遼エピソード 女神の微笑み 1
誠司さんに話した日の他に、僕にはもう1つのエピソードがある。
遡ること、今から1ヶ月以上も前の出来事だ。
僕の人生はハッキリ言って「まさかの連続」
他の人もそんなものなのかな……。
ごちゃごちゃとした頭で考えながら、外灯を頼りに見慣れた街を歩いていた。
この時間は友達にも会わないだろうから、のびのびとできる。
気をつけなくちゃいけないのは、パトカーと警察。
職務質問されたら、面倒なことになりそうだから……。
パーカーのフードを深く被り、黙って図書館を目指す。
今日も図書館に誰かいるだろうか。
別に誰か居てもいいけれど、今日は誰かと喋る気にはならなかった。
先週は誠司さんと月岡さん以外の人と会ったけど、すぐ帰ってしまった。
人から「どうしたの?」とか「大丈夫?」って言われるのをなるべく避けたいから。
持病がある以上は言われても仕方ないけれど……昔から散々言われ過ぎて、返事にうんざりしてしまった。
人に迷惑かけているって思うほど、自分が惨めになる。
こんな風になりたくてなったわけじゃないのに。
神様は不公平だなって何回も思った。
親は何も悪くないのに、親が悲しい顔して僕を見ているときが特に辛い。
母ちゃんから「元気に生んであげられなくてごめんね」って言われたとき、僕は「元気に生まれてこなくてごめん」って返した。
いい思い出が少ない分、辛くて悲しい思い出が山ほどある。
病気なんて大嫌いだ。
平穏に過ごせた中学と高校が唯一の救いだった気がする。
だけど……僕の「平穏」って、たった6年なのか。
そう思うと、ただでさえ脆い心臓が、ぎゅっと握り潰されそうだった。
6月に入った頃、胸の苦しさが何日も続き、止む無く病院へ行った。
そこで言われたのは「当面の間の入院」と「手術を受けるように」と……。
「やっぱりそうか」という納得感と「どうして?」という絶望感。
結局は黙って入院するしかないし、手術の決定は自分次第だ。
ズルズル悩んで今に至る。
病院にいて当たり前だった幼少期。
学校生活を普通に送れて当たり前だった中学と高校。
そしてまた病院という環境に逆戻りした僕。
こんな当たり前、もう嫌だ。
その点、いとも簡単に開いた図書館の扉は、何の変化も無くて安心する。
自分の居場所に来たなと思える。
心の中で「ただいま」と言い、静かに中へ入っていった。
「あ」
自分の望みとは裏腹に、とある人がすでに1階フロアを占領していた。
「久しぶり、少年」
僕が来たことに気づいたのは、三木愛花という国民的大女優だった。
ちなみに、僕が夜の図書館に初めて来たとき、最初に出会ったのもこの人。
顔見知りなのに、変に緊張する。
座っているだけでも、愛花さんのオーラは圧倒的だった。
「びっくりした。 今日、金曜日じゃないのに、なんで人が入って来たんだろうって思ったから」
「え? 今日って金曜日じゃ……」
スマートフォンでカレンダーを確認すると、確かに火曜日の夜23時だった。
「曜日感覚失っていた……でも、どうして愛花さんがここに?」
完全に今日が金曜日だと思っていた。
幸い、開いていたからよかったが、曜日を勘違いしていた自分に内心ショックだった。
「どうしてって……まぁ、香菜子に無理を承知で今日開けてもらったのよ」
愛花さんぐらいだと、特別待遇はよくあるのかもしれない。
「見ないうちにちょっとだけ身長伸びたかしら?」
「ちょっとだけですか?」
あまり大きくない身長がコンプレックスの僕。
愛花さんの何気ない一言が、ポジティブに受け取れなかった。
一方の愛花さんは「相変わらず可愛げがないわね」と笑いながら、コーヒを飲む。
最初に出会った頃は「挨拶程度にしておこう」と思っていたけれど……。
毎回僕にちょっかいをしてくるので、喋らないわけにいかなくなった。
