第三十三話 甚五郎
探し神はすぐに見つかった。林の中を狂ったように走り回り、変わった鳴き声を上げまくるそれは、この広い林の中でもよく目立つ。
「キュアアアアアアアッ!」
それは目の前に現れた紺達に、強く威嚇する。今の彼には眼に映る者全てが敵に見えるのだろう。
「あれが甚五郎様か」
「ていうか河童じゃんあれ・・・・・・」
甚五郎の姿を見て、紺がそう呟く。
甚五郎は、体型は人間に近く、二足歩行で陸の上を歩いていた。全身は緑色で、両生類のように滑らかな表皮だ。頭には人間のような髪の毛が生えている。乱れたざんばら髪で、真ん中には毛が生えておらず、円形の白い物体が蓋のようにくっついている。
口は短いくちばし状になっている。背中には亀のような甲羅がついている。亀仙人のように重量トレーニングしているわけではなく、本物の甲羅だろう。手足の指は、人間と同じ五本指だが、指と指との間に小さい水かきがついている。
そしてその奇怪な全身からは、妙な異臭が放たれている。生肉が腐ったような生臭さに、一同は顔をしかめる。
日本でUMAとして発見された河童の足跡は、相当な悪臭を放っていたそうだが、それに通じる物だろうか?
この姿は紺の知識にある、日本の河童と全く同じだった。だが違う点も少しある。日本の伝承にある河童は、子供のように小さい体格だ。
だがこの甚五郎は違う。背丈は三メートルを確実に超えている。体格もかなり太く、力士のような体型だ。河童の巨人という呼び方が似合いそうだ。
「キュカァアアア!」
甚五郎がこちらに向かって突進してきた。おおよそ一トンはありそうな巨体が、暴走トラックのようにこちらに迫ってくる。猛牛よりも恐ろしい脅威だ。
これに躑躅は少しびびって一歩下がったが、他の三人は余裕の表情だ。紺は刀の切っ先を突き出し、正面の甚五郎に向かい合う。
切っ先から風の魔力が放出されている。そして甚五郎の巨体がまさにぶつからんという時に、その魔力が一気に解放された。
バン!
風船が割れるような音が聞こえ、強力な衝撃波が目の前の甚五郎に向けて放出された。
「キュガ!?」
甚五郎は短い悲鳴を上げて、その衝撃波に吹き飛ばされた。
熊よりも巨大な身体が、軽々と宙に浮き、林の中に木々に何度も激突する。激突した木が三本ほどへし折れ、最後に四本目に激突したときに、ようやく甚五郎の身体は止まって地に戻った。
甚五郎は相当な痛手を受けたようで、すぐには立ち上がれず痙攣している。だがこの時ダメージを受けたのは彼だけではなかった。
「うげぇええええええ!」
「うううう、臭いよお~」
「はうううううううう・・・・・・」
「ぐぉおおおおおおおお!」
紺・黄・躑躅・浅葱が、四者四葉に鼻を押さえて苦しみ出す。これはどうしたことか?
彼らは別に攻撃を受けたわけではない。これは不運な事故だった。甚五郎を風圧で弾き飛ばしたときに、彼の表皮を覆う蛙のような粘液が、そこら中に飛び散ったのだ。
その粘液から放たれる悪臭は、あまりに強烈すぎた。遠くから対面しただけでも、鼻を摘みそうなほどの臭いだったのに、ここまで接近されるとその臭いはさらに酷くなる。
しかもその粘液が、少しだが一行の身体に付着してしまったのだ。
「ううっ、またこれかよ・・・・・・」
紺はあまりの非道さに泣きたくなってきた。この臭いは、以前洋竜から味あわされた泥の臭いよりも強烈かも知れない。
「キュルルルルルルッ!」
一行が臭いに悶絶している間に、甚五郎が先に起きあがってしまった。
どうやら戦闘不能にするほどのダメージにはならなかったようだ。一行はどうにか臭いを振り切って、迎え撃とうとするが、生憎その必要はなかった。
相手との実力差を感じ取ったのか、甚五郎はこちらに背を向けて逃げ出したのだ。
「ああ、おい!?」
あの力士のような巨体が、どんどん林の中へと潜り小さくなっていく。一行は大慌てでその後を追った。
一行は林の中を走っていく。甚五郎は俊敏な動きで、林の中を逃げていく。まるで猿のような身軽さだ。あの巨体であの俊敏さは恐ろしい。だが足の速さにおいて総合的には、一行のほうが上だった。
甚五郎は障害となる木は、全てなぎ倒していた。だが一行は木々をすいすいと避けて、無駄な時間ロスを避けていく。
一行は背後から甚五郎との距離をどんどん詰めていく。その中でも特に速いのが紺だった。
「よっしゃ捕まえた!」
甚五郎のすぐ後ろに迫り、勝利を確信する紺。彼を捕まえようと、甚五郎の足に掴みかかるが・・・・・・
ヌルッ・・・・・・
生きたウナギを素手で掴んだような、滑らかで気持ち悪い感触を、手から感じた。しかもそれはよく滑り、紺は折角掴んだ手をうっかり外してしまう。
(くそっ!)
