香菜子エピソード 託された命 3
私がトイレにいる間、祖父と遼くんはこんな話をしていた。
「おじいさん。 1つ聞いてもいいですか?」
祖父は小さく頷いて「なんだ?」と返事をする。
「死ぬことって、怖くないですか?」
真面目な顔で質問する遼くんを見て、祖父も少し黙ってから口を開いた。
「昔は怖いと思っていた……それに、自分が弱っていくことが嫌だから『死んでたまるか』とかも思っていたな」
祖父の話に納得するように、遼くんは頷きながら聞いていた。
遼くんが生まれつき心臓疾患を持っていて、何度も入退院を繰り返していたことは祖父も知っている。
だからこそ、遼くんへの回答には慎重だった。
「だけど今は違う。 あの世に行けば、ばぁさんにまた会えるって思うようになった」
お見合い結婚が主流だった時代、祖父母は恋愛結婚だった。
お互いに愛し合っていた2人を見ていた私は、その関係がとても羨ましいと思っていた。
「香菜子さんのおばあさん、とても優しい方でしたよね」
遼くんも私の祖母と面識があり、昔のことを思い出した様子。
「……ただ、今の状況ではばぁさんに会わせる顔が正直無いな」
「え?」
「他でもない。 香菜子にとって大事な弘樹くんが自ら命を絶ったんだ」
弘樹が幼少期の頃から知っている祖父。
そして、私の最初で最後の恋の相手が弘樹であることも知っている。
弘樹を失った私の悲しみが、どれだけ深いことかも……。
傷ついた孫を近くで見ていた祖父は、苦しい表情を浮かべていた。
「あの子は誰よりも香菜子のそばにいて、誰よりも香菜子を守ってくれた。 あんないい青年がどうして……」
祖父の悲痛な叫びに、遼くんは目線を落として聞いていた。
すると、祖父の運転手が飲み物を持ってきた。
「失礼いたします」
目の前のコーヒーに、祖父は顔を綻ばせた。
カップをゆっくり鼻に近づけて、
「コーヒーの匂いは……いつだって変わらないな」
滅多に見ない祖父の笑顔に、遼くんも微笑んでいた。
「『変わらない』って、いいですよね」
ふと遼くんがそう言った言葉に、祖父は反応した。
「あぁ。 変化するのもいいが、変わらないのもまたいい」
コーヒーを少し口に含み、スッとした苦味を堪能する祖父。
コーヒーカップを一旦置き、遼くんの顔を見ながら、
「香菜子と変わらず仲良くしてやってくれ」
そう言った祖父に、遼くんは「はい。 もちろんです」と力強く答える。
返事を聞いた祖父は、再びコーヒーカップを手に取った。
***
数十分後、トイレから戻ってこない私を心配し、遼くんが様子を見に来てくれた。
私の顔を見た直後、遼くんは驚いた顔をする。
「香菜子さん! 本当に大丈夫!?」
さっきよりも顔色が悪く見えたらしく、ひどく動揺させてしまった。
「大丈夫……ごめん心配かけて」
「気持ち悪いの? もしかして吐いていた?」
「あ、うん……でも大丈夫だから。 きっとストレスとか疲れで不調が出ているだけだから」
うがいをしようと、蛇口を捻って水を出す。
「不調ってずっとじゃない? 吐き気以外にもあるんじゃないの?」
「食欲がないのと……生理はもともと不順だったけど、最近は……」
弘樹のことでショックを受けてから、私は食欲を失い、体も痩せていった。
拒食症のような状態なのかと思っていたが……今のやり取りで別のことが頭をよぎる。
「香菜子さん?」
「止まっている」
「え、何が?」
元から生理不順で、2ヶ月周期で生理がくることはザラだった。
しかし、今は2ヶ月どころじゃない。
怖くなった私はスマートフォンを取り出して、自分の生理が最後にいつ来たかを確認した。
「遼くん、明日病院に行ってくる……」
「そうだよ! 絶対そのほうがいいって!」
辛い思いばかりしていると、次第に「これ以上生きていたくない」と思ってしまうかもしれない。
弘樹が最期に選んだ行動も、やむを得ないのかと考えてしまう……。
いっそのことなら私も……なんて思っていた。
***
気がつくと、私は今まで行ったことがない場所に自分が立っていた。
