香菜子エピソード 託された命 4
通院から1週間後、私は突然父に呼び出された。
「お見合い……ですか?」
机には見知らぬ男性のお見合い用の写真があった。
「大学を卒業したら、その男と結婚しろ」
写真で見てもわかるくらい、私よりもはるかに年上。
見た目も弘樹とはかけ離れた人だった。
「相手の資産は数百億円らしい。 会社をいくつも経営していて、年収も億単位だ」
見合い相手について淡々と話す父。
相当な金持ちらしいが、まったくもって魅力を感じなかった。
「相手は『就職先に勤めていてもいいし、入社を辞退して専業主婦になってもいい』と言っていた」
「……」
「専業主婦って……三食昼寝つきでもいいなんて最高だな」
「……」
父の話を聞いてイライラしていても、私は今まで反発することなく黙っていた。
ただ、今日は違う。
自分の下腹部を左手に添えて、私は父に言葉を返す。
「仕事はとっくに辞退しました」
「は?」
「仕事をする意味がなくなったので」
「仕事する意味?」
深いため息を吐き、
「弘樹との将来を考えて、大手企業に就職したんですけど……今となっては無意味ですから」
「何だと?」
私の一言に、父は目の色を変えて声をあげる。
「お父さんに話しても無駄でしたね。 弘樹を追い詰めたのはお父さんですから」
「なっ!」
父は顔を赤くして詰め寄ろうとするが、私は声を荒げて反論した。
「私が知らないとでも思いましたか? 弘樹の勤め先に圧力かけて、経営不振にさせたって。 私との交際を阻止するために、弘樹をリストラさせて精神的に追い詰めたのでしょう? 深夜までバイトの掛け持ちを始めた弘樹は、お母さんを看取ることができなかったんですよ!」
過去に弘樹が「交際を認めてほしい」と頭を下げたとき、父は「仕事で出世したら認めてやる」と言い放った。
そこで弘樹は仕事で成功しようと、必死に頑張っていたが……。
徐々に評価されていく弘樹を見た父は、最終的に手を打ったのだった。
「お前があの男と一緒になるくらいなら、あの男を消したほうがマシだ。 それに、あの男が自ら死を選んだなら好都合だ」
同じ人間とは思えない……どこまでも最低だった。
「学歴や地位名分がそんなに重要ですか? そこまでしてまで、見合い相手のお金が欲しいですか!?」
私の叫びを聞き、その場に母も駆けて来た。
「あぁ欲しいさ! 見合い相手がウチより金を持っていたら、ウチは一生困らないだろ! 学歴だってあの男と比べ物にならないくらい申し分ない! 娘なんていらないと思っていたが、こんな金持ちに嫁がせられるならいいじゃないか!」
狂った父を見て、私は隠し持っていた一言を言い放った。
「結婚は無理です。 お腹に弘樹との子供がいるので」
「は?」
「どういうこと? 香菜子、お腹に子供がいるって……」
目を見開く父と、困惑する母。
私はそのまま続けた。
「いつもの生理不順かと思ったら、妊娠していたんです。 お医者さんにはもうすぐ安定期に入ると言われました。 相手は弘樹しかいないので」
今までの吐き気はつわりだった。
さらに、お腹があまり出ていなかったことで、妊娠に気づかなかったのだ。
「あの男との子供だと? よくもそんな真似を!」
父に頬を思いっきり叩かれ、私はその衝撃で倒れそうになる。
幸い、椅子に手をつけて転ぶことは阻止できた。
「この親不孝者が! よくもあの男の子供を妊娠しやがって!」
父の暴れ様に、母は珍しく「あなた、それはちょっと」と止めに入ろうとするが、
「お前は黙っていろ! いいか、何が何でも子供はおろせ! 絶対だ!」
「!」
父の非情な発言に、体が硬直した。
前から思っていたが、今回のことで完全に痛感する。
この親には、何を言っても理解してもらえない……。
「嫌です!」
気に食わなかった父は、私の襟を強く掴んできた。
もはや親子の喧嘩ではない。
「あなた、やめてください!」
父の肩を持って引き離そうとする母だが、父は母を振り払った。
一瞬手が離れた父だが、さっきよりも私の襟を強く握ってくる。
まるで、首を絞められているようだ。
「お前みたいなやつが、子供を育てられる訳ないだろ!」