どうにか掴みなおそうと、紺は再び手を出そうとする。するとあの甚五郎がこちらに顔を向けた。
振り返ったというのとは少し違う。彼の身体は前方を向いたままだ。身体は前に向けたまま、首だけが動いたのだ。レバーの取っ手のように、首と頭が百八十度回転して、真後ろの紺に目線を向けた。
(うおおおっ!?)
サーカスの手品のようなその現象に、紺は一瞬動揺して、うっかり手を止めてしまう。その隙に甚五郎は、紺に向けて何かを吐き出した。
ハァアアアアアアアッ!
大きく開かれたその巨大な口から放出されたそれは、紺だけでなく、その後ろから駆けつけてくる仲間達にも吹き付けられる。
「「ぐげぇええええええええええっ!」」
これは相当効いたようで、再び悶絶して倒れ込む一行。その隙に甚五郎は彼らから逃走していく。
甚五郎が紺達に浴びせたのは、炎でも光線でもない。ただの息である。甚五郎の口臭がたっぷり含まれた、強烈な悪臭息だ。
追跡で甚五郎に接近したときにも、その臭いは感じていたが、これぐらいなら彼らにも我慢できるレベルだった。だがさすがにこれには敵わなかったようだ。
あまりに酷い悪臭に膝をつく黄・躑躅・浅葱の三人。紺はそれよりもかなり酷く苦しんでおり、倒れ込んでジタバタと苦しんでいる。
至近距離で息を喰らったからというのももちろんある。それと同時に紺の右掌には、掴みかかったときに付着した、甚五郎の体液がたっぷり付着しているのだ。それから発せられる臭いもあって、紺の感覚・精神のダメージは相当な物だ。
死と再生を繰り返して、急速に強化された感覚能力も、かえって仇になったようだ。
一流の武士や鉄士ならば、ある程度の感覚的刺激にも我慢できるよう、相応の鍛錬を行っている。だが紺は、そのような実戦に適した鍛錬をした経験など無い。変な体質を持ってはいるが、本人は普通の女子高生なのだ。
それだけでなく普通ならば、こういう悪臭を長時間かぎ続けると、嗅覚疲労を起こして臭いを感じなくなるものだ。
だが甚五郎の体臭は、魔力によるものなのか否か、特殊な作用があるようだ。どんなに嗅ぎ続けても、ずっと地獄の感覚を味わい続けることになる。
(ああ、木が歪んで見える~)
もはや意識も朦朧としてきた紺。もうこれ以上の追跡を続けられる自信は全くなかった。
「紺さん! 紺さん!」
誰かの声が聞こえてきた。意識が混濁する中、かろうじてそれが黄の声だとは判別できた。
「・・・・・・私は・・・もう駄目だ。後は頼む・・・・・・」
「紺さ~~~~~ん!」
感動の別れの場面かのように、黄が叫び、紺はその場で意識を手放した。
「紺さん死んじゃったんでしょうか? そしたらあの臭いを、紺さんも出せるように?」
「いやまだ死んでいないようだ。呼吸の動きがまだ見える」
「そうですか。ちょっと残念です。出せたら面白そうだったのに」
黄と違って、淡泊に状況を見つめる二人。やがて黄も立ち上がり、甚五郎が逃げた林の方を睨み付けた。
「キュウ・・・・・・」
林の中を長時間全力疾走した甚五郎は、疲れ切って一旦足を止める。振り返ると、あの三人の姿は見えない。上手くまいたか?と一瞬思ったが、その安堵はすぐ消し去られる。
林の奥から、一人の追撃者の姿が見えた。それは黄だった。その表情は怒りに満ちて、さっきの追走劇との時よりも、勢いが増している。
「キュガァアア!」
これ以上逃げても、すぐに追いつかれると判断したのか、甚五郎は逃走を止めて戦闘態勢に入った。幸い相手は一人。さっき自分を吹き飛ばした女の姿はない。
「見つけたぞ! 観念しろ!」
敵のすぐ側にまで追いついた黄は、甚五郎に向かい合って叫ぶ。黄は空手のような構えをとり、一方の甚五郎は相撲のような構えで向かい合う。
先に動いたのは黄だった。正面から堂々と、甚五郎に向かって突っ走る。甚五郎は彼に向けて、その巨大な張り手を喰らわした。
バン!