木々に囲まれていて、小鳥のさえずりがわずかに聞こえる。
少し歩いてみると、澄み切った小川が流れていた。
「ここは一体?」
とうとう気がおかしくなり、家を飛び出して見知らぬ場所にたどり着いたのか。
混乱していると、誰かが私を呼んでいた。
「……香菜子!」
「!」
声がした方向を見ると、一番会いたかった人が目の前にいた。
「弘樹!」
見上げるほど背が高くて、凛々しい眉とサファイアのような瞳。
尖った鼻に薄くてほんのり赤い唇と、金髪のウルフカット。
自分の恋人ではあるが、もったいないくらい良い男だ。
そんな弘樹のそばに駆け寄ろうとしたが、
「あぁ、そんな走らなくていいから。 体に悪いよ」
弘樹は私の行動をすぐさま止めた。
「え? どうして?」
立ち止まった私のもとに、弘樹はゆっくり近づいてくる。
私に微笑みかけて、こう話してきた。
「ごめん香菜子。 子供の頃、君のそばにいるって約束したのに守れなくて」
お泊り保育のことを思い出し、一瞬だけ笑ってみた。
でも、約束を破ったのは事実だ。
「本当だよ。 どうして私のそばからいなくなっちゃったの?」
私の問いかけに、弘樹は少し目を伏せて悲しそうな顔をした。
「私、弘樹にいっぱい言いたいことあったんだよ。 親のことで弘樹のことを苦しめて、そのことを謝りたかったし。 こんなことになるなら……。 もっと弘樹に『好き』って言っておけばよかった」
弘樹の前で泣きたくなかったのに、言葉にすると涙が流れてくる。
「香菜子の『好き』は聞きたかったな。 香菜子、そういうことをあんまり言わないもんね?」
いつもの弘樹の笑顔に安心する。
「だって、言うの恥ずかしいんだもん……」
お互い笑った後、再び弘樹から話しかけてきた。
「香菜子は何も悪くないよ。 悔やむなら僕に何も強みがなかったことだ。 家族や学歴やお金のこと……どれか1つでも救いようがあれば、変わっていたかもしれない」
弘樹の言葉に反対するように、私は必死に首を振った。
学歴やお金なんて関係ない。
私はそのままの弘樹が好きだった。
「でもね、そんな俺にもたった1つの救いがあった。 何だと思う?」
「え?」
弘樹の問いかけに、私はすぐに答えられなかった。
すると、弘樹は私に指をさしながら微笑んだ。
「香菜子と出会ったことだ」
「……っ」
すごく嬉しい言葉なのに……。
弘樹がこの世の人ではないことを分かっている悲しみで、返事の代わりに涙がこぼれ落ちていった。
「香菜子……お願いだから泣かないで……」
「……私、これからどうやって生きていけばいいのか分からない」
苦し紛れに言った私の一言に、弘樹は目を見開いた。
「弘樹を失った今……このままおじいさんまでいなくなったら、私どうしたら……」
自分の体を支えられなくなり、そのまましゃがみ込んでしまう。
すると、弘樹も同じように膝を曲げて、私と同じ目線に合わせてくれた。
「香菜子、いいこと教えてあげようか」
「え?」
「まずね、香菜子は1人じゃないの」
弘樹の言葉の意味が理解できず、首を傾げた。
「その人はね、母親思いの優しい人で……お笑い芸人みたいに面白くて、頭もいいんだ。 あ、しかもスカウトされちゃうぐらいハンサム」
「何それ……そんな良くできた人間いないでしょ?」
私を笑わせようと、弘樹が冗談を言ったと思っていたが、彼は真っ直ぐな目をしていた。
「あと……半年くらいかな。 もうじき会えるから楽しみにしていて」
「弘樹?」
弘樹は私を立たせようと、両腕を持って2人で一緒に立ち上がる。
そして、私の目を見つめながら弘樹がこう言った。
「もしその子に会えたら伝えて……『香菜子のことを頼んだよ』って」
「その子?」
弘樹は私の腕から手を離し、満面の笑みを見せてくれた。
「大丈夫。 俺とその子で香菜子のことを守るから。 ちゃんと幸せになるからね!」
力強く言った弘樹の言葉を最後に、私は涙を流したまま夢から覚めた。
「弘樹……」
その日に病院へ行くと、私は弘樹との子供を妊娠していることが分かったのだった。




