第六十一話 ザルソバ
黒竜が庭園のど真ん中に、ズン!と着陸音を立てる。そして光とともに、一瞬で黒龍は紺の姿に戻った。この様子に周りの兵士達が、感嘆の声を上げている。
たった四人の侵入者が、多勢に取り囲まれている状態だが、この後に及んでも誰も攻撃の兆しを見せない。
だが一方の紺の方は、とっくに戦う気は満々だった。兵達の一歩前に出ている臙脂に、強く指を突き立てる。
「逃げずによく待ってたな臙脂! 今度は私の新しい力を見せてやるよ!」
「いや……」
何か言いたそうな臙脂を無視して、紺は早速その新技を披露する。相手と対話する気ゼロの、速攻での戦闘態勢だ。
紺が己の刀に魔力を込め始める。紺の刀が、黄色の光に包まれた。
そして自分の足元数メートル先の地面に、切っ先を向けた。鋭い刃の先端から、レーザー銃のような緑色の細い光線が発射される。それが地面に着弾すると、そこからフラフープのような光輪が現れて、地面の上を波紋が広がるように大きくなっていった。
その様子は、以前臙脂が使った魔法とそっくりだった。ただし輪の中の光は、臙脂は赤だったのに対し、紺は緑である。風の魔法の光とは、微妙に色彩の違う緑の光だ。
それはあっという間に、直径五メートル程にまで巨大化した。臙脂の物より遥かに大きい。この一連の動作は、全て一瞬の内の出来事だったが、臙脂はそれを見て全てを理解した。
(まさか召喚魔法が使えるのか!?)
緑光のミステリーサークルから、何かが水面から顔を出すように出てきた。最初に出てきたのは、角の生えた獣の頭だった。
光の上に頭だけ出す姿は、大昔の恐竜図鑑の絵に描かれた(現在では科学的に完全否定されている)、水中から首を出す竜脚類恐竜の姿のようだ。
やがて頭の下の首が、首の下の胴体が、胴体の下の四本足が、その生物の全身がマジックショーのように現れた。
「麒麟、“ザルソバ”召喚!」
紺の召喚名に、周りの兵士たちの動揺が更に大きくなった。
「おい、いま麒麟って言ったか!?」
「マジか!? あれを制御できるのか!?」
「ていうか何故、食べ物の名前!? 元からそういう名前だったのか!?」
紺が召喚したものは、常識ではありえない存在だった。
馬のような体型・東洋の龍のような頭・全身を覆う鯉(龍)のような鱗・牛のような尾・馬のような蹄。それは紛れもなく麒麟だった。
鉄士試験に出てくるような紛い物ではない。本物の麒麟である。試験に出てきた個体は、馬と同じぐらいの大きさだったが、本物はそれの倍以上はある。もうこれは怪獣といってもいいだろう
麒麟とは、かつて女神レイコが不足した土地神のスカウトのために、異世界から招き入れた霊獣の一匹だ。だがこの世界に来訪して早々に、レイコの命令に背き、各地を飛び回り荒らし回り、やりたい放題やって飽きたら、さっさと自分で元の世界に帰ってしまった。とんだ迷惑ものだ。
だがその強さは、おぞましいものだった。各地にいる霊獣達に、道場破りのように勝負を挑み、徹底的に負かしてしまったのだ。捕獲に来た大勢の武士達も、あっとうまに返り討ちになった。
レイコ自身も手を焼いた、とんでもない怪物である。
ちなみにこの個体に名前を付けたのは紺。命名は適当で、前に食べた蕎麦屋の飯がうまかったから、とのこと。過去の話はどうでもいい紺は、目の前の臙脂に勝負を突きつけた。
「さあ、あのゲイランとかいう女を呼びな! 私のと勝負だ!」
某モンスターバトルゲームで、伝説のモンスターを手に入れたトレーナーのごとく、自信満々だ。
(ザルソバは光の属性を持っている。相手がアンデッド系なら、最高の相性で勝利確定だ!)
紺の余裕は、召喚獣の格とかではなく、そんなゲーム理論に基づくものだった。臙脂が、目の前の霊獣に驚愕し、やがて疲れた顔で頷いた。
正直説得など不可能だ。先日の報復で己の命を失うことは、覚悟すべきだろう。
「やむを得ません…勝負を受けましょう。………屍人の女王・ゲイラン召喚!」
一瞬で現れた赤い円陣から、あのゲイランという娘が召喚された。そして目の前のザルソバと対峙する。
(……何だ? どこかおかしいような……)
浅葱がゲイランの姿に、僅かな違和感を覚えた。だがそれが何なのか気づく前に、勝負が始まる。
「グルルルルルルッ!」
「…………」
狼のような唸り声を上げて、威嚇の声を上げるザルソバ。そして全くの無言で、ククリ二刀を構えながら、相手を見つめているゲイラン。
やがて誰が宣言することもなく、両者が激突した。角から輝く聖なる光を出しながら、前進するザルソバ。一方のゲイランは……
「参りましたぁあああああああああああっ!」
頭を下げて速攻で降参してしまった。ククリナイフを投げ捨てて、完全に戦闘放棄モードである。
「「「はあっ!?」」」
ゲイランの行動に、その場の全員が呆気にとられた。あのザルソバですら、攻撃態勢から、うっかり転びそうになっている。その様子に、ゲイランは済まなそうに、頭を掻いた。
「………ゲイランよ…。別に無理に勝てとは言わないが……さすがにそれはないだろう?」
呆れの中に、雀の涙ほどの量の僅かな怒りの感情が混ざりながら、臙脂が低い声で問いかけた。
「いやあ……私もう不死身じゃなくなったんで……正直こんなのと戦える気がしないっていうか……」
「何だと!?」
