関谷エピソード 親愛なる先生へ 1
図書館で出会った人と談笑していると、ポケットからスマートフォンの振動を感じ取った。
現役の薬剤師さんに会えて、少し舞い上がっていた僕。
急用でなければ、電話は出ないと決めていたが……。
スマートフォンの画面には『母』と出ていた。
「僕はこれで。 あ、勉強頑張ってね」
その人は僕に気を遣って、持っていた本を渡してそのまま去ってしまった。
電話がかかってこなければ、もう少し話を聞きたかったところ。
しかし、滅多に電話を掛けてこない母親の着信には違和感があった。
「母さん? どうかした?」
自営業で忙しい両親は、昔から僕にあまり干渉してこなかった。
かつて、僕が進路で悩んだときに「お前がやりたいと思ったことに、進めばいいじゃないか」と言ってくれた両親。
でも、僕のことをちゃんと見てくれた人は、両親だけじゃなかった。
「それ本当なの? 香織先生が亡くなったって……」
母親の言葉を聞いたとき、全身から汗が噴き出るほどの緊張感が走った。
『そうなのよ。 香織先生って家庭教師でお世話になったでしょう?』
会計士の両親は近所の人と顔が広かった。
お客さん経由で、先生のご不幸を聞いたのだろうと察する。
「どうして先生が……どうして……」
『それは……お母さんもわからないわ』
「……ごめん」
やりきれない気持ちに、母親に当たりかけてしまった。
母親に何かを聞いたところで、先生が亡くなった事実に変わりはない。
『今週末、こっちに帰ってくるって聞いていたけど。 香織先生のところ、お線香あげに行く?』
来週には薬局での実習が始まる僕。
長期間の休みがあるうちに、実家でゆっくり過ごそうとした矢先だった。
ちなみに、地元のお盆は7月にある。
香織先生の初盆はすでに終わっていると思うが、
「うん、お線香あげに行く。 香織先生にお世話になった奴も何人かいるし。 連絡して一緒に行けたら行こうと思う」
お葬式にも行きたかったところだが、あまりに急なことだったのだろう。
『わかったわ。 お兄ちゃんのスーツでよければウチにあるから。 すぐ着られるように用意しておくわ』
「ありがとう。 帰る当日また連絡するわ」
久々に母親と喋ったというのに、こんなに心が暗くなるとは……。
さっき受け取った本をぎゅっと握りしめ、しばらくその場で佇んでいた。
***
地元の友達に連絡すると、誰しも「どうして香織先生が」とショックを受けていた。
しかし結局、兄のスーツを借りて香織先生の実家に行く日を、普通に迎えていたのだった。
「最後に会ったのって、俺らが成人したときだっけ?」
「そうだね。 あのときの飲み会で先生と会ったのが最後だと思う。 だから3年前?」
「そのときの香織先生、めちゃくちゃ嬉しそうにしていたもんな。 『みんな大人になったね~』って5分に1回は言っていた」
「懐かしいな」
僕の隣にいたのは、中学から高校まで一緒に野球をやっていた松本だった。
彼も先生の教え子だ。
「関谷、香織先生の事故のことって詳しく聞いている?」
「いや、聞いてない。 松本は知っているの?」
「うん……相手はてんかん発作で、意識がなかったみたいで。 車が勝手に暴走して……」
「そんな……」
松本からの話はかなり重たかった。
車を運転していた人は、事故の直後に亡くなったとのこと。
加害者が亡くなっているため、事故は不起訴。
どうやら抗てんかん薬の服用を怠っていたらしい。
少なからず、医療関係の勉強をしている僕にとっては、他人事にできない話だった。
相手が抗てんかん薬さえ飲んでいれば、先生は事故に遭わなかったのではないか……。
その思考が頭の中を駆け巡っていた。
「俺は正直、まだ信じられないんだけれど……きっと関谷は特に辛いだろ?」
松本と同じく、まだ先生の死がどうしても信じられない。
だけど、最後の言葉に引っかかった。
「特に辛いって、何で?」
「お前が密かに香織先生のことが好きだったの、俺は気づいていたぞ」
「松本、どうして……」
今まで誰にも言ったことがないのに何故知っているのか……松本の鋭い観察眼に僕は動揺した。
中学生だった僕は、香織先生に思いを寄せていたのは本当。
ただ、僕に勝ち目がないのは明らかだったので、誰にも打ち明けず、僕の初恋は心の中で封印させていた。
「関谷は気づいてないけど、香織先生の話をするとき耳が赤くなるんだよね」
長い付き合いの松本には完全に見抜かれていた。
「……なんかすっごい恥ずかしい……」
両手で顔を隠していると「あ、誰にも話してないから安心しろ」と、松本から背中を叩かれた。
励ましのポンポンなのに、力が異様に強い。
でも、隣に松本がいてよかった。
初恋は一切思いを告げずに終わったし……初恋の相手との縁は金輪際無くなってしまったから。
隠していた初恋を思い出したせいもあり、僕のメンタルはますます急降下していくのだった。
***
重たい足取りで先生の実家へ到着し、松本がインターホンを鳴らす。
数秒後、1人の女性が玄関から出てきた。
「すみません、突然お邪魔してしまって。 関谷修平といいます」
「松本颯太といいます。 僕ら、香織先生に家庭教師でお世話になったので、お線香をあげに……」
人様の家を訪問し、お線香をあげに行くことは初めてだった。
正解がわからず、とにかく挨拶することに精一杯だった僕と松本。
「関谷会計の息子さんと、松本動物病院の息子さんですよね? はじめまして、香織の母です」
先生の実家が花屋だったことは前から知っていた。
昔からやっていて、地元では有名な花屋らしい。
ちなみに松本の父親は獣医師で、自宅で開業医をやっていた。
「うちのお店のことで、関谷さんとはご両親に相談することがあって。 それに松本さんの病院は、うちの犬がお世話になるので」
僕らとは初対面だというのに、気さくに話してくれる先生のお母さん。
先生はお母さんによく似ているのだろう。
顔も先生と何となく似ているが……頬がこけて、体もかなり細い。
目も疲れているようだった。
娘である先生を失ったことは、相当なダメージだったことに違いない。
それでも、僕らが来たことを快く受け入れてくれる。
ありがたいような、心苦しいような……。
「そうでしたか。 僕らの両親と香織先生のご両親が面識あったとは……」
「ちょうど松本先生から『息子たちが行くかもしれないから』と聞いていたので……娘のためにありがとうございます。 さぁ、どうぞあがってください」
家の中に入れてもらうと、満面の笑みを浮かべる先生の遺影が飾ってあった。
本当に……もう先生に会えないんだ。
そう思うと言葉が出なかった。
僕が固まっていると、隣で鼻をすする音が……。
正体は松本だった。
「おいっ! ここで泣くなよ!」
松本に小声で突っ込み、僕が先にお線香をあげた。
あまりにも多いお供え物と、飾り切れない遺品。
中には、僕が見たことあるピンクゴールド色の腕時計も置いてあった。
お線香に火を近づけて手を合わせる。
『先生、久しぶり……せっかく会えたのに……こんなことになるなんて……』
心の中でそう言った。
今までだったら「関谷くん元気? 久しぶりじゃん!」って僕より元気よく言ってくれるのに……そんな姿も見られないんだ。