目の前にいる父は、血が繋がった娘であろうと容赦しない。
その気になれば、本当に人を手にかける……。
とっさに自分の手にお腹を添えた。
この子は絶対に私が守らないと……そう思っていると、
「いい加減にせんか!」
低い声でそう言ったのは、杖をついた祖父だった。
祖父のただならぬ雰囲気に、父は焦った顔を見せる。
「口の悪さは私に似たが、お前の言葉と行動は人とは思えないな!」
怒鳴り声をあげた後、祖父は私に近づき「大丈夫か」と声をかけてくれた。
祖父が来たことで、私は安堵の涙を流す。
「今日はお前たち夫婦に言っておきたいことがある。 私が死んだら、遺産はお前や娘に遺産を一銭もやらないと決めている」
「えっ?」
「絶望」を象徴するような顔をした両親。
「遺産はすべて香菜子にやる。 まして、香菜子に子供がいるなら尚更だ」
「お義父様はご存じだったのですか、香菜子の妊娠を……」
「お父さん、こいつはあの男の子供を身ごもっているんですよ?」
「だから何だっていうんだ」
必死に反論する両親だったが、祖父に返されては一生勝てない。
「私はお前たちと違って、金や学歴で人を選ばない。 むしろ、お前たちなんかよりも弘樹くんのほうが利口な人だ!」
「おじいさん……」
弘樹のことを良く言ってくれるだけで、ぼろぼろと涙が出てくる。
お腹の子供にも「あなたのお父さんはとても素晴らしい人だ」と胸を張って言える気がした。
「お前……図書館で弘樹くんが自殺したこと、公にしないように隠したんだろう」
「!」
父は体全身に汗をかき、祖父の言葉に震えていた。
「全部お見通しだ。 図書館で自殺のことが知れ渡ったら、お前の悪事もバレるからな」
弘樹の死については、裏で調べた祖父から聞いていた。
父がやったことを思い返すたびに、はらわたが煮えくりかえりそうだ……。
「お前のやったことは決して許されない。 仮に私が死んでも……」
祖父は父の耳元に近づき、
「お前の孫が、一生をかけてお前を恨むだろうからな」
「ひぃっ……」
祖父の耳打ちが聞こえなかったが、父は膝から崩れ落ちた。
「遠回しに人を死に追いやったヤツに、遺産をやるなんて馬鹿げているだろう。 覚えておけ! お前は香菜子の大事な人を、お腹の子の父親を殺したんだぞ!」
両手で頭を抱え、父は「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」と泣き叫んだ。
狂い叫ぶ父を介抱しようと母が近づく。
だが、父は母を拒絶するように手を振り払った。
「……」
親子関係どころか、夫婦関係もとっくに冷めきっている父と母。
愛情の欠片すら感じない2人を見て、私は覚悟を決めた。
「お腹の子を守るために、私はもっと強くなって……弘樹の分まで愛情を注いで……」
弘樹の名前を出すと、どうしても涙が溢れてきてしまう。
でも、自分の信念を貫くためには、ここにいてはいけない。
「この子を育てていきます。 だから、2人とは縁を切ります」
「香菜子……」
私の発言に、なぜか母は目を潤ませていた。
「あなたたちは私の大事な人と、子供の父親を奪いました。 何があろうと一生許せません」
「……」
黙っている両親だが、私は自分の言葉を止めなかった。
「それと、今はおじいさんの体が心配なので、これからはおじいさんの家に住みます。 今後は私とおじいさん、そして子供には一切頼らないでください」
一番考えられるのは、両親に金を無心されることだった。
父は隠しているが、数千万円の借金をしている。
お金に不自由がなかった母も、金銭に余裕がなくなればあり得る話だ。
自分ならまだしも、生まれてきた子供に危害を加えられたら耐えられない。
「話は以上だ。 これ以上、香菜子の将来に口出しするな」
祖父がそう言い放つと、私と祖父は両親を残して部屋を後にした。
両親に対する怒りと、自分の覚悟をはっきり伝えたのに……。
『両親をどんなに責めても、弘樹は帰ってこない』
『この子を生んでも、弘樹はこの子に会えない』
私がどんなに頑張っても、現実は変えられない。
祖父の家に着くまで、私の涙は止まらなかった。




