香織の想い 2
お線香に火をつけると、室内を舞う煙と共にラベンダーの香りに包まれた。
そして静かに手を重ねる。
香織とこうして向き合うのは、本当に久しぶりだった。
『……会いに行くのが遅くなってごめんね』
目を瞑っていた間、香織に謝罪と反省を心の中で伝える。
数秒後、正座をしたまま、香織の遺影をじっと見つめていた。
僕がいつも見ていた愛らしい笑顔だった……。
「良い顔しているな……」
無意識のうちに心の声が漏れていた。
改めて仏壇に置かれたものをゆっくり見てみると……。
香織に関わるもの、香織が好きだったものなど、たくさんの物に溢れていた。
ふと、さっき話に出ていたクラリセージの精油瓶が視界に入る。
どんな香りか気になって、ゆっくりと瓶に触れた。
きつく閉まった蓋を開け、そっと鼻へ近づけると、
「紅茶?」
まさかと思ってもう一度確認してみたが、やはり紅茶のような香り。
そのとき、後ろから「カチャン」という物音が聞こえてきた。
台所から戻ってきた香織のお母さんは、僕にお菓子と紅茶を持ってきたのだった。
「あ、紅茶でいいかしら?」
「はい。 紅茶、大好きです」
「そうよね。 香織の影響ね」
確認で聞いてきたと思うが、香織のお母さんは穏やかに笑っていた。
ティーポットにお湯を注ぎ、近くにあった砂時計をひっくり返す。
「そうだ。 クラリセージの香り、試してみた?」
「あ……実はさっき、気になって匂いを嗅いでみたんです。 断りもせずすみません……」
勝手に触ってしまったことに後から気づき、深く反省する。
しかし、香織のお母さんは「いいのよ!」と笑っていた。
「で、匂いは大丈夫だった?」
少し心配そうに尋ねられた。
「えっと……気のせいだと思うんですけど……紅茶の匂いに近くて……」
「本当に!?」
香織のお母さんは、目を大きく開いて驚いた顔をしていた。
やっぱり気のせいだったんだと思っていると……。
「香織も同じことを言っていたの! 『紅茶みたい!』って」
「香織もですか?」
香織のお母さんはコクコク頷きながら話を続ける。
「私も嗅いでみたけど、私はあまりそう思えなくて。 でも、ネットで調べてみたら、クラリセージの香りは人によって好き嫌いが分かれるらしいの。 だけど、誠司くんは大丈夫だったってことね!」
香織のお母さんが驚いた顔をした理由が分かったが……。
僕は苦笑いをしながら返事をする。
「お恥ずかしいですけど、なんだか本当に僕みたいなアロマですね……」
「えっ? どういうこと?」
「その……僕自身が万民受けするタイプじゃないというか……香織みたいに、こう、愛されキャラという感じじゃないので……」
「僕」と「クラリセージ」の接点……名前だけでなく、アロマの特性も僕に寄せてきているのではないか。
そう錯覚してしまう。
すると、香織のお母さんはゆっくり話し始めた。
「親の私が言うのも何だけど……香織は自然と人が寄ってくる素質を持っているなと思う反面、あの子は見かけによらず打たれ弱いところもあってね。 誠司くんは何となく知っているでしょう? 香織にそういう一面があるってところ」
過去を振り返ると、思い当たることは何個かある。
普段は明るい香織でも、僕の前では弱い一面を見せてくれた……。
「はい……ありましたね」
「私はね、香織が安心して身を委ねられる誠司くんに出会えて、本当に良かったなって思うの。 万民受けなんていいのよ。 心優しくて、誰よりも香織を想ってくれる誠司くんで十分よ」
ようやく涙が落ち着いたのに、また涙腺が壊れそうだった。
「僕には本当……勿体ないくらいの言葉です」
「何を謙遜しているの。 本心で言ってるわよ」
砂時計で時間が経ったことを確認し、香織のお母さんは3つのカップにそれぞれ紅茶を注いでいた。
