誰かが辛くて苦しいとき……
僕ら薬剤師がよく使う「お大事にしてください」の一言。
あまりにも言うので、薬局の外で人と会った時、別れ際に間違えて言ってしまうときがある。
その話に共感してくれたのは薬局長だった。
「パン屋の店員さん、うちの薬局に来る製薬会社の人、コンビニにいる顔見知りの店員さん……他にも言っちゃってるかも」
「それ、僕よりやってますね」
「あとさ、こういうこと無い? 自分が相手のことを覚えてなくて、向こうから『先生〜』って声かけられること」
薬局長との雑談が意外にも続いていた。
ただ、僕のコミュニティは狭いので、薬局長が言った事例は経験が無かった。
「僕は……無いですね」
「そっか。 人の顔覚えられないとかさ、もはや年だよねぇ」
薬局長の一言に「そんなことないですよ」としか返せない。
「野上先生ったら! 私の本当の年齢、知らないでしょう!」
ちょっと嬉しそうな顔して、ツッコミを入れられた。
女性であり、上司に年齢なんてとても聞けない。
片瀬だったら「じゃあ、何歳ですか?」って普通に聞くんだろうな。
「はい……正確には……」
僕は正直に答えつつ、笑って誤魔化すのがギリギリ。
「さすが野上先生。 レディに年齢を聞かないのは常識よね!」
と、お褒めの言葉まで頂戴した。
「もしかして片瀬と比べて言っていますか?」
「そんなことないわよ!」
香織の話を薬局長から聞いたことで、前よりも話してもらえるようになった気がする。
僕が抱えていた感情を、薬局長にそのまま出せたことが大きいのかもしれない。
見た目は派手な薬局長だが……。
親身になって話を聞いてくれる上司で本当に良かったと思っていた。
その後も雑談をしながら、足りない医薬品を補充する。
「長いこと仕事していると、顔が似ている患者さんもいるから……自分の記憶が曖昧になってしまうのよね」
薬剤師になって3年経った僕よりも、薬局長は相当なベテランであることを思わせる。
「それだけ多くの患者さんを診てきたってことですよ。 それに、薬局長は昇進も早かったって聞きましたよ。 役職に就いていると、話しかけられることも多そうですし」
「あぁ、それにはカラクリがあって。 私、ここに来るまでは大学病院の薬剤師だったのよ」
その大学病院は国内屈指の有名なところだった。
「そこでの勤務歴があったから。 スキルや経験によって優遇されるみたいな?」
新卒で入社するのも困難なほどのレベル。
病院勤務のわりに初任給は良い反面、規則や勤務形態がかなり厳しいと噂があった。
「私みたいな人間はメンタルがそこそこ強いから、仕事内容とかにそう不満は無かったから良かったけど……別のことで大変だったかな」
点鼻薬や目薬の補充が終わると、薬局長は薬品ロボの管理画面を見つめていた。
「当時は若かったから、患者さんに向き合おうと過度に関わっちゃって。 元気に退院してもらいたいけど、そうもいかない人がどうしてもいてさ……やりがいはあったけれど、時々『なんだかなぁ』って思いながら5年くらいやってたのよ」
悩んでいた当時のことを懐かしそうに話す薬局長。
さぞかし大変なことだったはずなのに、そこまで重たく聞こえない。
薬局長特有の話し方だからなのか……それとも本人は、ただの昔話をしているだけなのか。
そして「そうもいかない人」という表現が引っかかった。
僕の身近で言えば、遼くんや、月岡さんの奥さんが頭に浮かんだ。
患者さんと懸命に向き合っているのに、もどかしさを感じる日々。
薬局長が抱いていた過去の気持ちは、僕にも少し共感できた。
「大学時代の友達に勧めてもらって、こっちに来たって感じ。 いやぁ、転職して正解だった! 前の職場は髪色の指定があったし、制服もなんかダサかったから!」
「あぁ、そっちですか?」
転職して良かった理由が、厳しい身だしなみから解放されたからだと喜ぶ薬局長。
「……それに、同じ薬剤師でも今のほうが穏やかでいられるし、トータルでこっちに来て良かったと思っているわ」
穏やかな笑みを浮かべた直後、調剤室に処方箋がきた。
「ん……未就学児の子か……」
薬局長は処方箋を確認し、該当する薬を素早く出していった。
電卓で分量を計算し、調剤室を出ていく。
小さい子供を抱っこしたお母さんがやって来ると、薬局長は目線を子供に合わせて、手を振って微笑みかける。
こういう先生がいてくれると、親と子供も安心するだろうな……。
僕の仕事ぶりを丁寧だと言ってくれたが、薬局長のほうがはるかに丁寧だと感じる。
薬局長の服薬指導を調剤室越しからそっと見守っていた。
***
それから僕も患者さんの対応が入り、営業終了時間の30分前にようやく落ち着いた。
