置が、

 

 

ほんのわずかに“遅れる”。

 

 

 

 

「……今の」

 

 

 

違和感が形になる前に――

 

 

 

 

「やめて」

 

 

 

 

空気が止まる。

 

 

 

今までで一番、感情が乗った声。

 

 

 

 

「それ以上は……」

 

 

 

言葉が詰まる。

 

 

 

 

「……危ない」

 

 

 

 

小さく、押し出すように。

 

 

 

 

「削れてる」

 

 

 

 

その一言だけ残して、

 

 

すぐに視線を逸らす。

 

 

 

 

「……来る」

 

 

 

何事もなかったように、前を見る。

 

 

 

 

でも、

 

 

 

さっきの一瞬だけ、

 

 

違っていた。

 

 

 

 

リシアが動く。

 

 

 

腰の短剣を抜き、

 

 

地面に突き刺す。

 

 

 

 

――アンカー・ブレード。

 

 

 

 

その瞬間、

 

 

空気が静まる。

 

 

 

 

ノイズが消える。

 

 

 

ズレていた感覚が戻る。

 

 

 

 

「……戻った」

 

 

 

息を吐く。

 

 

 

 

「……楽でしょ、それ」

 

 

 

リシアが言う。

 

 

 

 

「でも」

 

 

 

 

「頼りすぎないで」

 

 

 

 

視線が一瞬だけ、こちらを見る。

 

 

 

 

その時。

 

 

 

 

視界の奥で、

 

 

何かが混ざった。

 

 

 

 

Record : ————

Status : Undefined

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 

瞬き。

 

 

 

消える。

 

 

 

 

「今、何か――」

 

 

 

リシアを見る。

 

 

 

 

ほんの一瞬だけ、

 

 

視線が止まる。

 

 

 

 

「……今の、見たか?」

 

 

 

 

少しの間。

 

 

 

 

「……私は見てない」

 

 

 

 

すぐに答える。

 

 

 

でも、

 

 

ほんの少しだけ間があった。

 

 

 

 

「……ログ、安定してる」

 

 

 

 

言葉を重ねる。

 

 

 

でも、視線は外れる。

 

 

 

 

「……同じの、見たことある」

 

 

 

 

小さく。

 

 

 

それだけ言って、

 

 

 

前を向いた。

 

 

 

 

それ以上は、何も言わない。

 

 

 

 

 

聞かない。

 

 

 

聞けない。

 

 

 

 

 

視界を見る。

 

 

 

ログは正常。

 

 

 

 

何もおかしくない。

 

 

 

 

でも、

 

 

 

さっきの“何か”だけが残る。

 

 

 

 

「……見えてるだけ、か」

 

 

 

 

小さく呟く。

 

 

 

 

 

それが本当に“見えている”のか。

 

 

 

それとも――

 

 

 

“見せられている”のか。

 

 

 

 

まだ、分からない。

 

 

 

 

ただ一つ。

 

 

 

 

前より、楽になっている。

 

 

 

 

そして――

 

 

 

少しだけ、

 

 

ズレている。

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