第三十二話 土地神
青龍京からそう遠く離れていない、ある農村にて。
田園が広がる平和な村だ。今年は例年通り稲の発育も良く、今日も和やかに時が過ぎていくはずだった。だがこの村の神社では、かなり厄介なことが起きて騒ぎになっていた。
「これはいったい・・・・・・」
神主が社殿の奥にある、池の前で他の神職達と共に、呆然と立ちつくしていた。
目の前にあるのは、一つの大きな池。広い林の中にあるそれは、池と呼ぶには大きく、湖と呼ぶには小さすぎる規模の水辺だ。
自然豊かで、周りの林からは小鳥の鳴き声が聞こえ、水面からは無数の水草と魚が泳ぐ姿が見える、静かな光景がいつものこと。だがこの日は様子が違いすぎた。
池の水は、今はブドウ酒のように紫色に濁っていた。透明度がなくなっているため、水中の様子を見ることは出来ないが、そこに住んでいた魚の姿は見ることが出来る。
皆水面に全身を出しているからだ。魚だけでなく蟹や亀などの、ここに住んでいた水棲生物が、みな死に絶えて、水の上に葉っぱのように浮いているのだ。
池の近くにあった木々も枯れている物が多く、ここの自然はひどく破壊されていた。
長年神社で守り通してきたこの池が、一夜見ないうちにこの有様。神職達はあまりの衝撃に、悲しむ余裕さえ持てなかった。
「い、いったい何が起きたって言うんだ? 魔物の仕業か?」
「甚五郎様は無事なのか!?」
「おっおい! あれは!?」
池の中央の水面に、何か動く物が見えた。流木などではない。
水面に動く何か大きな物が、岸部に向かって移動している。ネッシーのようなその謎の存在に、神職達は一様に注視した。
「甚五郎様か?」
やがてそれは岸辺に到着し、上陸してその全身を現す。この姿を見て、神職達は一瞬だけ喜んだ。だがそれはすぐに悲鳴に変わることになる。
「キュァアアアアアアアアアアア!」
それは変わった鳴き声を上げて、その場で暴れ出した。
「これ良くないか?」
九十九神騒動の翌朝。資格証の画面の依頼一覧を見た紺が、一つの依頼に注目した。他の二人も、自分の資格証からそれを見る。
それは依頼一覧を開く、僅か数分前に告知されたものだ。
「これは・・・・・・なんて言うか酷いことが起きましたね・・・・・・」
躑躅がその依頼を見て、何とも気の毒に思った。
青龍京付近にある滝沢村の土地神が、突然暴走したというのだ。それは甚五郎という水の霊獣で、突然暴れ出して神職達に襲いかかったというのだ。
幸いにも死者は出なかったものの、多数の負傷が出た。村からの依頼は、この甚五郎を捕獲して欲しいというものだ。どうしても難しいようなら、殺してしまってもしかたがないという。
受理者に人数制限はなく、一番始めに仕事を果たしたものに、報酬を渡すというものだった。
また霊獣の身体は、骨から皮まで至る所が霊素材になりえるそうで、その死体を協会に差し出したら、協会から別腹で報酬を支払うとのこと。
人々や自然を守護する神聖な存在が、このようなことになるのは、何とも遺憾な話だ。
「必要階級は赤銅級以上か・・・・・・」
「それなら今の私らでも受けられるだろう?」
「まあ、そうだが・・・・・・」
何か釈然としないものがあるのか、浅葱の表情は曇っている。
「何かおかしな事でも?」
「ああ、土地神殺しにしては等級が低すぎると思ってな。しかも殺しても構わないとは・・・・・・暴走の原因も判っていないのに、依頼者達も諦めが早すぎないか? あまり位の高い神ではないようだが、これはさすがにな……」
確かに普通なら捕獲を最優先して、赤銅級等ではなくもっと階位の高い鉄士に頼るのが普通だろう。ここの村人は、あまり土地神を大切にしていないのだろうか?