患者さんの症状や処方箋も十人十色。
何人もの患者さんと向かい合っていた中、僕は薬局長に聞いてみたいことがあった。
というよりも、薬局長なら何と答えるのだろうか……。
「薬局長、例えばの話ですけど。 自分よりも辛くて苦しい状況にいる人が目の前にいたら、薬局長はどうしますか?」
僕の頭に浮かんでいたのは香菜子さんだった。
幼い結翔くんを1人で抱え、最愛の弘樹さんとおじいさんを相次いで亡くしている。
僕の質問に、薬局長は驚きつつも一生懸命に理解しようとしてくれた。
「辛くて苦しい状況っていうのは、例えば余命を宣告されていたり、不治の病と闘っていたり……っていうイメージかしら?」
正直、薬局長が言ってくれたイメージとはズレるが……。
香菜子さんも恐らく「不治の病」のように、途轍もない喪失感を抱えているのだろう。
「……そうですね……そのイメージに近いかなと……」
数秒後、薬局長は下を向きながらこう話した。
「私たちは医療従事者だけど……確実に人を救える訳ではないし、外科手術ができる先生も、技術があるだけで神様ではない……」
大学病院に5年近くいた薬局長。
今の一言で、患者さんの生死に何度も立ち会ってきたことを感じ取った。
「さっきの話に近いけれど……患者さんを目の前にしたとき『自分はどうして無力なんだろう』って何回も思ったの。 患者さんの病状に合った薬を出しても、命が救われるとは限らないから……」
きっと僕も同じ立場であれば、薬局長のように感じていたと思う。
自分の無力さを責め続けるはずだ。
「ただね、1人の患者さんがこう言ってくれたの。 『手術や薬も必要だけど、自分の不安を静かに聞いてくれるだけでもすごく救われる』って」
薬局長は穏やかな笑みを浮かべ、その患者さんのことを詳しく話してくれた。
「当時は小学生の男の子だったかしら。 生まれつき心臓が弱くて、入退院を繰り返していた子なの。 よく喋る子だったから、今でも覚えているわ。 向こうのほうが明らかに辛いのに、その子と話していると妙に元気もらえてさ」
「不思議ですよね。 患者さんから元気をもらうって」
薬局長に釣られて、僕も笑いながらそう返した。
「でも、その子の一言は私の原点な気がするわ。 人の不安や悩みを聞くことで、ちょっとは人の心が救われるかもしれないって。 仮に話しづらくても、話せるようになるまで傍にいようって思ったのよ」
「傍にいる……」
薬局長は少し目を潤ませながら話を続ける。
「そう。 だから『何か言葉をかけないと』って気負わなくていいのよ。 それで私は『いつでも私はあなたの味方だから』っていう風に念じながら、服薬指導するようになったの」
「そうだったんですね」
「……念じながら服薬指導はちょっと盛ったわね」
「ふはっ! え、一瞬信じちゃいましたよ!」
思わず吹き出してしまったが、薬局長は手を叩いて笑い、僕のリアクションにご満悦そうだった。
「でも、小さい子供が薬を飲むときは心の中で思うよ。 『ちょっと苦いかもしれないけれど、頑張ってお薬飲んで元気になろうね』って」
ふと、親子に服薬指導していた薬局長の姿を思い出す。
今の言葉は本当だろうなと思った。
すると突然、薬局長は「そういえば……」と何かを思い出した様子。
「少し話がズレるけれど……それで言うと片瀬先生も同じだったんじゃないかしら」
「え、片瀬ですか?」
薬局長のほうから片瀬の名前を不意に言われ、思わず驚いてしまった。
「辞令が出たときに言われたのよ。 『野上のことが落ち着くまで傍にいたいんです』『異動はそれからでもいいですか』って。 私の権限では無理だって言ったけどね……」
「どうして片瀬が……」
「多分、自分に何ができるか手探り状態だったけれど、すごく野上先生を気にかけていたと思うわ」
僕の知らないところで、片瀬が薬局長に話をしていたとは……。
思いがけない心遣いに申し訳なさと、感謝の気持ちでいっぱいだった。
「あ、今の話は片瀬先生には内緒ね」
苦笑いした薬局長を見て、僕は「もちろんです」とすぐに返事をした。
「私にはまぁまぁ突っかかってくるけれど……同期思いの先生よね」
薬局長が片瀬のことをそこまで悪く思っていなくて、良かったなと安心する。
「自分の傍にいてくれる人に心から感謝して……自分も誰かに寄り添うことができればいいんじゃないかしら!」
「はい、そうですね」
僕を慰めるように言葉をかけてくれた薬局長。
「さ。 お後がよろしいので、今日はもう退勤しましょう!」
薬局長は両手でパチンと叩き、キレイに話を締めくくったのだった。




