あなたの傍にいる 2
お湯が沸いた後、ティーポットの中に優しく茶葉とお湯を入れる。
次の瞬間、茶葉の香りが一気に広がっていく。
この感覚がたまらなく愛おしい。
「良い香りしますね」
「うん、美味しそう」
紅茶の香りが香菜子さんと月岡さんにも伝わったようだ。
「ポットの中でちょっと蒸らすので、少しお待ちください」
持参した砂時計を逆さにして、僕も2人がいる席に腰かけた。
「ところで香菜子さん。 今も図書館の後ろにあるおじいさんの家にいるの?」
話を振ったのは月岡さんだった。
「はい。 ただ、もうじき引っ越そうと思います」
「え、そうなんですか?」
「引っ越し」という言葉に、僕は月岡さんと目が合った。
「祖父の家は図書館にすぐ行けて、家の中も快適で気に入っているんですけど。 あの大きい家を1人で管理するのは難しいので」
「そうでしたか……」
引っ越しとなると、香菜子さんと結翔くんとは定期的に会えなくなってしまうのか。
図書館のことも頭に浮かび、急に寂しさが増してくる。
「あ、引っ越しといっても、図書館から近いですよ。 しかも、愛花さんが住んでいたマンションなので」
「愛花さんのマンションですか?」
意外な人の登場に驚く僕に対し、妙に嬉しそうな顔をする月岡さん。
「今も連絡を取り合っていて……事情を話したら、住むことを許可してくれたんです。 むしろ好きに使ってもらっていいと」
気前の良い愛花さんは、アメリカに行った後も健在だった。
ただ、引っ越しが決まると……。
「……では、おじいさんの家と図書館はどうなるのですか」
「祖父の家は遺言どおり売却して、そのお金は私が相続します。 あと、図書館は残すつもりです。 生前に祖父が遺産をきちんとしてくれたので、思ったよりもスムーズでした」
香菜子さんのご両親のことが気がかりだったが、僕と月岡さんからはそれ以上追求しなかった。
「とにかく、お家やお金のことがある程度決まったなら良かった……ねぇ、野上くん」
「はい。 図書館も残るって聞いて安心しました」
僕らの反応を見た香菜子さんは少し微笑み、
「この図書館……祖父母が初めて出会った場所らしいんです」
その言葉を聞き、僕は目を見開いた。
「大好きな祖父母が心を通わせていた場所だって聞くと、私が生きている間だけでも図書館を守りたいって思ったんです。 子供の頃から図書館で遊んでいた私にとって、ここはある意味実家なんです」
自分の幼少期を思い出したのか、悲しい表情を再び見せる香菜子さん。
「それなのに、弘樹は図書館の屋上でどうしてあんなこと……」
香菜子さんは、自前のタオルで涙を拭う。
「すみません、またこんな話してしまって……」
謝罪する香菜子さんの言葉を聞き、首をふって「謝らないでください、香菜子さん」と投げかけた。
「あ、野上くん。 ちょうど3分じゃない?」
月岡さんの一言で、3分経過していたことに気づく。
図書館のカップに、ゆっくり紅茶を注いだ。
「わぁぁ……注ぐとますます良い香りですね」
「色も綺麗だ」
2人のリアクションに、僕も嬉しくなった。
「今日持ってきた紅茶はアップルティーです。 甘さと爽やかさがあって、飲みやすい紅茶なんです。 香織という、僕の彼女がよく淹れてくれたんです」
「香織さん……」
「僕の婚約者だったんですけど、3月に事故で亡くなりまして……」
「え……」
「……香菜子さん、コーヒーが苦手って仰っていたので、甘みがある紅茶なら飲めるかなと思って! お口に合えばいいんですけど」
危うく、取り返しのつかないところまで感情が出そうだった。
そう思って、とっさに別の言葉を口にした。
「ありがとうございます。 私の嗜好まで気にかけてくださって……」
香菜子さんは小さくお礼を言ってくれたが、再び泣いてしまいそうな雰囲気だった。
「僕も香織と出会った場所が、神奈川にある図書館なんです。 香菜子さんのおじいさんとおばあさんと同じ『図書館』でした。 なので、さっきの話を聞いて……なんか嬉しいなって……」