不可解に感じたのは、浅葱だけでなく躑躅もだった。
「日付見ましたけど、事件が起きたのはほんの二時間前ですよ!? いくら何でも早すぎます!」
「事件が起きる前から、依頼が予め用意されていたのかもな。依頼者も本当に村人かどうかも怪しいものだ」
「浅葱さん!?」
浅葱の言葉に、躑躅が少し不愉快そうな表情を見せる。
「まさかあんな話、本当に信じてるんですか?」
「さあな、それはこの目で確かめないと判らんさ」
その場の空気が少し冷たくなるのを感じた。紺は話が見えず困惑し、黄が話を進めようと口を開く。
「ええと、鉄士じゃない僕が言うのも変だけど、これ受けてみません? 他の鉄士が何かしちゃう前に、僕たちで捕まえればいいと思うし・・・・・・」
「私も賛成だ。土地神ていうのも、どんなのか見てみたいし」
その紺の言葉に、今日の仕事が決まった。
甚五郎捕獲依頼が出てから、一時間ほど。この依頼を受けた鉄士達で、現地に一番乗りに到着した鉄士は紺達だった。
どうやってこの短時間で到着したというと、竜の翼に頼ったからだ。空の上を一頭の黒竜(紺)が飛行機のような速さで飛ぶ。そしてその竜の背に、風圧をものともせずに乗っている強者達が三人。
四王国でやばいことをやらかした姿だが、何故か四王国の方から黒竜の討伐令は出ていないので、特に問題はないだろう。目的の村はもう見えてきた。
水田が広がる森に囲まれた農村だ。ここには着陸飛行場など無いため、村の中にある牛の放牧地に、勝手にお邪魔させてもらった。
牧草を食べていた牛たちが、突然空から飛来してきた怪物に驚き逃げ出す。狼でも現れたかのように悲痛な鳴き声が幾重も飛び交い、柵を飛び越えようと頑張っているものもいた。
「これはちょっと、騒ぎになりそうだな・・・・・・」
紺はすぐに人間の姿に戻る。そして勝手に人の土地に上がり込んだのを詫びようと、家の者に話をしにいく。
「そうかい、そんなことどうでもいいから、早く家から出て行ってくれ・・・・・・」
家人の反応は随分淡泊だった。騒ぎを起こしたのを怒るわけでもなく、ただこっちとは関わりたくないいう感情が、強く感じ取れる。
何だか知らないが、謝辞は果たしたので依頼人の村長の所に一行は向かっていった。
「もう来たのか。随分と用意がいい事だな。ちょっと待ってろ」
「え? はあ・・・・・・」
村の中で一軒の家の玄関前にて、村長は依頼を受けた客に対して、家に招くわけでもなく、玄関前に立ち待たせた。
彼の言葉からは何故か、こちらに向けて強い敵意が感じ取れる。
「私、何かいけないこと言っちゃったかな?」
他人との対応を結構気にかける性格である紺が、不安げに仲間達に問いかける。
「いえ、何もしてませんよ。ていうかまともに話すらしてないじゃないですか」
初対面でのあの冷たい対応に、躑躅も大分困惑している。彼女も仕事先で依頼人からあのように言われるのは、鉄士を始めて三年間で初めてのことだ。
「この村の人達、鉄士が嫌いなのかな?」
「だったら協会に依頼など出さずに、憲兵に事件解決を頼むだろう? あれは鉄士に対する貴族達の態度に似てるな。俺の家族も、皆ああだった」
やがて玄関の扉が再び開き、村長が顔を見せる。手には一枚の封筒が握られている。
「必要な話は全部この中に書いてある。とっとと仕事を終わらせて帰ってくれ!」
まるで害虫を見るような目で、紺達を突き放し、村長は家の中に戻っていった。一同はますます困惑するが、一応仕事は貰ったので、それに書かれている通りにすることにする。
問題となった当人のいる、神社の近くにある池に向かった。この神社が祭ってる神・甚五郎が住んでいる池だ。
不思議なことに神社内には誰もいなかった。自分たちの神が殺されるかも知れないのに、いったいどうしているのだろうか? そして何より不審に思わせたのは、この池の惨状だった。
「何か変な色してるな。この世界で神様が住んでるとこって、こんななのか?」
「いや、そんなはずはないが。ここの神池が特殊なんだろうか?」
彼らが見たのは、紫色に濁り、死んだ魚が大量に浮いている異様な水辺の光景だった。紺にはこんな公害に侵された水辺に、神が住んでいるとは到底思えない。
「この村の連中って、相当罰当たりだったんだな。ここにどれだけゴミを流せば、こんな酷いことになるんだが・・・・・・」
「いえ、多分違います!」
池に人差し指を入れて、水を黙視していた躑躅が、紺の言葉に怒るように反論した。
「この池には・・・・・・毒が撒かれてます。ものすごく強力な葉人の呪毒です」
言った当人躑躅と、話を聞いていた黄と浅葱が、信じられないと言った風に驚愕の表情を浮かべた。紺だけは訳が判らないと言った風だ。
「葉人の毒? 神様の住処に毒をまくって、犯罪にはならないのか?」
「犯罪に決まってる! 殺人罪をも遙かに凌ぐ、極刑の大罪だ! どういうことだ? 依頼書には、こんなこと書かれていなかったぞ? 躑躅、土地神の暴走もこの毒の所為だと思うか?」
「多分そうだと思います。この毒、大概の生き物は触れるだけで死んでしまいます。致死にまでいかなかった場合、意識が混乱し凶暴化してしまいます。甚五郎様が神職の方々を襲ったのも、そのせいかと・・・・・・」
地脈の力を支え、自然と人々の共和と安定を守る存在・土地神。それを傷つけるようなことをすれば、たとえ国王でも重罪に問われる。
甚五郎はそれほど強大な存在でない、下級の土地神だが、それでも神は神だ。これは国中を騒がせるには十分な大事件だ。
躑躅が鉄士資格証を開き、どこかに電子メールを送ろうとしている。
「何をしている?」
「協会に報告するんですよ! こんな事態見過ごせません!」
「よせ!」
浅葱が慌てて、躑躅の手を止めさせた。
「いいか、今はこのことは協会にも政府にも報告するな。どこかに話をするなら、甚五郎様を上手く救出できてからだ」
「いや、でも・・・・・・」
「どうしてもだ! お前も大体気付いてるんだろう?」
浅葱の言葉に、躑躅は大人しく資格証をしまった。この様子に紺だけでなく、黄も意味が判らず首を傾げる。
「おいおい、何だよ。二人して隠し事か?」
「お二人は犯人を知ってるんですか?」
二人の問いに、二人は押し黙る。何やら言いにくい話題のようだ。
「理由はおいおい話す。今は甚五郎様を探そう」
他に依頼を受けた鉄士も、まもなく到着するかも知れない。下手な奴に討ち取られる前に、早く見つけ出さなくてはいけない。
一行は捜索のため、林の中に向かっていった。




