香織エピソード 2人の気持ち
去年の春頃。
僕と香織は神奈川方面へ向かう電車に乗っていた。
「おぉ! いつ見ても感動!」
僕は目を輝かせ、外の景色を見ていた。
左右を走るのは、普段見かけない路線の電車だ。
地味に鉄道好きな僕にとって、思わずワクワクしてしまう光景だった。
「へぇ、よかったね!」
隣にいた香織はニヤニヤと笑っていた。
「なんか面白かった?」
「いやぁ、なんだか子供を連れてきた親の気分ってこんな感じかなと思って」
口元を手で抑えて笑う香織。
その手の薬指にふと目がいった。
控えめに光る指輪が、僕の心臓をドキンとさせる。
そうだ……今は電車を見てテンション上がっている場合じゃなかった……。
体の向きを正面に戻し、深く深呼吸する。
「ふぅ……」
香織と同棲を始めてから数年が経ち、香織の実家へ遊びに行く機会が増えた。
今日も目的地は香織の実家なので、いつもと同じ電車に乗っていると、恒例のバーベキューだと錯覚してしまう。
「やっぱり緊張しているでしょ? 大丈夫?」
「……そりゃまぁね……いざ改まってとなると緊張するよ」
この日は結婚の許しを香織の両親に得る日。
つまり「娘さんを僕にください」と真面目に伝える重大な日だった。
何度も家にお邪魔させてもらって、2人からは常に温かく歓迎されているが……。
とにかく今日はビシッと決めなければ!
「なんか私まで緊張してきた……」
僕の緊張が香織にも伝わってしまった様子。
「香織はいつも通りでいいんだよ。 緊張するのは僕だけでいいから!」
香織と話していると、電車はいつの間にか橋を渡っていた。
「神奈川に近づいてきた」と思った直後、喉の渇きを急に感じる。
「飴、よかったらいる?」
香織が僕に見せてきたのは、いちごの味がする飴玉。
香織の鞄の中に常備されているものだ。
口の中がカラカラで、気持ちを切り替えたかった僕は、お礼を言って貰うことにした。
「……」
飴を口の中で転がしながら「ちょうど良い甘さだな」と思っていた。
優しく溶けていく飴が、凝り固まった緊張をほぐしていく……。
そして、香織も飴を口に放り込んでいた。
「んふ……おいひ……」
口角を上げて、美味しさに浸っている香織が可愛いなと思っていた。
僕の視線に気付いた香織は「ん?」とだけ言って、首を傾げている。
「ううん、何でもない」
香織って……俗に言う「あざとい」ってタイプの人?
それとも天然?
どっちでもいいけど、結局ズルいよなぁ……。
「なんか考えている?」
勘が鋭い香織は、僕の目をじっと見つめてくる。
目力のある人に視線を注がれると、こっちは焦ってしまう。
「な、何でもないよ!」
香織は「ふぅん、そっか」とだけ言い、電車が走る音しか聞こえなくなった。
香織と無言で過ごす時間は苦に感じない。
飴が小さくなるのを待ちながら、窓からの景色をぼんやり見つめていた。
すると、香織は鞄をゴソゴソと探り出し、ポケットティッシュを取り出す。
鼻詰まりかと思ったら、舐めていた飴をティッシュに丸めていた。
「香織? どうしたの?」
香織が大好きな飴を最後まで食べないなんて……何かあったのだろうか。
「誠司。 確認なんだけどさ……本当にいいの?」
言葉が足りなさ過ぎて、一体何を聞きたいのか理解が追いつかなかった。
「本当にいいって、何のこと?」
「何って、私と結婚なんてして……」
「え!? いきなりどうして?」
思いがけないことを言われたので、体ごと全部香織の方へ向いた。
「結婚しちゃったら、他の女の人と恋愛できなくなるし……仕事以外、ずっと私がいるんだよ? 飽きない? 大丈夫?」
一瞬、香織が冗談でそう言ってきたと思った。
しかし、香織本人は大真面目に話している。
その証拠として、眉間には2本の縦線……皺を深く寄せていたのだ。
ここで僕がブレてはいけないと思い、僕も香織に問いかけた。
「じゃあ、香織にも同じこと聞くけど……結婚したら、僕以外の男と恋愛できないし、何をするにも僕がいるよ? それでも……」
「私は誠司以外ってこと、絶対にないから」
「!」
香織からの即答に心臓が高鳴った。
7年付き合っている今でも、こうしてときめいている。
「僕も同じだよ。 今までだってそうでしょ? 僕、浮気なんてしたことないよね」
「そうだけど……誠司、すごく優しいし、たまにちょっとカッコいいところあるし……」
カッコイイのは「たまにちょっと」なんだ……って、本当は少しがっかりしたけれど。
香織の照れ隠しだと言い聞かせて、僕は次の質問をした。
「香織は僕のことが心配なの?」
今度は僕がじっと見つめたせいか、耳まで赤くなった香織。
「誠司は……自分の魅力……ちゃんと分かってないから……心配……」
「香織……」
愛嬌のある香織こそ、他の男から言い寄られていそうで、僕ばかりがヤキモチを焼いていると思っていたが……。
香織は香織でそんなことを思っていたとは予想外だった。
「顔、上げてごらん」
俯いていた香織は、そっと顔を上げて僕の目を見てくれた。
不安げな表情の香織を見て、思わず微笑む。
それと同時に、香織の眉間の皺を人差し指で伸ばした。
「そんな顔しないの。 可愛い顔が台無し」
不意打ちに「可愛い」と言われた香織は、ちょっとびっくりして体が固まっている様子。
「僕だって心配。 香織、お世辞抜きで本当に可愛いから」
結論、僕も香織と同じ気持ちだったってこと。
そのことが分かった香織は、ホッとしたような表情を浮かべた。
束縛みたいに聞こえちゃうから、香織に言わなかったけれど……。
「婚約指輪を付けていなかったら、香織が他の男に取られちゃいそう」っていう思いが正直あるんだけどね……。
香織の小さな手に、自分の手を重ねる。
「誠司……」
少しは香織の不安を拭えただろうか。
乗客が少ないのをいいことに……。
そっと香織にキスをした。
「……もうこの話はおしまいね」
香織には微笑んでそう言ったが、恥ずかしさのあまり汗がしばらく止まらなかった。
一方の香織は口を手で覆い隠し、顔全部を真っ赤にしたまま黙り込んでいた。
何はともあれ、気持ちをちゃんと再確認できた僕ら。
香織のご両親に会う緊張感も、一時だけ忘れることができたのだった。