香菜子さんと月岡さんは僕のほうに体を向けて、静かに話を聞いてくれた。
「僕は図書館に感謝しています。 そうでなきゃ、ここでお2人に会えませんでしたし……香織のことで悲しい気持ちがまだありますけど。 優しい気持ちに触れることができたのも、ここがあったから……」
涙を拭うことを忘れ、香菜子さんは僕の話に何度も頷く。
「涙が出てしまうこと、あるかもしれませんけど……それでもいいと思います。 これからも結翔くんの傍にいて、図書館を守って……おじいさんや弘樹さんも、きっと喜んでくれるんじゃないでしょうか」
香菜子さんは声を詰まらせながらも「そうですね」と答えてくれた。
「僕も香織のことで泣いてばかりいましたけど……やっぱり香織のことは忘れたくなくて……」
こんなことを喋ってしまうと、さすがに僕も涙が止まらなかった。
「偉そうなこと言っていたらすみません。 でも、自分を見失ってしまうこと……あると思って……僕も悩んで、月岡さんに頼ってしまったこと、よくあったので……そのお陰ですごく救われたんです。 香菜子さんもそうですよね?」
静かに涙を流しながらも、月岡さんは穏やかに微笑んでいた。
「香菜子さん。 僕らに弱いところを見せていいんです。 僕ではちょっと頼りないかもしれませんが……こうして悲しいことも、楽しかったことも話していいんです」
「だとしたら……もう泣き顔を晒しているので……かなりお見せしています」
香菜子さんの呟きに「そうだね」と月岡さんは少し大げさに笑ってくれた。
「2人とも忘れているかもだけど……紅茶、飲まない?」
涙で顔がぐちゃぐちゃな僕と香菜子さんを慰めるように、月岡さんはそう言ってきた。
「せっかくの紅茶が冷めちゃいますね」
香菜子さんはやっと笑ってくれた。
「どうぞ、お召し上がりください」
僕の掛け声を合図に、2人はカップを静かに持っていき、
「いい香り……」
2人が同じコメントをしてくれて、僕まで嬉しくなった。
だって本当に「いい香り」だから。
目を見開いて一言。
「美味しい!」
ここまでリアクションがシンクロされて、笑わずにはいられなかった。
「良かったです!」
ホッとした気持ちと、嬉しさで満たされたような気持ちと。
抱えていたすべてのものが、紅茶の温かさに包まれる……そんなように感じたのだった。
「すごく美味しい……私もこの紅茶なら飲めます!」
涙目で感動を伝えてくれる香菜子さん。
「うん、コーヒーと雰囲気変わって新鮮! 何杯でもいけちゃうよ!」
満面の笑みを浮かべる月岡さん。
紅茶を図書館に持ってきて本当に良かった。
こうして2人が喜んでくれたのは……紛れもなく香織のお陰だね。
「月岡さん、バウムクーヘン頂きます!」
フォークで少し触っただけで、バウムクーヘンの柔らかさを感じる。
甘さも丁度よくて、持ってきた紅茶と相性抜群だった。
感想を言ったら「グルメリポーターになれるよ」と、月岡さんに褒められる。
僕に続いて、香菜子さんもバウムクーヘンを食べていたが……。
豪快に頬張る香菜子さんを見て、思わず笑わされる。
「そうだ。 これは提案なんだけれど……」
「何ですか?」
「結翔くんってもうすぐ1歳になるよね。 もしよければ、図書館でお祝いでもどうかなって。 今日みたいに紅茶とお菓子とか持ってきてさ」
月岡さんの提案に大賛成だった。
「いいですね月岡さん。 やりましょう!」
「まぁ、夜遅いから……結翔くんが寝ているところ、大人たちでパーティする感じになっちゃうけど!」
「いいんですか、そんなことしてもらって……」
「いいに決まっているじゃないですか! あ、図書館は開けてもらわないと!」
どんなに悲しい思い出があっても、みんなで新しく作っていけばいい。
泣きたいときは泣いていい……いつだって傍にいるから。
「ふふっ! 金曜日の夜はちゃんと開けますよ!」
香菜子さんの笑顔が見られ、僕と月岡さんは喜ぶように目を合わせた。