臙脂は最初、ゲイランの発言の意図が判らなかった。だが改めてゲイランの姿を見ると、前に召喚したときとは、明らかに違う点があった。周りの者たちも、すぐにそれに気がつく。
「最初に感じた違和感はこれか……」
変わっているのはゲイランの肌色。血色が全く通っていない、青ざめた屍人独特の肌が、今は綺麗に黄色系独自の体色になっているのだ。顔色も大層良く、とても彼女が屍人には見えない。
「まさか!?」
臙脂がゲイランの手首を掴み、脈を測ってみる。死体の魔物である屍人に、本来脈などあるはずがない。だが今は違った。
手首に押し付けた指から、ドクンドクン!と確かな脈拍が感じ取れる。体温も、以前触れた時のような、石のような冷たさはない。確かな生きた生物の温かみが、その健康的な身体から感じ取れるのだ。
「私、屍人じゃなくて、元の生きた人間に戻ったみたい……。生き返った?ていうのかな。だからもう、今までみたいな戦いはできないんです。力も大分弱ってるし。ていうか、そうでなくても、こんなとんでもない霊獣に、勝てるはずないじゃないですか!」
とても嬉しそうな口調で、敗北宣言するゲイラン。周りの兵士達が、事態が全く飲み込めず、ザワザワと騒ぎ立てている。
ただあの時に、ゲイランの行動を見ていた紺は、その原因に思い当たった。
「そういえばお前、私の肉食べてたな?」
「はい、噛み付いた後、しっかり飲み込んじゃいました♪」
紺の血肉には、他の生物を強化する力があることは、もう十分理解している。
だが相手が、元より生きていない、アンデッド系だったりしたらどうなるのか? 考えもしなかったことだが、どうやらこれが答えのようだ。
その場が騒然から、一転して沈黙が走った。正直この状況で、どんな反応をすればいいのか、誰も判らないのだ。ただ一人、ゲイランだけがニコニコした顔で、誰かが何か喋るのを待っている。
ゲイランの様子を一番近くで見ていた紺が、ようやく口を開いた。
「不死身でなくなったのに、随分嬉しそうだな?」
確かに、このゲイランという元屍人には、力を失ったことに対する喪失感は、微塵も感じ取れない。むしろこの変化を、喜んでいるようにしか見えない。
「そりゃ嬉しいよ! あんな斬られても撃たれても、絶対死なない気色悪い身体なんて。あなたは自分のことを、そんな風に感じない?」
「……どうだろうな? 自分が生き返るところは、自分では見れないし。歳を取れば同じように感じるのかな?」
「さあ、どうだろうね? それじゃあ私は負けちゃったから、後は紺さんの好きにしてね♪」
再び始まる静寂。一分ほどしてから、今まで微妙な表情をしていた紺が、気が抜けたように大きな息を吐いた。
(なんかなあ~)
一応自分の首を斬ってくれた宿敵なのだが、こうなると何だかやりにくい気分になってきた。
特に自分が殺されるかも?という現状に、全く恐れを感じていないゲイランの様子など特に・・・・・・。まあ、元々屍人を何百年も続けてきたという奴に、そういう感性はないのかもしれないが。
そして仲間たちに向き直る。
「・・・・・・もう気は済んだ。もう行こう」
「「「ええっ!?」」」
突然の戦闘終了宣言。臙脂を始めとした、全兵が仰天した。相応の報いを覚悟していたのに、あまりにあっけなさすぎる。
「何だ? もういいのか?」
「じゃあ、いきましょう」
兵たちと違って、仲間たちは実にあっさりと対応する。
「黄、さっき言ってた街周りしてみるか?」
「ううん……今日はいいや」
今日は随分と騒ぎを起こしてしまったのだ。しばらく時間を置くのが正しい判断だろう。
「そうか。よし皆、ザルソバに乗るぞ!」
紺と仲間達が、いつのまに足を曲げて座り込んでいたザルソバの背に、次々と乗り込んでいく。
元より大きな体格のおかげで、四人全員は充分乗れそうだ。ザルソバもそれに反抗せずに、彼らの乗馬を受け入れる。
「待ってください!」
着々と帰り支度を始める一行に、ようやく臙脂が声を上げた。
「あなたは我々への報復に来たのではないのですか!?」
「うん。でももう、どうでもいいや。というか興が醒めちゃった。それじゃあな!」
それだけ言って、紺はザルソバに指示を送る。もう臙脂との因縁などどうでもいい。
ザルソバが立ち上がり、後ろ足で地面を蹴った。すると一行を乗せた巨体が、風船のように空中に舞い上がった。
そしてサンタクロースのトナカイのように、空を走り始める。
「待たね~~~~~!」
皆が呆然とする中、ゲイランだけが親しげに手を振って、上空へと向かう彼らを見送った。やがてザルソバと一行は、空の彼方に見えなくなった。
「…………どうするか?」
来客があっという間に帰ってしまったことに、臙脂は手を出し損ねた。
本当は彼らに頼みたいことがあったのだ。だが元より自分たちには、彼らに事を頼む資格などない。
だがこのまま戦闘に突入していれば、自分を倒したあとに、彼らは“次の敵”と戦うことになるだろうと目算していた。ここにきてまで、人を利用しようというのは厚かましいこととは判っていたが・・・・・・
だがその目算すら、見事に外れてしまった。自分らの命が助かったのを喜ぶべきか? 今現在の問題が解決していないことを悔やむべきか? どっちにしろこれから何をすべきなのか?
臙脂や兵達は、後ろにある王居に顔を向けた。
「………やはり、これは私たちでどうにかするしかないのか?」
今王居の中に封じている“敵”に、一同は、恐怖で再び息を呑んだ。




