遼エピソード 女神の微笑み 2
病室で飽きるほど見た白色の電気とは違って、温かみのある図書館の照明。
またいつか、眩しさで目がやられそうになる手術室の照明を見る日が来るのか……。
「振り回されてきたか……それで言うと、私もちょっとだけ共感できるかも」
「え?」
愛花さんは深く息を吐き、ゆっくり話してきた。
「私が何に振り回されていたかというと……家族関係かな。 父親の暴力が原因で親は離婚して。 母親の収入じゃ生活できないから、芸能事務所に入って自分が稼ぐようになって……」
三木愛花の生い立ちは世に出回っていないはず。
隣で聞いていて絶句した。
「子役として成功しているように思われたけど、家庭環境は最悪よ。 自分の居場所なんてどこにも無くて……こんな人生、やめたいって何回も思った」
愛花さんが芸能人として振る舞っていた裏に、そんな闇があったとは……。
どう反応するべきか、僕は返事に困っていた。
「でも、遼くんの話を聞いたら……私の苦労話なんて大したことないわ……」
「いや、全然そんなこと……」
悲しい顔をしながら笑って、愛花さんはコーヒーカップを持つ。
「虚しいけれど……人生、何が起こるか分からない。 こんな言葉で片づけたくないけど、実際そうなのよね……」
ここに来るとき、僕も同じようなことを思っていた。
そして、目の前にいる愛花さんもそう思う1人……。
自分だけじゃないことに、ほんの少しだけホッとした。
「こんなような話、少し前にもしたの」
愛花さんは思い出し笑いをして言っていた。
「え、そうなんですか?」
愛花さんの暗い事情を知っているのは僕だけじゃないらしい。
一体誰のことだろうか。
「さっき香菜子に聞いたんだけど……誠司さんって人、遼くん知ってる?」
「はい、何回か会ったことあります」
僕も知っている人だと言うと、愛花さんはクスっと笑い出す。
「なんかこう、人が良さそうな感じ出てない? 喋った感じから滲みでちゃう的な?」
「あぁ、わかります」
愛花さんから見ても、誠司さんってやっぱり「良い人」なんだな。
数回しか会ってないけど、最初に会ったときから僕もそれは思っていた。
「誠司さんに私のディープな話を喋っちゃったんだけど、ずっと黙って聞いてくれたの。 お陰でスッキリしたんだ!」
「なら良かったじゃないですか」
僕に話した自分の生い立ちも含め、誠司さんに色々と話したのだろう。
優しい誠司さんなら、愛花さんの重たい話もきちんと耳を傾けていたに違いない。
「あと……私が見る限り、誠司さんも何だか訳アリそう」
芸能界で色んな人と仕事をしているからだろうか……愛花さんは人の内側を見る力がある。
ひょっとすると、誠司さんも人には言えない何かを抱えているのだろう。
「そもそもこの時間にここへ来るくらいだから、大体みんな訳アリよね。 私も該当しているけど」
確かにそうだ。
月岡さんは奥さんを亡くしているし、愛花さんも自らそう言っているし……香菜子さんも……。
「え、僕のこともそう思っていましたか?」
「まぁ薄々。 でも特にそういう話は今までしていなかったから、違うかなとも思ったけど……。 改めて聞いたら、そりゃあ驚いたよ」
僕より年上だけど、世間で見たら愛花さんの年齢はまだ若い。
僕の闇を何となく感じ取っていた愛花さんは、本当にすごいと思う。
「で、これからどうするの? 手術受けるなら、なるべく早いほうがいいんじゃないの?」
核心を突いた質問をされて、再び現実に引き戻される僕。
愛花さんの言う通り……僕には時間が迫っている。
「……僕のことどうこうを置いといて。 愛花さんがもし僕みたいな状況だったらどうしますか?」
「答えづらいことを聞いてくるね……」
無茶苦茶な質問だと分かってはいるが、こういう質問を誰にもしたことがなかった。
それはきっと、僕には大事な話ができる友達がいないからだと思う。
もちろん学生時代は楽しかったが……病気のことで気を遣われないよう、友達にはずっと曖昧にしていた。
だからこそ、自分より大人で、世の中の厳しさを知る愛花さんなら、何か答えてくれるのではないかと思った。