それに、思ったよりも気さくな人だったので、今みたいにフラットな会話も成立する。
僕が入院していたのと、愛花さんの最近あったスキャンダル云々とかで、ここしばらくは会っていなかった。
「こっち来たら?」
愛花さんは棒立ちの僕に声を掛けてくれたが……。
もう少しマシな格好してくればよかったなと反省。
普段からオシャレってほどではないけど、今日は特にマズい服装だった。
テーブル席がある向こうに行くと、より自分の服装が露わになってしまう。
とはいえ、断るのは変だと思って渋々歩いた。
「寝間着で着たの?」
それには事情がある。
「抜け出してきたんです」
「そうでしょうね。 こんな夜遅いんだから」
「病院です」
「は?」
7月下旬のこの日、僕は病室をこっそり抜けてきた。
しかも先週に引き続き、これで2回目。
病院を抜け出したことは誰にもバレていない……恐らく。
ちらっと愛花さんを見ると、表情が酷く恐ろしい顔をしていた。
「入院しても暇なので、抜け出したんですよ」
「何やってるの? 早く戻りなさい」
僕の言葉に、愛花さんは即答で反論してきた。
「え、今来たばっかりなのにどうしてですか」
「どうしてじゃないよ! 自分が何しているか分かんないの? っていうか、入院するほどの具合なら、こんなことしたら駄目に決まっているで……」
僕の腕をつかんでそう言ってきたが、愛花さんは少し思ったはず。
僕のあまりの体の細さに「この人、本当に体が弱いんだ」ということを……。
「もういいんです。 どうせ長くは生きられないんだし」
「え?」
愛花さんの掴んだ手を無視して、僕はいつも通りコーヒーを貰いに行った。
あくまで僕らは、月に1回会うか否かの関係性。
自分の素性を愛花さんに話したことなんてなかった。
淹れたコーヒーを見ながら、僕は自分のことをざっくり話した。
「子供のときから人より心臓が弱くて、入院したり手術受けたりしてたんです。 むしろ『この年まで生きられて奇跡』と言ったほうがいいかもしれませんね」
「……」
「だから、自分がしたいことはとことんする、図書館だって行きたくて行っている、全部僕の勝手ですから!」
黙り込んでしまった愛花さんに、そう強く言い切った。
久しぶりのコーヒーに口をつける。
図書館のコーヒー、実は苦くて全部飲み切ったことがないが、今日は全部飲めそうな気がした。
まぁ、体調のことを考えたら沢山飲めないけど……。
「愛花さんこそ、最近大変だったのに出歩いて大丈夫なんですか?」
余計な言葉を出してしまった僕。
言った直後、もう少し配慮するべきだったと反省する。
「本当ね。 人の心配より自分を心配しろって思うよね」
溜め息をつきながら、愛花さんはそう言って席に座る。
お互い気まずくなって、しばらく沈黙が続いた。
こうなりたくて図書館に来たんじゃないのに……コーヒーが飲み終わったら大人しく帰ろう。
そう思っていた。
「……長く生きられないって、本当なの?」
沈黙を破ったのは愛花さんだった。
「手術を受けるか次第です」
「そう……ってことは、まだどうするか決まってないの?」
静かに頷く僕。
「医者からは生存率は50パーセントって言われました」
「50パーセント……」
「2人に1人……生きるか死ぬか」
半分の確率ってすごく意地悪な数字だ。
どっちかに数字が傾いていたら、諦めがつくのに。
ど真ん中にされたら……どっちを選ぶべきか迷いに迷って、悩みの渦から抜け出せなくなる。
「そっか……」
深刻な話をしているこんなときでも、コーヒーを飲む愛花さんは絵になるほど美しい。
物理的距離は近いのに、住む世界は違うんだなと思わせる。
「生まれてきてからずっと自分の体のことで振り回されて……ここまできたら、何が本当に良いのか悪いのか分からないです」
天井を見上げ、僕はそう言葉を呟いたのだった。