「もう1つは香織の分ね。 私と誠司くんしか用意しなかったら、香織怒りそうだから」
「確かにそうですね……」
「誠司と2人で飲むなんてずるい!」と、拗ねた顔をする香織が簡単に想像できてしまい、思わず笑ってしまった。
「これ、あの子のところに持っていってくれる?」
「はい!」
席を立った後、仏壇にそっと紅茶を置いて手を合わせる。
僕があげたさっきのお線香は、すべて灰になりかけたところだった。
「ありがとう誠司くん。 私たちも頂きましょう」
お呼びがかかったところで、さっきいた席へと戻る。
すると、香織のお母さんはどこか憂いを帯びた表情をしていた。
「仏壇にね……お供えするときが辛くてね……あの子が好きなものを作っても食べてくれる訳じゃないから……なんでこんなことしているんだろうって何度も思ったの」
涙をこらえながら、香織のお母さんは話してくれた。
「そんなとき、花音に言われたの」
花音ちゃんの名前を聞き、何のことだろうと思った。
「私が仏壇の前で泣いていたら、花音が心配してきてくれて……」
***
数ヶ月前、仏壇の前でしきりに泣いていた香織のお母さん。
そこへ、花音ちゃんが心配そうに声をかけた。
「おばあちゃん、どうしてそんなに泣いているの?」
「香織が全然ご飯食べてくれないから……」
孫の質問に答えたが、言葉にするとより悲しさが増す。
さらに涙を流すと、花音ちゃんは再び口を開いた。
「香織ちゃんがね、言っていたよ。 会えなくても心の中にいるって」
「香織が?」
「そうだよ! だから、おばあちゃんの心の中にも香織ちゃんいるよ!」
満面の笑みでそう言った花音ちゃんを、香織のお母さんは強く抱きしめた。
***
「後から伊織に話を聞いたら、香織が花音に童話を読んだときに、主人公が亡くなるシーンがあって。 花音が『死んじゃったら王子様と会えないの?』って聞いたら、香織が『心の中にいるから、ずっと一緒にいられるよ』って言ったんですって。 4歳の孫から励ましてもらっちゃって……」
僕も結局、再び涙を拭うことになってしまった。
「それからはね、悲しんでばかりいないで……作ったご飯、ちゃんと香織の分も出そうって決めたの。 香織は自分の手に取って、味わうことは難しいけれど、見ることはきっとできるかなって」
「そうですね……」
涙が止まらないので、返事をするのも精一杯だった。
「あの子が好きなお花も綺麗に出そうってね……でもまさか、花屋の自分たちが、娘に花を供えるようになるなんて……思いもしなかったけど……」
実家が花屋とあって、左右に並んだ花は美しいパステルカラーで揃えられていた。
「香織が好きそうな色合いですね……とても綺麗です」
「あの子、そういうのにはうるさいでしょ!」
目を潤ませながらも、香織のお母さんは僕にティッシュを渡してくれた。
「はぁ……あの子のことを思い出すと、勝手に涙が出ちゃうわね……」
僕だけではない。
香織のお母さんも、まだ心に深い穴が空いている……。
「でも、花音の言葉にはすごく救われた。 花音というより、香織のお陰なのかしら」
涙を流しながらも、笑った表情を見せる香織のお母さん。
そこで僕は、香織との思い出を口にする。
「実は僕も、同じようなことを香織に言われたことがありまして……」
「そうなの?」
「僕が子供の頃に亡くなった叔父の話をしたときに、香織が『二度と会えなくても、心の中でずっと生き続けている』って……」
香織のお母さんと目が合い、同時に声を出して笑い合った。
「紅茶、冷めちゃうわね。 良かったらお菓子も食べてね」
「はい、ありがとうございます」
ちょうど良い温度になったダージリンティー。
一口飲んだだけで、心まで温かくなった気がした。




