香織の想い 1
人生、何が起こるか分からない。
他人のことは勿論、自分の将来すらどうなっていくか。
1年先のことが分からなければ、今日1日をどう過ごすかも分からない。
電車に揺られている今や、1分後の自分のことも……。
なんてことを考えながら、電車の窓から外を眺めていた。
「次は戸塚、戸塚」
車内アナウンスで、次の停車駅が戸塚だと耳に入ってきた。
時刻は正午を過ぎた頃。
空は雲がほとんど無く、すっきりとした秋晴れだった。
季節は順調に変わっていて……隣に香織がいないということも、変化の1つに入るだろう。
嬉しい変化もあれば、悲しい変化もある。
たとえ道理を理解していても、僕の心はどう頑張っても晴やかではなかった。
戸塚の先は、香織とよくデートしに行った鎌倉がある。
一瞬、香織と過ごした鎌倉の思い出が脳裏に浮かんだが……。
「戸塚、戸塚、ご乗車ありがとうございました」
車内アナウンスに声をかけられるように、僕は電車から降りた。
駅からタクシーに乗り、数分後には香織の実家に到着した。
初めて香織の実家へお邪魔したときのように、緊張で体がこわばる。
「……っ」
インターホン前で人差し指を出せず、拳の状態でためらっている僕。
ここまで来たというのに、怖いという気持ちもあった。
インターホンを鳴らした後、どんな顔で、どんな言葉で、香織のお母さんに向かい合ったらいいのか……想像がつかなかったから。
香織のお母さんと会うのは、四十九日のときが最後。
しかもあの日は、香織のお母さんとは会話すらできなかった。
「……はぁ……」
深い溜め息をついていると、玄関が突然開いた。
「……誠司くん」
中からお母さんがやって来た。
いきなりの登場に、とても驚いた顔をしてしまった。
「お母さん、どうして……」
インターホンを押していないのに、僕が家の前にいると分かって出てきたのか不思議だった。
「もう着く頃かなと思って、2階から外を見ていたの。 そしたら、インターホン押すのに時間かかっているから、気になってつい……」
元から肌が白い香織のお母さん。
前よりも血色が無いように感じるが、四十九日のときより表情は穏やかだった。
改めて顔を見ると、顔のパーツのほとんどが香織とよく似ている。
僕の目をじっと見つめたまま扉から離れ、僕の近くに寄ってきて、
「よく来たね……」
目を細め、言葉を溜めながら僕の両腕を包んでくれた。
高坂家の人はみんなそうなのか……感情を込めて言葉にするとき、眉を寄せた顔をする。
香織のお母さんも眉を寄せていた。
「来るのに時間がかかってしまって、すみません……」
無意識のうちに、言葉と共に涙が出てくる。
お母さんが香織じゃないのに、まるで香織に言ったみたいだった。
何度も頷いた後、目にいっぱい涙を溜めて呟いた。
「おかえり」
お母さんもまた、まるで香織が実家に戻ってきたかのように、僕にそう言ったのだった。
「はい……ただいまです!」
鼻をすすりながらお互いに笑い合う。
僕の背中に手を当て、中に入るように促してくれた。
香織と一緒に来たときと変わらない……室内の温かい雰囲気にホッとする。
「あまり掃除ができてなくて……ごめんなさいね……」
香織のお母さんはそう言ったが、僕はまったく気にならなかった。
リビングの場所は分かるので、戸惑うことなく廊下を歩いていく。
ところが、リビングに入った直後、体が凍りついた。
「ぁ……」
溢れんばかりの笑顔で写る香織の遺影と、真新しい仏壇が待っていたのだ。
あぁ……本当に本当なんだな……。
初めてみた光景に、後退りしそうになった。
すると、後ろにいた香織のお母さんがさっきと同じように、僕の両腕を優しく包んで、
「お線香、あげてきて……香織、すごく喜ぶから……」