「うぐっ!」
体格差からか、威力では甚五郎に勝てず、黄はその場から弾き飛ばされる。
黄の正拳が届かなかったのは、何も威力だけではない。彼が攻撃を受けたのは、まだ相手に間合いに入っていないときだった。まだ距離があるうちに、甚五郎が張り手を打つ。すると甚五郎の太い腕が、某ゴム人間のように突然伸びたのだ。
甚五郎の右腕が、本来の長さの二倍にまで伸びている。一方の左腕は、甲羅の中に引っ込んでいた。片腕が縮むと片腕が伸びる。いったいどんな身体の構造をしているのか?
「くうっ!」
弾かれた黄だったが、空中で上手く体勢を立て直し、無事に地面に着地。構え直して、再び飛びかかった。
甚五郎は彼を再び、あの伸びる張り手を打つ。さっきの攻撃で相手の間合いを見直した黄は、今回は左側に動いてギリギリでそれを回避した。そして左側から、敵の胴体に突撃した。
「キュガッ!」
黄の拳が敵の左脚に直撃した。甚五郎の左手は引っ込んでいるので、彼の攻撃を防護することは出来なかったのだ。脛を殴られた甚五郎は痛みに苦しみ、バランスを崩して後ろ側に倒れ込む。
(まだまだ!)
黄は倒れた甚五郎の、前上半身に飛び乗った。倒れて甲羅が地面についた甚五郎は、ひっくり返った亀のように、すぐに起きあがることが出来ない。
その状態のまま黄は、甚五郎の顔を何度も殴りつける。拳にはあの悪臭を発する粘液にまみれ、身体にも飛び散った粘液が大量に付着する。
(くっ臭い! でもあきらめないぞ! 紺さんの仕返しだ!)
小柄ながらも強靱な拳打に、甚五郎は大いに怯んで中々反撃が出来ない。やがて黄の拳は、甚五郎の頭の皿にも命中した。
「キュアァアアアアアアアアアッ!?」
「ふえっ!?」
今にも死にそうな悲鳴を上げる甚五郎。突然の大きすぎる反応に、黄は思わず手を止めた。よく判らないが、今の一撃はかなり効いたようだ。
頭の皿にはヒビが入っており、甚五郎はヒクヒクと痙攣しながら、そのまま動かなくなった。もしかして死んでしまったのでは?と少し不安に感じたが、幸い息はしており、気絶しているだけのようだ。
「仕留めたか!? うわっ!?」
「大丈夫ですか黄さん! ひいっ!?」
怒りで全力疾走する黄に引き離された二人が、今ようやく追いついた。浅葱の背には、気絶した紺がおぶさっている。だが黄の姿を見るなり、両者とも顔を引きつらせた。
その場には気絶した甚五郎。これはいい。捕獲という目的は果たしたのだから。二人が反応したのは、全身に粘液を被った黄の姿だった。
「はぁはぁ・・・・・・やりました。でももう駄目です・・・・・・」
小さくガッツポーズをした黄は、そのまま倒れ込み気絶する。今まで気力で臭いを我慢してきたが、ようやく限界を迎えたらしい。恐らく残りHPは5ぐらいしか残っていないだろう。
「黄くん頑張りましたね・・・・・・」
「ああ、大した男だ。だがこれは・・・・・・後で鼻栓しながら風呂洗いしてやる必要がありそうだな」
黄の功績に色んな意味で感動する二人。この後どうすればいいのか、気絶した甚五郎の方へと二人は目線を傾けた。