「こればっかりは人の命かかっているから……そんな生半可なこと言えないわよ」
渋い顔をしながらも、考えてくれている様子。
「要するに……手術をしない選択をして、残りの人生を悔いなく思う存分に過ごすか。 もしくは手術を受けて、成功の可能性だけを信じるか……ってことよね」
「え?」
愛花さんがボソッとつぶやき言葉に、思わず目を丸くした。
「究極だけど……どちらにおいても希望は0って訳じゃないから……って遼くん?」
「あ……すみません。 なんか、自分にはなかった発想だったので……」
『残りの人生を悔いなく思う存分に過ごす』
『成功の可能性だけを信じる』
『どちらにおいても希望は0って訳じゃない』
愛花さんの言葉が、心の奥底に深く刺さる……。
僕はずっと「失敗」や「絶望」で捉えていたんだ。
「それに、私個人で思うことがあるんだけど……」
愛花さんはさらに言葉を続けた。
「仕事ではありがたいことに色んな役を演じさせてもらったけど……その中で特に思うのが、人の生死に向き合う役柄は本当に辛いなって」
そう切り出した愛花さんの表情は、いつもよりも真剣だった。
「家族や恋人が亡くなるとか、自分が死ぬとか……もし本当にそうなったら、自分は果たして耐えられるのかなって」
ふと月岡さんのことを思い出した。
普段は温厚で、たまに先生風を吹かせて僕に厳しく言ってくる人も、悲しい過去を持っている。
僕の知らないところで、たくさん涙を流していたのだろうと思った。
「世の中には『もういっそ、自分なんていなくなってしまいたい』と思ってしまう人もいれば『まだ生きていたい』と切に思う人もいる。 自分もその狭間にいて、いつ自分がどうなるか分からない……」
幼少期に入院していた頃、同じ年ぐらいの子たちも病室にいて……。
何人もの小さい友達と永遠の別れを経験した。
その子たちも望んでいたはず……まだ生きていたいと。
「だからこそ、自分が息をして心臓が動いている間は『とりあえず生きなきゃ』って考えになったの。 まぁ、役から教わったって感じよね」
そうか。
僕の心臓は弱いけれど……今を生きていることは確かだ。
どうなるか分からないのが人生……だけど、自分だけじゃない。
愛花さんも、今この瞬間を生きている人たちも。
「あまり良いアドバイスになってなくて申し訳ないけど! こんなんでいいかしら?」
ニカッと笑う愛花さんの顔。
女優さんなのに、少年のような笑顔が意外としっくりくる。
思わず僕もつられて笑った。
「はい、ありがとうございます」
僕の肩をポンポンと叩き、愛花さんはコーヒーを飲み干した。
「あぁ、美味しかった! これでもう飲み納めかな!」
満足げな愛花さんだが、僕は「飲み納め」の一言が引っかかった。
「飲み納めって、どういうことですか?」
「今週中にはアメリカへ行くのよ。 拠点を向こうに移すって会見でも言ってたでしょ? あとは私が日本を発つだけ」
まさかそんなすぐに向こうへ行くとは予想外だった。
「アメリカ……」
しかも、僕の手術もアメリカだと言われていた。
愛花さんの新たな挑戦もアメリカだったことに驚く。
「本当は誠司さんに直接お礼がしたかったけど、火曜日の今日は流石に来ないだろうから、さっきお礼の手紙を書いてたのよ。 まぁ、遼くんに会えたし、良しとしましょう!」
「はい……」
色々と話をしてもらったのに、こうもあっさりとお別れになるとは……。
自分でも気づかないうちに返事が小さくなっていた。
そんな僕を見た愛花さんは、いきなり僕の頬をつまんだ。
「いい男になれよ、少年。 また会えるから!」
僕に優しく微笑む愛花さん。
「あの、愛花さん……お願いが……」
「ん?」
キョトンとした顔を僕を見つめる。
「最後に……写真を撮ってもらってもいいですか?」
それを聞いた大女優は大笑い。
「しょうがない! 今回だけ特別ね!」と言って僕に近づいてきてくれた。
愛花さんの甘美な香りにドキドキしながら、笑顔で撮った1枚の写真。
ありがとう、愛花さん。
この心臓が動く限り、僕らしく生きてみようと心に誓った夜だった。