穏やかな口調で僕に言ってくれた。
声が出なかったので、代わりに大きく頷き、一歩ずつ正面に進む。
仏壇の目の前に行くと、重力に従うようにストンと膝を曲げる。
そして仏壇には、たくさんの物が置かれていた。
いちご味の飴。
アロマオイルが入った数種類の瓶。
紅茶を淹れるのに実家で使っていたティーセット。
仕事で必ず手にしていた淡いピンク色の手帳とペン。
ピンクゴールド色の腕時計。
ケーキの中で1番好きだと言っていたミルフィーユ。
アルバムらしき本が何冊も……。
「あの子が好きな香りにしようと……ラベンダーのお線香を使っているの」
香織のお母さんは、後ろから僕にそう教えてくれた。
確かに、香織は特にラベンダーを好んでいて、ハンドクリームやボディクリームなどラベンダーにこだわっていた。
「香織……なんて名前付けたから匂いにうるさい子になったのかしらね」
香織と香り。
そのやり取りを香織としたことを思い出す。
僕は少し肩を揺らして笑っていた。
「どうかした?」
「……よく香織にお茶を淹れてもらっていたんです。 僕が『いい香りだ』って感想言うと、香りと香織を掛けてダジャレを言ってくるのがお決まりで。 今でも思い出すとくだらないな……って」
「あの子らしい」とウケていた香織のお母さん。
すると、笑いながら何かを思い出したようだった。
「それじゃ、クラリセージの話は聞いている?」
聞き慣れないカタカナに耳を疑う。
思わず香織のお母さんがいる後ろを振り返った。
「初めて聞きました……クラリセージってなんですか?」
香織のお母さんも仏壇に近づき、置かれた精油の瓶を1つ取って僕に見せてきた。
瓶の側面には「クラリセージ」と書かれている。
「香織はこの『クラリセージ』を誠司くんだって言っていたわ」
香織のお母さんは笑い交じりにそう言った。
話を聞いた僕は、
「ダジャレですよね……『誠司』とクラリ『セージ』で……くくっ……」
「ふっ……」
2人で一緒に吹いてしまった。
「香織が大学2年生の頃かしら。 香織が私に『ラベンダーよりもクラリセージが好きかも』って突然言い出して……」
「いきなりですか……」
僕と一緒にいるときも、香織はよく突拍子もないことを言ってくる。
香織が妙なことを言ったとき、香織のお母さんはすごく困惑しただろうと思った。
「確かその時、アロマ検定の勉強をしていたから、単なるその話かと思ったの……でもあれは、誠司くんに一目惚れしたってことを言いたかったのでしょうね。 『誠司』と『セージ』って、しょうもないでしょ?」
何故だろうか……笑っているのに涙も一緒に出てくるのだった。
くだらないギャグに笑っているのか、それとも無性に香織が恋しいのか。
「すみませんお母さん……」
涙が止まらない自分が情けなくて、口ではそう謝った。
香織のお母さんは僕の背中をさすり、再び言葉をかけてくる。
「クラリセージの花言葉、知っている?」
初めて聞いた植物の名前で、当然知っている訳がない。
涙が流れてくるので、首を横に振るのが精一杯だった。
香織のお母さんはにっこりと微笑んで、
「『永遠にあなたのもの』っていう意味なんですって」
「え……」
涙を目に溜めて、花言葉の意味を噛みしめながら僕に教えてくれた。
「あの子はね……貴方のことが本当に大好きだったの……心の底から愛していたの」
涙がどうにも止まらない僕を抱きしめて、力強く言葉を掛けてくれた。
僕も同じことを思っているのに……。
「愛している」って直接言いたいのに……もう伝えられない。
「まずはお線香あげて……誠司くんに話したいこと、聞きたいことが山ほどあるの。 今日は誠司くんと一緒に、香織の話でいっぱいにしたいの」
香織のお母さんの言葉が、深く刺さるように響いたのだった。




